そして千年王国へ
ジャンは腕の中の愛する人をがむしゃらに抱いていた。
剣は彼女の胸からすでに抜いてある。
死んでしまった彼女は剣を抜いたら息を吹き返すどころか、血こそ吹き出さないただの死体だとジャンに付きつけて来ただけだった。
彼は呪いそのものだという風に自分の剣を投げた。
あれこそ彼女の仇だという風に投げた。
そして彼は天を裂くほどの獣じみた咆哮をあげた。
それでも彼女が再び動く事は無い。
「アルビーナ!ああ、アルビーナ!」
ジャンは抱きしめている彼女の胸に顔を埋めた。
温かかった彼女の温もりが消えていくのを逃すものかと、あるいは、彼女の胸を真っ赤に染める彼女の血で溺れてしまおうとしているのか。
そんな風に彼は彼が愛する人の屍を抱き締めていたのである。
「ヤン様。彼女の志を大事にするべきですわ。私は彼女を誤解していましたわ。彼女はあなたを生かすことをお望みだった。自らあなたの刃に身を投じてあなたを呪いからお救いくださった。素晴らしい方でした。」
ジャンはゆっくりと顔をあげた。
そして、自分の目の前に立つ女性、聖女のイメージを守ろうとしているのか、常に白い衣服ばかりを身にまとう女性を忌々しく見つめた。
彼女はジャンが見返したというそれだけで菫色の瞳に期待溢れる煌きで輝かせたが、しかしジャンはそのあからさまな好意に嫌悪感しか抱かなかった。
彼女はジャンの為だと言って、ジャンの友人となりかけた部下達を死に至らしめていたのである。
「お立ちなさいませ。アルビーナ様が望んだ明るき未来をお作りなさいませ。私、うふ、微力ながら全力でお手伝いいたしますわ。」
地面に座りこんでアルビーナに縋っていたジャンは、自分の右膝を立てた。
それから彼はアルビーナを抱き直しながら立ち上がった。
「ヤン様。棺は用意しております。そこにアルビーナ様を安置ください。」
ジャンはビアンカを無視して歩きだした。
彼はヤンであることを止めるつもりだ。
守る者がいない世界など、彼には何の価値もない。
「待って!ヤン様!」
彼はアルビーナを抱き締め直し、愛する彼女の額に口づけた。
彼女の肉体が腐り崩れるその日まで、自分は彼女を抱き締めていよう。
心を自分に与えられなかった代りとして、彼女はこの肉体は自分に授けてくれたのだろう、ジャンはそう思い込もうとした。
そう思い込むしかなかった。
彼は彼女だけを愛していた。
世界は彼女がいてこその世界だったのだ。
「あああ!アルビーナ!!」
天に向かってジャンは再びの大声をあげた。
青い空はアルビーナが好きな水色で、ジャンは彼女が自分に与えたスカーフよりもオスカーの瞳を思い出した。
彼は掠れた笑い声をあげた。
そうだ。
まだ自分はやることがあるじゃないか。
アルビーナが生きる事を望んだもう一人、そいつを討ちに行けば良い。
自分よりも剣技は上である男。
そいつにこの世界を終わらせてもらうのだ。
「ジャン!戻って来て!」
ジャンは自分が一番聞きたい声が後ろで起きたと驚いた。
彼は自分の腕の中のアルビーナを見下ろした。
彼女は相変わらずに死んだままだ。
「ジャン!」
彼は何が起きたのだと恐る恐るという風に後ろを振り返った。
「な!」
彼は振り返ってみた風景に唖然とし、腕に抱いたアルビーナだったはずの遺体を落としかけた。
ビアンカがアルビーナと変わっていた。
白い服を着たアルビーナは、ジャンににっこりと微笑んだ。
「いくらでもお慰めいたします。ジャン。」
「何の茶番だ?悪趣味な真似は止めろ。」
アルビーナの顔をした女は、アルビーナがした事のない顔付をして見せた。
人を恨んで憎しみばかりの醜い顔だとジャンは思った。
彼のアルビーナは、相手を憎む前に手や口が先に出る女だったと思い出したのだ。
「いい加減にしやがれ!俺が愛したのはアルビーナだけだ。貴様みたいな反吐の出る女がアルビーナになれるか!」
