第十六話 決闘
「仮戦闘訓練場と呼ばれる場所は、この天令に属する学生ならば誰でも使える場所なんだ」
白恩翔が教室を飛び出していった後、俺たちは彼が向かったとされる場所へと、風棟の広い廊下を歩いていた。隣を歩く悠真が、手元の端末――空中に3Dのホログラム映像を浮かび上がらせる、俺にはまだ使いこなせそうにない代物――を操作しながら教えてくれる。
「なんでそんなことを知ってるんだ? ここに来てすぐなはずなのに」
「おそらく白恩家の恩恵みたいなものだ。白恩の父は執行者の中でもトップクラスの実力をもっていて、執行者の会社である『創護機関』の実績は、現代において頂点に君臨している。いわば権力の暴力だな。だからこそ、天令に入る前から見学みたいなものはできたのだろうし、話を聞く機会も多かったのだろうな」
悠真の説明に、俺は素直に感心して息を吐いた。
「へーそうなんだな。あいつの親父さんは相当すげー人なんだな。でも、あいつが親父さんと同じくらい強いわけじゃないよな?」
「知り合いではあるけど、子供時代のことだからね。今を知っているわけじゃないからなんとも言えないが……さっきも言ったように、白恩家が代々持っていた属性はかなり強力なものが多い。中でも『黄金』や『時』といったものを持つ執行者は、その時代にかなりの実績を残しているからな。彼の能力にもよるが、かなり難しい戦いになるとは思う」
「そうか、ま、死なない程度に頑張るさ」
俺が肩を回しながら軽く答えると、悠真は真剣な顔で首を横に振った。
「いや、本当に死ぬことはないらしい」
「へ?」
「今から行く仮戦闘訓練場は特殊な『界』が使われていて、死ぬような攻撃を受けたりすると強制的に『再創』をされ、脱出できるような仕組みになってるらしいんだ」
悠真がホログラムの規則事項を指差しながら言う。
「へー、じゃあ死ぬ気で戦っても死ぬことはないってわけか」
「とはいえ、あまりそんな気持ちで戦ってほしくはないな。僕の所為でもあるのだから」
悠真が申し訳なさそうに眉を下げる。
「気にすんなって。悠真が戦うとしても、俺を先に挟んどいた方があいつの戦い方を見れるだろ」
「そんなことまで考えていたとはね。……でも、君が彼を倒してしまってもいいんだよ」
「もちろん、倒すつもりでやるぜ」
俺は右拳を左の手のひらに打ち付け、気合を入れた。
♦♦♦
到着した『仮戦闘訓練場』は、大講堂にも匹敵するほどの広大なドーム状の空間だった。床や壁は真っ白な特殊素材で覆われ、等間隔に青いグリッド線が走っている。
その中央で、白恩翔が腕を組んで待ち構えていた。背後には、取り巻きの二人がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて立っている。
俺が指定の立ち位置に歩み出ると、空間全体が微かに歪み、俺と翔を囲むように透明なハニカム構造の防壁――『界』が展開された。悠真と白月、そして取り巻きたちは、その防壁の外側から観戦する形になる。
『――模擬戦モード、起動。双方の生命活動をモニタリングします』
無機質なシステム音声がドーム内に響き渡る。
「逃げずに来たことは褒めてやるよ、下民。さっさと土下座の準備でもしておくんだな」
「御託はいい。さっさと来いよ」
俺が軽くステップを踏み、重心を落とした瞬間。
「我が血肉に刻まれし理よ。――黄金ノ時間ッ!」
翔が創名を高らかに言い放った途端、彼の足元の床に、巨大な黄金の時計を模した紋様が浮かび上がった。
カチ、カチ、と重々しい音が響き、紋様に描かれた秒針が動き出す。
「消えろ」
次の瞬間、翔の姿が俺の視界からブレて消えた。
――いや、違う!
