COUNT 22 心の箱
星空の下、透明な夜を濁す爆煙のなかに、ヹバが生萌の姿を捉えるより3時間程前――。
火だるまになって細い悲鳴をあげながら町内の街路を駆け抜けた生萌は、子供の頃から慕っているイージスおばさんと利光おじさんの敷地に建つ作業小屋の中で、丸裸のまま小さくボヤいた。
「ひだよ、ヒー、火、アッブな。死んじゃうかもだよ? ありえんって……」
暗がりを包み込んだ天井の高い小屋の中は、農具や農業機械、ミキサーにコンテナ、肥料や農薬。生ハムの原木、干し柿やかんぴょうなどが吊るしてあり、自家用に収穫した野菜が積み置きされ、棚には瓶に入れられた保存食のストックが並んでいる。
生萌はゆっくりと人参を齧りながら、積まれた飼料袋に腰を落としうつむいて脱力していた。天窓から差し込む月明かりが、手を伸ばしても遠く届かないむこうの土間を四角く浮かび上がらせている。
着ていた服は燃え、皮膚も髪もひどく焼けたが、もう元に戻った。
――生きてるみたいな、このぴちぴちの肌が気持ち悪ぃ、自分の体が怖ぇー、萌泣きそうだョ……。
「お兄ちゃんや~い、帰ってこ~い」汚れた左足の小指の爪が、右足の薬指の爪に向かって呼びかける。
――もう今日はあれこれありすぎて頭がパンパンだ。そしてモヤモヤで胸がパツンパツンだ。もう限界超えたよ。
――さっきまであたしは自分の部屋の畳の上でTシャツ、短パンで膝抱えてた。ついさっき、あれからまだ1時間も経ってない。
※ ※ ※
今日は午後早くから、楽しみにしてた夏祭りに二人で出かけた。
お兄ちゃんは大切にしてる〈クリスティーン〉のハンドルの前に私を乗っけて神社の参道まで乗っけてってくれた。日差しは強かったケド、あたしはTシャツ短パンだったから風が気持ちよかった。
村のみんなはやっぱり呆れた顔で見ないふりして私たちを見てたけど、屋台で買い食いしてる時間はそれはそれは幸せだった。
そして帰りがけ、占い屋さんの呼び込みを振り切って進んで、お兄ちゃんは参道の外れの古道具屋さんの屋台で指輪を買ってくれた。私たちの18になった記念だって、銀の、おそろいで――。
お金なんて1ENも持ってないハズなのに、あの代金はどこから出てきたんだろう?
プレゼントは、嬉しいは嬉しい。気持ちはありがたい、寝転んで受け取る。けども、それはそれでだけどでも……、あー考えるのめんどくさい。
指輪はどうしたもんかと困ってしまっているからとりあえずしまってある。
「はっぴー、ばーすでーぃお兄ちゃんはっぴー、ばーすでいあたしーはっぴ、ばーすでい、あたしたち――」…。
横倒しのまま三角座りで膝を抱える生萌は、箪笥の一番上の引き出しをぼんやり眺めながら今日一日を思い返していた。18歳の誕生日は、18歳になったばかりの者にとっては少しだけ賑やかすぎた。
まさかお父さんが、あんなまでするなんて、しかも今日はお兄ちゃんと私の誕生日だったのに。
「あいつの事は忘れなさい。そもそも我が家には最初から息子などおらんかったのだ。うちの子供は昔からお前とヹバしかおらん」
お祭りからうちに帰って来たら“緊急家族会議”って口実で家庭内裁判が始まって、判決! お兄ちゃんが家払い村払いになって追い出された。村長の立場から五州内にも廻状を廻すらしい。
お母さんは真っ直ぐ向いて目を閉じていつもの顔、お姉ちゃんは歯を食いしばって拳を握りしめて、何も言わなかった。
あたしは……脳ミソ食いしばっても心臓握りしめても、何も言えなかった。
もうお兄ちゃんにあたしは一生、二度と会えなくなったのかもしれない。
確かにチロリが言う“キモ兄”の気持ちをあたしは持て余してる。
あたしは優しさも心の広さも足りない。けど嫌いなわけじゃないケド、ムリだ、あの愛はあたしよりも重い。
お兄ちゃんは血のつながったあたしの弟であって、あたしの王子様じゃない。
「生萌や、支度はできたのかい? もうそこまで騒がしくなってるから急ぎなさいな、私たちもそろそろ出ますからね」パタパタと通り過ぎるお母さんの足音と声が聞こえた。
しゃーない、青年団が五州から仲間呼んで、レジとかが集まってブッソウなデモやるらしい。お父さんいうか村長、が二日前に地下レイヤーに全村民の避難指示を出した。このままここであれこれ考えててもしょうがないし、あたしも降りよう。
