第十五話 不条理
「続いて、現役の執行者にして、本学の特別支援者……レイ様の紹介です」
司会の言葉に、俺の意識が鮮明に引き戻された。
壇上に上がってきたのは、見覚えのある軽やかな足取りの青年だった。俺の推薦者であり、天令の七不思議とまで呼ばれる古株の執行者、レイ。
彼はマイクの前に立つと、学長のクウアとは対照的に、射抜くような鋭く冷ややかな視線を新入生たちに向けた。
「皆、ここにいるということは、僕たちのような『執行者』になる覚悟ができている者が多いのだろうね」
彼の声は低く、しかし驚くほどよく通った。先ほどまでの弛緩した空気が、一瞬にして凍りつく。
「選抜試験を潜り抜け、『天啓の儀』で神とパスを繋ぎ、力を得た。自分は特別な存在で、物語の主人公にでもなった気分でいる者もいるかもしれない。だが――勘違いするな」
レイの言葉には、一切の温かみがなかった。あるのは、無数の死線と絶望を潜り抜けてきた者だけが持つ、絶対的な冷酷さだ。
「この学園は、君たちに輝かしい未来を約束する場所ではない。僕たちが相手にする『破壊者』や『化心体』は、君たちの夢や理想になど一切の興味を持たない。ヤツらはただ純粋な殺意で、君たちの肉体を喰らい、魂を砕く。毎年、どれほどの数の卒業生が、現場に出たその月に帰らぬ人となっているか、君たちは知らないだろう。」
「この世界は、君たちの薄っぺらな覚悟や、綺麗事でどうにかなるほど甘くはない。才能、環境、運。世の中には、君たちの努力ではどうにもならない不条理の方が圧倒的に多い。どんなに正しい心を持っていようと、力が足りなければ死ぬだけだ」
大講堂が、水を打ったように静まり返る。
息を呑む音すら聞こえてきそうな静寂の中、レイは会場全体を見渡すように視線を巡らせた。そして、ほんのわずかに、その声色に熱を帯びさせた。
「――だが。創造者の力とは、本来書き換えられないはずの理を、己のエゴで上書きする力だ。
もし君たちの中に、この絶望的な不条理すらもねじ伏せるほどの、狂気にも似た『理想』を抱く者がいるのなら。泥に塗れ、血を吐きながらでも、その理想を形にするという執念があるのなら……抗ってみせろ」
レイの視線が、ふと俺のいる中段の席を一瞥したような気がした。
「世界を縛る絶望を断ち切るような、そんな馬鹿げた奇跡を。……僕たちは、待ち望んでいる。以上だ」
祝辞とは程遠い、残酷な宣告。しかしその奥底には、強烈なまでの「期待」が隠されていた。
ざわめきすら起きない新入生たちの中で、
むしろ、レイの言葉は俺の魂に火をつけた。俺が望むハッピーエンドは、まさにその「不条理をねじ伏せる狂気」なのだから。
「これより、クラス発表を行います。新入生の皆さんは、胸ポケットの『学生証』を取り出してください」
レイと入れ替わるように立った司会の声に従い、俺は黒いカードを取り出した。
直後、天井のドームから雪のような淡い光の粒子が降り注ぎ、カードの表面に銀色の文字が浮かび上がった。
『風棟第1クラス20番』
「第1クラス、か……ん?この風塔って……」
「やりましたね、環さん!」
不意に、隣からバンッと背中を力強く叩かれた。
振り返ると、居眠りから完全に復活した白月澪が、自分の学生証を俺の顔の前に突きつけてドヤ顔をしている。そこには俺と全く同じ文字が刻まれていた。
「……マジか。お前と同じクラスなのかよ」
「マジかとは失礼ですね! 喜んでいいんですよ? 方向音痴で右も左も分からない可哀想な壁人間を、この白月澪が直々にクラスまで案内してあげられるんですから!」
「お前、さっきの迷子騒動を全く反省してないな!?もういいわッ!」
腰に手を当ててふんすと胸を張る白月を見て、俺は深い深いため息をついた。どうやらこのポンコツ白髪少女との腐れ縁は、鎖レベルで確定してしまったらしい。
「さぁ、行きますよ環さん! 私の第六感が、教室はあっちだと告げています!」
「待て待て待て、そっちはトイレだ! 大人しく俺の後ろをついてこい!」
元気よく逆方向へダッシュしようとする白月の襟首を掴み、俺は大講堂の出口へと向かった。
♦︎♦︎♦︎
白月を物理的に牽引しながら歩くこと約十五分。俺たちは『第1クラス』と記された重厚な木扉の前に到着した。
教室の中は、黒板の代わりに巨大なホログラムモニターが壁一面を覆い、座席は半円状の階段教室のように配置されている。だが何より目を引いたのは、その座席数の少なさだ。ざっと数えても、二十席ほどしかない。
「やあ、輪。無事に受かってたんだね。よかったよ」
ふと、窓際の席から一人の男子生徒が立ち上がり、こちらへ微笑みかけてきた。
「悠真……!」
鳴神悠真。俺と同じ推薦枠であり、圧倒的なコントロールを見せつけた『王子様』。その端正な顔立ちは相変わらずだ。
「奇遇だな、お前もこのクラスだったのか!」
「うん。輪のあの規格外の力なら、天令に来ると思ってたよ」
悠真が近づいてきて、自然な動作で俺と拳を軽く合わせた。知った顔がいるというだけで、肩の力がふっと抜ける。
「……む。環さん、そちらの美少年は誰ですか?」
俺を押し退けるように前へ出た白月が、コホンと咳払いをした。
「初めまして。私は白月澪。環さんの保護者にして、この迷える子羊を導く先導者です」
「おい勝手に設定を盛るな」
「ふふっ、鳴神悠真だよ。よろしく、白月さん。輪が迷子にならないようにしてくれてありがとう」
「おい悠真、お前まで乗っかるな!」
悠真の人の良すぎる対応に、澪は「分かっていますね!」と満足げに頷いている。和やかで、こそばゆい空間。
だが、そんな空気は、乱暴な音によって唐突に引き裂かれた。
――バンッ!!!