床の紋様の秒針が、あり得ないほどの異常なスピードで回転している。
「ガッ……!」
反応するよりも早く、俺の左頬に鋭い拳が叩き込まれ、続いて腹部に重い蹴りがめり込んだ。
身体がくの字に曲がり、後方へ吹き飛ばされる。靴底を擦りながらなんとか踏みとどまったが、翔はすでに元の位置に戻り、優雅に髪をかき上げていた。
「アハハハッ! どうした、見えなかったか? 俺の『黄金ノ時間』は、俺自身の動作の時間を何倍にも引き伸ばす! 3倍にすれば、てめぇにとっての1秒の間に、俺は3秒分の動きができるってわけだ!」
なるほど、と俺は血の滲んだ唇を拭った。
翔の足元の時計の紋様。あの秒針のスピードが、今のあいつの『倍率』を示しているわけだ。
「……だが」
俺は痛む腹をさすりながら、ゆっくりと立ち上がった。
「なんだァ? まだ立てるのか。だが、俺のスピードには触れることすらできねェよ」
「いや、速いのは認めるけどよ……」
俺は首をポキリと鳴らした。
確かに速い。一般人の目には瞬間移動だ。
だが、
「うちの師匠の理不尽に比べたら、全然見えてるし……火力も『軽い』わ」
「……強がりを!!」
翔の顔が怒りに染まる。足元の秒針がさらにスピードを上げた。4倍か、5倍か。
再び翔の姿が消え、ジグザグに軌道を変えながら俺の死角へと回り込んでくる。
俺は全身に創造力を巡らせ、防御力を底上げする。同時に、右手に極限まで意識を集中させた。
普通に鎖を振り回しても、あのスピードには当たらない。なら、当てに行くのではなく、向こうから当たりに来る状況を作ればいい。
「出てこいッ、俺の鎖!」
俺は右腕から漆黒の鎖を射出する。だが、それは翔を狙ったものではない。
俺の周囲の床、天井、そして空間そのものに、何本もの鎖を乱射し、放射状の檻のように固定した。
巨大な質量を持つ鎖のバリケード。これにより、翔が俺に攻撃できるルートが、正面のわずかな隙間だけに限定された。
「小賢しいマネをッ!」
超高速で移動していた翔が、鎖の障害物を避けるために一瞬だけ動きを鈍らせ、唯一空いている正面のルートへと飛び込んできた。
予測通りの軌道。俺は限界まで圧縮した創造力を右拳に込め、カウンターのタイミングを完璧に合わせた。俺の拳と翔の顔面が交差する、まさにその刹那。
『――ッ!?』
背後から、ゾクリとするような不快な気配が膨れ上がった。
俺の背中に、透明なガラスのような、人形のものが突如としてしがみついてきたのだ。
「なっ……!?」
その化心体は、俺の両腕を背後に回す『羽交い締め』の体勢で完全に固定されていた。信じられないほどの拘束力。カウンターのために振り抜こうとしていた右腕が、空中でピタリと止められる。
「もらったァァッ!」
俺の動きが止まったことなど知る由もない翔の渾身の蹴りが、無防備な俺の胸板にクリーンヒットした。
「ガ、ハッ……!!」
今度ばかりは耐えきれなかった。肋骨が軋む嫌な音が響き、俺の身体は界のギリギリまで吹き飛ばされ、激しく床を転がった。
肺から空気が抜け、口から大量の血が吐き出される。化心体は役目を終えたのか、すっと透明になって消え去った。
「はははっ! ざまあみやがれ下民! これで終わりだ――」
勝利を確信して笑い声を上げた翔だったが、その声は唐突に止まった。
彼は自分の足元の紋様を一時停止させ、怪訝な顔で俺が吹き飛んだ軌跡、そして、防壁の外で露骨に安堵のため息をついている自分の取り巻きの一人を睨みつけた。
翔はバカじゃない。俺の不自然な硬直。そして、あの取り巻きの能力。
全てを理解した瞬間、翔の顔から血の気が引き、次いで凄まじい激昂の赤に染まった。