お父さんお母さんと一緒に家を出て、四丁目の〈閘〉に向かってる途中で、指輪と飼い猫の〈ball〉を忘れてきた事に気づいた。
そんで「下、先行ってて」ってお母さんに言って、あわてて戻って来たら部屋がバクハツした。
耳が真っ白にトんで目の前が銀色になって、庭に吹き転がされて、服と身体がゴー燃えてて。あせって悲鳴あげて走って、五番筋に積んである天水桶にたどり着いて、水頭からザブザブ何杯も被ってゴクゴク飲んで。生が素焼きになったよ、焼萌だよおいしいよ。
そんで天水桶、利光おじさんちの角だから、いつもイージスおばさんとこおやつもらいに来た感じで作業小屋に回って、扉開けて中に入ってひと息ついたら、はー、誘われため息も漏れるさ。
2年前くらいからか、あたしの身体は変わった。怪我しても傷がキモチ悪く早く治る。畑に埋まってるより何百倍も何千倍も。
体の煤は水で落ちたし、焼け仏になんなくてよかったけど……。なんでこんな身体になっちゃったんだろ、目の色も。気色悪い。
自分であちこち何度も確かめた。
スチームミッキー・ナイフを左の人差し指にぐっと押し当て、息を止めて、つっと縦に、指の付け根まで一気に刃を引く。痛みは感じない。ただ、冷たい感覚が一瞬走るだけ。
一直線に切れた皮膚の下からブワ と血の道が膨らんで盛り上がる。けれど、すぐに血に紫色の細かいアブクがたって、見る間にそれが干からびて赤錆色の染みになる。指をくわえ傷口を舐めて、抜いた指に傷跡は残っていない。
まるでそこだけを、時間が異常な速さで通り過ぎて傷口が一瞬で埋められてバフがけ――お姉ちゃんがいつも炭車磨いてるみたいに――されたように、でなきゃ時間が傷をつける前に遡ったように。何もなかったように――。何度どこを試しても。
これは何かの罰なんだろうか。いや、「何」かじゃない。わかってる、わかっている。
ずっと心が狭苦しかった。
お兄ちゃんは子供の頃からずっと一人で納屋で暮らさせられてた。
名前も呼んじゃいけない、そもそも呼べる名前がない。寝るのもご飯も別。学校にも行かせてもらえなくって、おやつもお小遣いももらえずに。
お父さんお母さんにとってお兄ちゃんは家族じゃなくて、同じ敷地に暮らすそこにはいない人だった。
だけどお兄ちゃんはいつもにこにこして、この家を出ようとはしなかった。たぶん、いや、なぜなら、あたしがここにいるから。
一人でどこかもっと幸せな場所にいつだって行けたのに行かなかった。バカな弟。
ずっと昔から何度も何度も、泣いて叫んでお父さんに組み付いて嚙みついてお母さんに止められた。
お姉ちゃんは泣いちゃうからって家にはほとんどいなかった。でもいる時はあたしたちをベッタベタに甘やかして甘えてきて、そんな時はこの人はどっか壊れた天使みたいだなって思った。
そうしてあたしは、何もできないまましないまま、いっしょにどこかに逃げようともしないまま、今日、お兄ちゃんは行っちゃった。
生まれる前から一緒だったのに。
なんでか、お父さんは今日までお兄ちゃんを追い出す事はしなかった。いじめるわけでもないし、ただそこに誰もいないように、名前も呼ばず、目も合わさず。今日までは。なんでだろう。
お父さんはきっと何かを待っている。それは明日なのか、明後日なのかもっと先なのか。あたしにはわからない。
待つって何を? いい事? 悪い事? 明日を待って過ごして何になるんだろう。なんで家族みんなで昨日と同じに笑ってられないんだろう――。
おじさんちの小屋の中はこんなに静かだ。
生萌は長く息を吐きながら天窓の向こうの星空を見上げる。
あーぁ、宇宙のどこかにお姉ちゃんが読んで聞かせてくれた星のお王子さまがいて、あたしをかどわかしに来てくれないかなぁ。
「プリンセス生萌、僕と一緒になんちゃら星へ帰るのです」とか言っちゃって、くーッたまらンくだらん! 萌飛びついちゃうゾッ!
あたしが無くしたガラスの靴持っててさ、かっこいいカボチャの宇宙船でさ、どこかステキなトコにさ、さらってっておくれよ、誰か。
もう萌、ここにはいたくない――。
揃えて抱え込んだ膝にうずめた顔から、ポタリとひと雫、冬でもないのに水洟が垂れた。