教室の扉が、蹴り破られるような勢いで開け放たれた。
そこに立っていたのは、取り巻きらしき二人の生徒を背後に従えた、一人の男子生徒だった。眩しいほどの金髪に、仕立てを意図的に崩した着こなし。そして、周囲の人間すべてを小馬鹿にするような、傲慢で好戦的な笑み。
彼はコツ、コツと足音を立てて歩み出ると、悠真を真っ直ぐに射抜いた。
「……アァ? なんだ、ずいぶんとむさ苦しい空気が漂ってやがると思えば。落ちぶれた『鳴神』の呪われた剣と、それに群がる薄汚ぇ野良犬どもの臭いか。吐き気がすンなァ」
「……白恩。君の用事は僕だろう。輪たちを巻き込むな」
悠真の表情からすっと笑みが消え、その声は普段の温和なものから一転して冷たく硬いものに変わっていた。
「輪、気をつけて。彼は白恩翔。白恩家は代々、『時間』といった強力な属性の創造者を輩出し続けてきた名家なんだ」
なるほど。だからこんなテンプレのような口の書き方を
「チッ、分かった風な口を利きやがって」
翔は忌々しげに舌打ちすると、一歩前へ踏み出した。
「鳴神。てめぇのせいで、神聖な天令汚れること自体が反吐が出るっつってんだよ。てめぇのその呪われた剣ごと、俺がここでへし折ってやる。決闘だ!」
「……天令では生徒同士の私闘は禁じられているはずだ」
「合意のもとの『模擬戦』として訓練場に申請出せば、教師どもも口出しはしねぇ。……それとも、尻尾を巻いて逃げるか?」
翔が鋭く睨みつけると同時に、その全身から濃密な『威圧』が放たれた。
ビリビリと空気が震え、殺気を伴う重圧が教室内に満ちる。澪が「ひっ」と息を呑んで後ずさり、取り巻きたちですら顔を青ざめさせて一歩退いた。一般人なら呼吸すら困難になるほどの強烈なプレッシャーだ。
翔は圧倒的な力を見せつけることで、悠真を強引に決闘の場へ引きずり出そうとしている。
……だが。
「……なあ、白恩とか言ったか」
悠真が何かを言い返すより早く。
俺は悠真の前にふらりと進み出ると、無意識のうちに小指で耳をほじっていた。
「なんだそのプレッシャー。圧が毛ほども感じられねぇぞ。師匠の方がよっぽど命の危機を感じるんだが」
「なっ……!?」
翔の目が驚愕に見開かれた。
無理もない。俺は九ヶ月間、加減を知らない現役執行者から、文字通り殺されかけながらこの『重圧』に耐える訓練を積んできたのだ。温室育ちのお坊ちゃんが放つ威圧など、俺からすればただの空気の淀みでしかない。
「て、てめぇ……! 俺の威圧を真っ向から受けて、なぜ平然と立ってやがる……!?」
「悠真はやらねぇよ。お前みたいな面倒なやつに関わってる暇はないんでな」
俺は指を下ろし、真っ直ぐに翔を見据えた。
「俺は、ハッピーエンドが好きなんだ。……ダチを理不尽に傷つけて、悲しい顔をさせるようなやつが、世界で一番嫌いなんだよ」
低い声が、冷たく教室に響いた。翔の顔が、屈辱と怒りで真っ赤に染まっていく。
「……アァ? 下民の分際で、俺に説教垂れる気か?」
「やるなら、俺が相手になってやる。俺を倒してから悠真にちょっかいを出せ」
「上等だ……! なら、まずはてめぇから血祭りに上げてやる!」
翔は怒りに顔を歪め、俺を指差した。
「お前のその身の程知らずな口を、俺が直接縫い合わせてやるよ! 俺が勝ったら、てめぇはこの学園から自主退学しろ! そして鳴神、お前も俺の前から永遠に消えろ!」
「ダメだ、輪! 白恩は伊達じゃない! 入学初日から退学を賭けるなんて無茶すぎる!」
悠真が慌てて俺の肩を掴む。
だが、俺はニヤリと笑い、翔を指差した。
「大丈夫だ、悠真。……俺が勝ったら、お前には悠真に土下座で謝ってもらう。そして、二度と偉そうな口を叩かないこと。これでどうだ?」
「フンッ、下民が吠えてろ。すぐに後悔させてやるぜ!」
翔は取り巻きを引き連れて、教室の外へと足早に出て行った。訓練場の申請に向かったのだろう。
取り残された教室で、俺は大きく息を吐き出した。
「輪、本当にいいのか? 僕のために……」
「お前のためだけじゃない。ああいう手合いは、最初にガツンと言っておかないとずっと面倒だからな。ラーメン部の後輩にも似たような生意気なやつがいたけど、地獄の修練をやらせたら素直になったよ」
「えっ、タイヤ……?」
「環さん! あの金髪野郎、私の高貴なオーラにビビって逃げていきましたね! 私の圧勝です!」
「お前はずっと俺の背中に隠れてただろうが」
緊張感の欠片もない白月の言葉にツッコミを入れつつ、俺は自分の右手をギュッと握りしめた。
入学式が終わって、まだ三十分。
これから平穏な学園生活が始まると思っていたのに。
「……なんで、初日から退学賭けて決闘することになってんだよ、俺ーッ!?」
俺の心からの叫びは、天令の広大な校舎に虚しく吸い込まれていった。




