COUNT 19 魔法使いの妹 (3)
いつ来る。
息を吐いた、今か。
吸った…、次か。
まだ来ない。次に吐く時か。
まだ動かない。
目玉を動かすのすら怖い。瞬きするのはもっと怖い。
呼吸が不規則になる。
フッ フッ フッフ ッ フッ
角川兵の畳4枚と坐煉が踏んでいる畳に、10メートルほどの等距離をおかれ生萌は、四方からブラスターを向けられ鶏籠まれてじわじわ圧し下げられている。
下は空けてくれちゃあいるケド、あたり前、下がるわけにはいかない。一気に畳まれる。
駒を振ってみても、跳べる距離に敵の畳は寄ってこない。
生萌が立っている畳は堕ちこそしないが、ずっとフワフワとしながら少しずつずり落ち続けている。
気付かない間に高度が下がっていた。村の外周を囲う防風林の梢より低い位置まできている。
地面に近付きすぎている。逃げ場を失う。もう失ってる。わかっちゃいても手がない。右手はあっても、使い物にならない。右手は諦めた。
左上の角川兵に流し目して、目の端の逆で目指す空隙を確かめる。
あそこ突っ切って上に抜けさえできれば……。
フ ッ フッ タッ フッ フ パタッ ッ フ ッ ポタ
神経が麻痺しているだけなのか、脳が痛みを知らんぷりしてくれてるのか、右肩に感覚と痛みがない。
「名残惜しいけどバイバイ、〈ジョージィ〉。弾さえ当てりゃあサルだって木から堕ちんだよ。覚えときな」
目を細めて軽く顎を上げ、坐煉が抑揚のない声で見下しながら生萌に言う。
ポタ ポタッ ポタッ ポタ
〈ジョージィ〉におかしな素振りはない。心配も警戒も杞憂で不要だった。もう妙な事は起きない。
あんな腕ぶら下げて、あぁイヤだ。アレはもう終いだ。
畳床も同じようにすっかり枯れて死にかけている。あの、畳み表の色ったら。腐ったゴザみたいなきったない色して。葉脈にへばりついてる残丹啜って漂ってるだけのゴミだ。
パーティーはなんだって楽しいのさ、最中は。だけど後片付けってのがどうにも面倒なんだよ。さあ、いい加減片付けて、帰ったら一番に女だ。
スキンスーツの首元を指で緩めながら、坐煉は急にやる気が湧いてきた。
ポタッ ポタッ ポタッ ポタ ポタッ
生萌の垂れた右腕の指先から、肩があった場所から腕を伝って少しずつ滲み出した血と混じった、蒼い粘液が畳に落ちて沁み込んでいくのを月の光が淡く照らす。
畳の、生萌の足元の周辺の井草だけが月の光のなか青々と見える。血と混じって滴る蒼に濡れる表とは違う緑。
生萌は左手で四叉フォークの柄を脇に挟んで怠く構える。諦めた右手がブラリと身体の動きに合わせて揺れて雫が滴る。
――村の〈特畑〉の、元気な井草の若葉の匂いがする、する気がする…。しないかもしれない、でも、もし、するなら。お願いっ!
まだぶちまけてないまだまだ言いたいことがたくさんある世の中はおかしい誰が誰を従えるんだ泣きながら喚くのは誰だ明日なんか知らないあたしの味方はもういないお兄ちゃんに味方はいないあたしは一人だお兄ちゃんとなんで別れてんだなんでみんなで仲良くできないいんだあああちくしょうちくしょうあたしはなんでこんな弱虫で卑怯者なんだなんでこんな身体になっちゃったんだいやだいやだ考えたくないなんにもないうそばっかりだ何で笑う何で笑える話しかけるなこっち見んな平気で人を斬り捨てるなあたしを戻せあたしのお兄ちゃんを返せっ!
ダン!
葉脈を外して畳にフォークを深く突き立て、右足で畳表を強く蹴る。畳が震える。
すぐに生萌が畳縁を掴んだと同時に、畳が跳ね上がり弾かれたように直上に、角川兵の畳の隙間を目指して跳んだ。
左手で畳を掴み右半身を、上からブラスターを撃ってくる角川兵に向ける。右は捨てた。
「こんな傷、畑に行かなくたってなぁ――!」
上からからのブラスターの蒸撃、どうか頭だけには直撃してくれるなと祈りながら目を固くつぶる。畳を振ることもできない、運にすがるだけ――。
抜けたッ!