「……てめぇら、なにやってんだ?」
地を這うような、震える声。
防壁の外にいた取り巻きが、ビクッと肩を揺らす。
「い、いや、翔様! あのままじゃ危ないと思って、俺の化心体で少し手助けを……」
「ふざけるなッ!!」
翔の怒声が、訓練場をビリビリと震わせた。
「これは決闘だ!! 神聖なる戦いだぞ!! 俺は俺の誇りを懸けてこいつと立ち合っていた! お前はそれを……俺を、白恩を、薄汚い泥で汚した!!」
髪を振り乱し、本気で殺意を向けてくる翔の気迫に恐れをなし、取り巻きたちは「ひぃっ!」と悲鳴を上げて、慌てて訓練場の外へと逃げ出していった。
静まり返る空間。
俺は痛む胸を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。まだ視界が揺れている。
翔はギリッと奥歯を噛み締めると、俺に向かって叫んだ。
「……一発殴れ」
「……は?」
「一発もらう! 今のはノーカンだ! 正々堂々とした条件で貴様を倒さないと、俺が勝った意味がねェ!!」
本気で言っているらしい。
プライドが高くて傲慢な鼻持ちならないヤツだと思っていた。だが、その根底にある『闘い』への真摯な誇りだけは、どうやら本物らしい。
その不器用なほど真っ直ぐな姿勢に、俺の中で白恩翔という男への認識が少しだけ変わるのを感じた。
「……お前、意外とバカで熱いヤツなんだな」
俺は口元の血を拭い、ニヤリと笑った。
「いいぜ。遠慮なくいかせてもらう!」
俺は踏み込み、無防備に立っている翔の顔面に、渾身の右ストレートを叩き込んだ。
翔の身体が吹き飛び、床を転がる。だが、彼はすぐに受け身を取って立ち上がり、口端を切って血を流しながらも、獰猛な笑みを浮かべた。
「ハッ……いい拳してやがる。だが、これで対等だ!」
翔の足元の時計の紋様が、再び激しく回転し始める。
今度は桁違いだ。秒針のスピードが、限界を突破するように跳ね上がる。
「俺が持てる最大時間、1分。……そのすべてをこの一撃に圧縮し、最大の倍率でてめぇを粉砕する!!」
「上等だ! ならばこちらも……!」
翔の身体が黄金の光に包まれ、輪郭がブレる。倍にした時間が多ければ多いほど、使用後の負荷は苛烈になるはずだ。それでもあいつは、俺を全力で叩き潰すことを選んだ。
ならば、俺も持てるすべての創造力をこの一撃に込める。
漆黒の鎖を極限まで右腕に圧縮し、『一発入魂』の構えを取る。
「いくぞォォォッ!!」
「消し飛べェェェッ!!」
二つの力が、ドームの中央で激突しようとした、まさにその刹那。
二人の間に、何者かが音もなく「混じった」。
『――戦闘訓練強制中止』
ドーム内に、無機質だが絶対的な権限を持った音声が鳴り響く。
展開されていた防壁が、ガラスが砕けるように一瞬で消滅した。
俺の渾身の右拳。そして、翔の最高速の飛び蹴り。
その両方を、間に割って入った男が、左右の手のひらで『そっと触れるだけ』で完全に受け止めていたのだ。
衝突の衝撃波すら発生しない。俺たちの力が、まるでブラックホールに吸い込まれたように霧散していく。
「おやおや。元気なのは結構ですが、初日から退学を懸けた私闘などされては、こちらとしても書類仕事が増えて困るのですよ」
その男は、困ったように眉を下げながら、穏やかに微笑んでいた。
隙のないオールバックの髪型。仕立ての良いスーツ。
入学式で、クウア学長やレイを呼び込んでいた――
「あ、司会の――」
「あなたたちの担任を勤めます、グレイと申します。以後お見知りおきを、新入生の皆さん」




