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「汽車男」筑豊篇  作者: アニー・ヨシムラ
第二部 第一章
43/49

COUNT 20 グエン

挿絵(By みてみん)


 角川軍第8飛畳中隊所属のグエン少尉は、夜の闇を流れ、澱み、散っては凝縮し生贄を求める邪気に強く恐怖していた。ぬめるように左右に揺れ、弾かれたように上下に跳ね、夜空を飛び回るコウモリのような影にたまらなく畏れを感じていた。


 村の青年団の畳の群れを分断、囲い込み、制空圏を設定し警戒を〈カイコン3〉に落としての哨戒中に部隊がアンノウンからの急襲を受けた。


 跳ねまわるその何ものからに月の光が当たってもそれは一瞬で、またすぐに闇に溶け込み、本体を見極められない。そして影たちが疾ったあちこちからは、意味のわからない呪いに満ちた吠え声だけが暗闇を衝いて響いてくる。


 さっきは何かの爆発があり衝撃波で揺れた。通信は混乱し情報を求める仲間の怒鳴り声ばかりで、誰もアンノウンについての有益な報告などできず、次々と畳が墜とされパニックを起こしている。


 それはグエンも同じであった。


 このコースでこの高さのまま飛ぶのは危険だ、左方向から今、悲鳴が聞こた。

 すぐに右に切ってこの位置から距離をとらないと!

 でもさっき右上から味方が降ってきたじゃないか。右は全然安全じゃない?

 上だ、上か? いや、仲間から離れるのは危ない。でも僚畳はどこだ? ”一番畳”からの指示はなぜ来ない? 目立つ挙動はダメだ、それはマズい、じっとして何も考えるなパニックを起こすな。

 怖い、怖い。〈ma lai(マーライ)〉だ、ma laiが飛んでいる。みんな殺される俺は死にたくない!

 ヘルメットの中が汗だらけだ。何でこんなに熱いんだ、Cエレメントは正常に働いてるのか? 汗が目に入って。あぁ、ヘルメットを脱いで汗を拭きたい。

 あぁ、あと半年で除隊だ。この呪われた土地から逃げ出して俺は故郷へ帰るんだ。そしてグランマのMì Quảng(ミークアン)をタライいっぱい食うんだ。あぁ、ママ会いたいよ、グランンマも。

 あぁ! レディ・ブッダ! 帰ったら真っ先にお供えに行きますからどうか……。

 怯える33歳、グエンの耳のすぐ後ろでふいに声がした。


「ねぇ、あなたはお兄ちゃん――?」


 ギ ギギ ペコ ッ ベゴ


 ゆっくりと装甲スーツがひしゃげる音がして喉仏が強く詰まる。


 首に巻きついて締め付けてくるモノを外そうと、グローブの指をかけるが引き剥がそう、捻じろうとしても微動だにしない。

 腰のブラスターに手を伸ばすが銃把に指がかからない。なぜだ?


 膝を下げ、上体を回そう屈めようとした。背後のヤツごと前転して背負い投げようとした。両足を縮めて身体を浮かせた、が、自分の首を吊るだけでびくともしない。


 グエンの頭に、石仏に後ろから抱きつかれたまま息絶えた猟師の昔話がよぎる。その絵本を自分が誰かの斜め後ろから覗き込んでいるイメージが浮かんだ。


 トルーパー“グエン”の首に背後からねっとりと左腕を絡ませ、引きつけると生萌なまもえはヘルメットの後部に自分の額を押しつけた。


「あたしの声聞こえる? あなたに妹はいる? いくつ? それは本当の妹? いい子? ご飯は一日何合食べるの?」

「あ…? あ、ああ、いる、いる! 24、もちろん俺のほんとの妹だ、なぁあんたたち誰なんだ? 何人いる? 何がしたいんだ? 教えてくれないか?」


 メキメキと音をたてて装甲が首に食い込み、グエンの呼吸が細くなる。


ヒュ、ヒュ ー ッ キュ …


 軟らかで軽やかで、少し舌足らずで、そして無機質な声が続ける。


「そう、いるのね。あぁ訊ねてよかった。ねぇ、教えてお兄ちゃん。その子はいい子? ご飯は一日何合食べるの?」


 さっきからブラスターに伸ばした手をバタつかせていたグエンの首の圧迫が緩んだ。

 荒い呼吸を少しの間続けたあと、グエンは早口で答える。


「がぁ、いいゴだ、よぐ言ぶごどぎいでやざじぃ。ごパンぁんぃごゔ、にごう、2合!」


「そう。お金がなくて大変なのね。きっと幸せじゃないのね、かわいそう。じゃあ、その子のは何色? あたしの瞳はね、蒼いの。蒼くなっちゃったの。身体もね、なんだかおかしいの。どうしたらいいの? どうしたら元に戻れるの? ねぇお兄ちゃん、何で? 教えて? 何でなの? なんで萌、こんななの?」


 最後には引き攣るように吐き出された生萌の声からは、軟らかさも軽やかさも消え、代わりに非人間的な、沈黙する凶器のような忌まわしさがこもった。


 グエンは母国語で頭を回して必死で言葉を探した。気に入られる答えを何か何か見つけないと。後ろにいるのは〈ma laiマーライ〉だ、合言葉を間違えれば俺は死ぬ、死にたくない。


「あぁだいじょうぶ大丈夫だお兄ちゃんにまかせとけ安心していいあんたもいい子だ、蒼くたっておかしくったっていいんだ、あんたもいい子なんだから。愛してる、愛してるよお前を」

 グエンは頭に浮かべた故郷の妹の、最後に見た、台所で洗い物をしながら振り返って浮かべた笑顔を思い、あの時、口にできなかった愛する気持ちを、最後に口にしておかねばという心残りからそう言った。


 ふっと、グエンを戒めていた背中と首のプレッシャーが薄れ、身体が金縛りから解けた。


 生萌はさっきまでの、なめらかに歌うような声に戻って囁く。


「お兄ちゃんは早くお家に、可愛い妹のとこに帰ってあげて。そしてうんと優しくしてあげて」


 ふいに首から圧が消えた。

 ゆっくりと首を動かしてグエンが振り向くと、目の前には夜の闇が広がり、畳の上には点々と蒼い光を放つ染みと、ブラスターが落ちているだけだった。


 傍らをからのヤレ畳が漂い流れ去っていき、下方から誰かの叫び声が聞こえた。


挿絵(By みてみん)

(次回予告)突然、背後から聞こえた声にグエンは恐怖し寿命が3年縮んでしまったところで、さぁ、ハイハーバーは、生萌の明日は、どっちだ? 次回、「ガンマット」。

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