薄目を開いて角川兵たちの上、7、8メートルに位置取ったのを確かめた生萌は、左足で畳の頭を押さえて勢いを抑え、左手を首の後ろに回し、頭を倒して首からかけた縄を一本抜き取り、角川兵の編隊の上へと下手で放り投げ、ひと息吸ってペグを2本放つと同時にフォークを引き倒し、落下し始めている畳を、投げた縄の両端につながる瓶に対して垂直に立てて裏を向けた。
「お前らのせいでお兄ちゃんわ――っ!」
2本の瓶が角川兵の頭上で爆発し、爆轟の衝撃波で兵士たちの畳は防風林の森の木々へ、地面へと激しく叩きつけられる。衝撃波に煽られる生萌の乗る畳も左へ吹き飛ばされ、煽られながら爆心へ爆風へ頭を振って舳先を上げる。
※ ※ ※
集会広場を囲む防風林の梢から頭が出ない高度を保ち、生萌の乗る畳は生ぬるい風に吹かれながら静止していた。
月明かりに照らされる畳表は色も失われ、目も潰れ、床にも踏み応えがまったくない。縁にも角がない。ない。なくした。何もない。あたしがすべてをダメにした。
微風に流されて、死んだようにあたしも畳もここまで漂ってきた。でもまだあたしは生きている。でも畳はもうすぐ――。なんでか、なんでだろう。
でももう謝らない、謝れない。やってやる、あそこに行けというなら行ってやる。けど見てろ。行くだけじゃ済まさない。あたしも――済まされない。
何故だろう、この広場のあたりには帝国の畳も青年団の畳も飛んでいない。梢から上、あっちの方を覗くと、たぶん爆発があった周辺で何かしてるんだろう、何帖もの角川兵の乗った畳が飛び回っている。
目を移せば広場には、いつもはいない飛行機が五台停まってる。救護隊には見えない。どこから何しに来てどこに帰っていくのだろう。こんな事は今までなかった。
でもどうでもいい、今のあたしには関係ない事だ。
腰に差している鉈を左手で抜き、右半分がずり落ちて動きの妨げになるオーバーオールの左のストラップを――やりにくい 断つと、オーバーオールの抜け殻は足元にすべり落ちた。
首から両端にガラス瓶がぶら下がった荒縄を5本かけた生萌の全身は、首元からブーツを履いた脚まで、強化黒マルチシートを巻きつけ、シートにはあちこち丸い穴が空き、そこから肌がのぞいている。
かすかに チリン と、ひとつ、自転車の――、〈クリスティーン〉のベルの音が聞こえた気がした。
気のせいだ。こんな夜中に村の人は自転車に乗らない。もしもそんな変わり者がいるとしたらそれは……お兄ちゃんだ。でも、お兄ちゃんはもう村にはいない。
今頃はどこにいるんだろう。お母さんはちゃんと食べ物とか持たせてあげたのかな――。
あぁ、考えちゃだめだ。頭がもっと痛くなる。気持ちがぐちゃぐちゃになる。
生萌はしゃがみ込み、左手の鉈を畳に置いてオーバーオールの腰周りのポケットをさぐり、残っているペグを取り出して畳に放る。
布をたぐり同じように胸ポケットをさぐると、明滅する見た事のない棒が出てきた。
――なんだろコレ。利光おじさんのかな? でも、なんだか、気にくわない。イヤな色をしている。
生萌はその棒を防風林へ放り投げ、残っているペグを掴み出して畳にばら撒いた。
しゃがんだまま畳に散らばったペグをしばらく見つめ、左手で一本拾い上げると垂れている右腕に突き刺した。もう一本拾い少し上にずらしてぐぬっと刺し込む。同じように続けてもう3本を前腕から上腕までに刺していった。
さあ、続きを始めよう。この昏い夜が明けるまでに、この頭と心の霧が晴れるといいんだけど――。
(次回予告)
そうだ! お兄ちゃんがいなくなったのなら新しく作ればいいんだわッ!
生萌が冴え閃く――次回、「グエン」




