金星が輝くとき
私が壊した魔都ミザナは、王城があった場所は私のメテオによって深くえぐられたクレーターとなっており、魔法陣があった市街地はもはや何もない地平線が見えるようながらんどうとなっていた。
また、それ以外の場所は建物が現存していても、人っ子一人いなかった。
以前にここに住んでいた人々は、己の故郷かヤン・ヘルツォークが建設している最中のミザンナビームという名の新しい町に移ったのだろう。
そして私がモニター術によって降り立ったのは、市街地の魔法陣の中心となるヤンが慰霊碑を立てた場所、ジャンが跪くすぐ後ろである。
彼は私の気配を感じるやものすごい勢いで立ち上がって振り向いて、驚く事に剣を抜いていながら剣を抜いた右手を押さえながら私から後退ったのだ。
だが、彼の後ろは慰霊碑だ。
彼は私に近づくなという風に剣の切っ先を向けながら、背中を慰霊碑に貼り付けて私を必死な顔で睨んでいる。
私は彼に微笑んだ。
こんなことはいつもの事だ、そんな風に。
そうだ、実際に、こんなことは私とジャンとでは日常茶飯事だ。
柴犬ジャンは、喧嘩してしまう性を押さえられない犬だった。
そういう風に改良もされていた。
気性が激しいことこそ柴犬だというブリーダーの手によって、熊にさえも死闘を仕掛けられる柴犬の理想ともいえる気性、そんなものを持てるように気性の荒い犬同士で掛け合わされての最高傑作だったのだ。
だから、彼は散歩中に他家の犬を見かけると、それらに同族としっぽを振るどころか飛び掛かった。
私は何度そんな彼を押さえただろう。
私の腕は、彼の牙によって、何度切り裂かれる事になっただろう?
「は、はなれろ。お、俺は。」
「終わりにしましょう。死が二人を別つまで。私を殺し、あなたは生きて。」
「で、できるわけ、わけ、訳があるか!俺はお前を愛しているんだ!」
「ジャン!」
ジャンは私への愛を叫んで、そのまま血を吐き出した。
体がバラバラになる呪い。
彼の内臓も壊れかけている?
私は無意識に前に一歩踏み出していた。
彼を抱き締めようとして。
けれど私はそれ以上動けなかった。
ジャンが右足でもって私の腰のあたりを押さえたのだ。
彼の剣は私の胸の辺りを突くか突かないかの距離となっていたが、彼は必死に自分の腕を押さえて、足は蹴りこめばよいのに障害物のように添えているという気遣いまで見せている。
私が一番のジャン。
それは今も昔も変わらないのね。
変わったのは私だ。
私はオスカーを愛している。
そして、ジャンの事を愛しているけれど、ジャンには母親か姉のような愛情であったと気が付いてしまっているのだ。
「アル、ア、アルビーナ。」
私にできるのは、彼を死の呪いから解放する事だけ。
私が彼にできる贖罪はそれだけだ。
「愛しているわ。でも、ごめんなさい。私はオスカーを愛しているの。」
私とジャンの距離を作っていたジャンの足は下ろされた。
ジャンは私に微笑みを見せた。
その笑みはオスカーの専売特許とも言うべき微笑みで、この世が終わった事を自分は受け入れるから君は気にしないで、そういう笑みだった。
その笑顔を向けられた人間が、その胸を張り裂けさせると知っているのだろうかと、私は胸の痛みを受けいれながら思った。
だって、一番辛いのはジャンだ。
真っ直ぐに私の為にだけ生きていたジャンだ。
ジャンは、さよなら、と口だけ動かした。
彼は私に向けていた剣から右手だけを外して、その右手で腰のホルスターから拳銃を引き出した。
「ダメ!ジャン!あああ!」
私はジャンを止めるどころか、背中を思いっきり後ろから押されていた。
