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第2話:見えない堤防と、無邪気な大槌

「……ルナ。またそんな難しい顔をして」


執務室に響いたのは、フェルディナントの暢気な声だった。


ルナは羽ペンを置き、こわばった肩を回しながら彼を迎え入れた。


「フェルディナント様。……『難しい顔』をしなければ、この国の帳尻は合いませんわ」


彼女の目の前にあるのは、隣国ヴォルテール帝国の銀行から突きつけられた、短期借入金の返済期限更新ロールオーバーの通知書だ。


王国の信用格付けは、この一年で「投機的」な水準まで落ち込んでいた。


本来なら、追加の利息を上乗せしなければ更新など不可能な状況。


それをルナが、グラウス公爵家の「個人資産」を担保に差し出すことで、辛うじて低金利のまま維持させていたのだ。


「そんなことより、ルナ。コレットが素晴らしい案を持ってきてくれたんだ」


フェルディナントの後ろから、桃色のドレスを揺らしてコレットが顔を出した。


「ルナ様、お疲れ様です! あの、お聞きください。……今度の建国記念祭、例年の三倍の規模で『愛の光祭』を開くのはいかがでしょうか?」


ルナの眉間が、わずかにぴくりと動いた。


「……三倍、ですか?」


「はい! 最近、物価が上がって民衆の元気がないでしょう? だからこそ、王家がドーンと景気よくお祭りをすれば、みんな勇気づけられると思うんです!」


コレットは、まるで名案を思いついた子供のような、純粋な瞳でルナを見つめる。


「それに、お祭りでみんながお金を使えば、景気も良くなるってフェルディナント様もおっしゃっていましたわ!」


ルナは、胃のあたりが重くなるのを感じた。


景気刺激策としての公共支出……。


理屈は通らなくもないが、それは「余剰資金」がある場合の話だ。


今のサンクチュアリ王国には、お祭りの提灯一つ買う余裕すら、本当はない。


「……コレット様。そのお祭りの予算は、どこから算出するおつもりで?」


「え? それは、魔力結晶の売上の一部を使えば……」


「魔力結晶の収益は、先ほど申し上げた帝国への借金返済に、すべて消える予定ですわ」


ルナの冷徹な一言に、コレットは「ひどい」と言わんばかりに唇を尖らせた。


「ルナ、君はいつもそれだ。数字、数字と……コレットは民の心を心配しているんだぞ」


フェルディナントが、守るようにコレットの肩を抱く。


「少しぐらい返済を遅らせればいいだろう? 帝国だって、鬼じゃないはずだ。……それともなんだ、君は自分の婚約者よりも、帝国の銀行家の方が大事なのか?」


ルナの視界が、一瞬だけ歪んだ。


「……私が大事にしているのは、銀行家ではなく、この国の『信用』です。……一度でも支払いを遅らせれば、二度と誰もこの国に金を貸さなくなりますわ」


「ふん、相変わらず堅苦しい女だ。……いいよ、コレット。予算は僕が何とかする。……君の慈愛を、無能な財務卿のせいで踏みにじらせはしない」


二人は、ルナの返事も待たずに、楽しげに語らいながら部屋を去っていった。


静まり返った執務室で、ルナは再び羽ペンを握りしめた。


「……『何とかする』、ですか」


彼が「何とか」する方法は、一つしかない。


ルナが血の滲むような思いで削り、積み上げた、老朽化した橋の補修予算や、兵士たちの冬服の備蓄費を、強引に流用することだ。


ルナは、震える手で帳簿を開き直した。


橋が落ちれば、物流が止まり、また物価が上がる。


兵士に服が届かなければ、離反者が増え、治安維持費が跳ね上がる。


彼女が築き上げた「見えない堤防」を、主君自らが無邪気な大槌で叩き壊そうとしている。


「……もう、限界かしら」


ルナは、窓の外に見える夕闇を眺めた。


その視線の先には、かつての彼女にとって「脅威」でしかなかった、ヴォルテール帝国の国境線が伸びている。


彼女が密かに、帝国の若き皇帝アレクサンドルと「極秘の通信」を交わし始めるまで、あと一か月。


報われぬ献身が、復讐の種へと変わる瞬間が、刻一刻と近づいていた。

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