ビアンカは顔を大きく歪め、憎しみだけの炎を両目に宿した。
そしてその両手を前に突き出しながらジャンの元へと歩いて来たのだ。
彼女の手がロアストクやフィッツェンハーゲンにした事をジャンは思い出し、彼は反射的に後退った。
「ジャン。立ち直れないならば、私が看護いたしますわ。」
「不要だ!お前などいらない!」
ジャンは彼女を近づけまいと右手をホルスターにやり、そこで銃が無い事に気が付き、また、剣を遠くに放っていた事も思い出した。
思い出した時には、ビアンカはジャンの一歩手前にいた。
「ジャン様。愛しておりますわ。」
ビアンカはジャンに向かって両手をさし伸ばした。
ジャンはその光景がアルビーナとの出会いと似ているとなぜか思った。
そして、あの時自分が何をしたのかを思い出したのである。
両親に棄てられるように売られた彼には、自分自身だって守るものでは無いように絶望を感じていた。
そこに現われた美しき少女は、彼の持ちえない高価な衣服に包まれて、無力な彼が夢見た力で邪魔だと思う人間を次々に火柱に変えていったのだ。
彼女はジャンに手を差し伸べた。
彼はその手に燃やし尽される事を望んだ。
彼だけではなく、世界ごと、全て燃やし尽くされるとことを望んだのだ。
彼女に同調しようと彼は望み、彼女に引き出された彼の力が世界を覆った。
金色の光として。
「君の不幸を決めたのは俺か。」
ビアンカの手はジャンに触れ、ビアンカはハッとした顔つきとなった。
彼女の指先は一瞬で干からびた。
彼女の顔も水分を失い、老婆でしかない姿となった。
彼女は自分の顔を両手で押さえ、自分に起きた事を知ると、ジャンが天に向かってあげた咆哮よりも大きな悲鳴を上げた。
悲鳴をあげながらビアンカは仰向けに倒れた。
「明けの明星。ルシファー。私は君を待っていたよ。」
ジャンの後ろから全てを計画した男が現れた。
男はジャンにジャンが捨てたはずの剣を手渡した。
「さあ、アルビーナを討ち取ってくれないか?括弧偽物括弧閉じるの違うものだが、行動がいちいち小うるさくて目障りだ。」
「貴様がここまで育てたのだろうが。」
「若い男を慰めるには手っ取り早いでしょう?若くて可愛い女は。君が全く手を出さないから彼女はここまで壊れたんだよ。君のせいだ。」
「本当にお前には反吐が出る。」
ジャンはバールから剣を受け取ると、その剣を老婆となった女性へと振り下ろした。
「お見事。胴二つですね。」
ジャンは金髪に青い目となった男、魔界では自分の第一の配下だった男を見返して睨みつけた。
ベルゼビュート、堕天した後の名はバアルである魔物、二十代前半か十代後半に見えるぐらいに若返った男は、嬉しそうにジャンに向かって微笑み返した。
それから嫌味のようにして、これこそ望みだったという風に両腕を広げてからジャンに対して深々とお辞儀をして見せたのである。
「俺を覚醒させるためのお膳立てにしては増長過ぎた。」
「人々の慟哭はそれだけで我が活力となります。」
ジャンは腕の中の遺体を抱き締め直し、彼を守り彼の覚醒を妨げていた彼自身の拠り所の額に口づけた。
彼女が存在しない世界を千年続けてどうするのだ、そう思いながら。
「では王よ、リセットをお願いします。新世界を我らに。」
ジャンは笑い声をあげた。
それは良いなと、彼は大声をあげて笑い出していた。
リセットだ。
新世界を作るのだ、と。
お読みいただきありがとうございます。
ジャンはルシファーというベタな設定ですいません。
暗闇に輝く明けの明星はルシファーを示します。
金星が夜空に輝いたその後に太陽が昇ることで、ルシファーは救世主のイメージです。
ルシファーは私が大好きな悪魔であります。
そしてジャンは配下ベルゼブブによって、現在の世界をリセットして彼が思う新世界を作り上げる事を望まれましたが、ジャンがどんな世界にしてしまったかはエピローグとなります。