すっと私の胸元にジャンの剣は刺さり、私は痛みよりも熱いと感じていた。
カシャン。
ジャンは拳銃を落としていた。
私はジャンを助けられた事が、ただただ嬉しいと笑っていた。
痛すぎて感覚が分からなくなったのかもしれない。
そのために私の思考はすっきりしていた。
私の血は剣を伝わってジャンの左手に掛かり、私の血を受けたジャンの左手の薬指で金の指輪が弾けた。
彼は解放された。
私は彼を助ける事が出来た。
私は彼に手を伸ばして、彼を抱き締めようと腕に力を込めた。
私の体にはずぶずぶとジャンの剣が深く突き刺さっていく。
それでも私は彼を抱き締めようと腕に力を込めた。
「アルビーナ。」
とうとう私はジャンを抱きしめていて、私こそ彼に抱きしめられていた。
久しぶりに両腕に感じる彼の身体は、私が知っていたよりも硬く、私を抱いた過去のあの日よりも筋張って痩せていた。
「ごめんなさい。ジャン。」
「ああ、アルビーナ。どう、どうして、君が。ひ、ひどい。ひどすぎる。俺に君を殺す役割を押し付けるなんて!」
「いいのよ。これが決まり事で、これでよかった。これで良かったの。」
「アルビーナ!」
私は両目を瞑った。
私が柴犬ジャンに噛まれても彼を押さえつけていたのは、ジャンが危険な犬だとして処分されないようにとのその思いだけだった。
私は彼を愛していた。
彼を育てた母として。
そして、私を抱き締めて涙にくれているジャン。
ごめんなさい。
あなたに出会った当時で、私の実年齢は十八歳だった。
私は常にあなたを一番に愛して、あなたを一番に考えていたけれど、それは私はあなたへの純粋な愛だと思っていたけれど、本当に純粋な愛だったの。
息子か弟に向ける様な愛だったの。
「愛していた。愛してる。どうして、どうして君は俺を捨てる方を選んだ?どうして君は俺との未来を捨てたんだ?」
私を抱き締めるジャンは、美しいどころかボロボロだった。
貧民街から拾われたばかりの頃よりも、涙にくれているからか寄る辺が無い雰囲気でボロボロになっていた。
私はジャンの柔らかな髪を撫でた。
柴犬ジャンとは違い、ジャンの髪の毛は癖があって柔らかい。
「これが決められていた未来で、変えようがないものだった、から、よ。私はあなたが生きているそのことが大事なの。」
「どうして未来を変えようと足掻かなかった!俺は君が逃げたいと言えば、いつだってどこにでも一緒に逃げた。どうして!君はオスカーと逃げたのに!」
私は答えずにジャンの髪を撫でつけた。
もう力が入らないから、これが最期のひと撫でだからと、ゆっくりと彼の髪を彼の耳を塞ぐようにして撫でつけた。
「アルビーナ。最後ぐらい教えてくれ。」
「あなたと一緒の日々が幸せだったから、こ、壊したくはなかった。だから、未来を、この未来を受けいれたの。ごめ、ごめん、ごめんなさいね。」
ジャンは私の胸に顔を埋めた。
私は暗闇に霞んでいく視界の中で、ジャンの髪の毛が金色に光るその様を眺めながら、まるで明けの明星みたいだと思った。
思った瞬間に、私は駅の構内のベンチでオスカーと夜を明かした日を思い出していた。
深い紺色の空が白んで、そこにひときわ輝く星が出現した。
その星の輝きを消そうという風に、太陽が赤紫色を纏って顔を出していく。
「空がローズ色に輝いているわ。これから日が昇るのね。」
「ああ、ちがうよ。世界は君を失って暗闇に沈むんだ。」
記憶の中のオスカーは、私の記憶とは違う疲れたような酷い表情で、記憶とは違う言葉を返した。
そして私の世界は、彼の言葉通りに真っ暗なものとなった。
2022/7/27 フォルダー→ホルスターですよね




