嵐の前のひととき
私達は最初に何も考えずに入った家に落ち着くことになった。
そこが一番建物の状態が良かったからでも、オスカーが私との思い出に拘ってそこが良いと言い張ったわけでもない。
そこ以外に住める家が無くなったからである。
何が起きたのか、いや、オスカーが何を起こしたのか知らないが、空き家の片隅で休憩をとっていた私達が少々の微睡から覚めてみると、廃村がいつのまにやら樹海に沈んでいたのである。
昔見たアニメで妖精が森を作ってしまうものがあったが、そんな感じで木々が生えて育ち、下草もワサワサ生え、家々はそんな植物たちによって壊され侵食されている、という恐ろしい風景が気が付けば広がっていたのだ。
「体力回復にそこらじゅうの植物とリンクしちゃったせいですかね?」
「確かに君は元気だったよ。」
「おや、私の体を心配なさっておいでだったから。」
「ものすごくすっきりした顔で爽やかそうに言われるとムカつく。もう心配なんかしないよ!」
オスカーは楽しそうな笑い声をあげたと思い出す。
そして、選びようもなく私達の隠れ家となったこの家だが、オスカーという得難い男のお陰で、ひと月もしないうちに人心地のする家と変わってしまえたのは純粋に驚きだ。
兵士って人道的な避難誘導や災害による被害の修復に動いたりするものな、と、屋根を直し、腐った床板に応急処置を施し、さらに、新しい布団や小麦袋を一人で抱えてしまえる人には、私はただただ尊敬するばかりだ。
もちろん、彼が立ち働いている横で私だって掃除や料理をしていたし、彼の買い物にはちゃんとモニター術を使ってサポートしている。
でも、植物を生き返らせて、雪が降り始めた冬なのに夏のような家庭菜園場を作り出しちゃった彼は最高じゃない?
逃亡する時はオスカーを忘れずに、そんな感じだわ。
「おかさん。ぐつぐつ。ぐつぐつ。」
スカートの裾を引っ張られて、私はもの思いからぱっと覚めた。
見下ろせばカイが私のスカートを引っ張りながら、ここにもあったカッヘルオーフェンのオーブンを指さした。
この家のカッヘルオーフェンはミラの家のものよりも旧式で大型だが、居間の方の積み重なった煉瓦はホカホカと温かなベンチとなるし、台所になる壁の裏側にはオーブンがあるという素晴らしきものである。
焼け焦げた死体の骨なんかも入っていないのだから、本当に素晴らしい。
「ありがとう。カイ。」
私はカイに微笑んで彼の頭を撫でると、オーブンを開けて中の天板を引き出して、そのまま台所のテーブルの上に置いた。
「ああ。いい匂いだ。」
温室というよりはビニールハウス程度のものだが、そこで働いていたオスカーが台所に顔を出した。
農夫そのものの格好の彼は、わたしが作り上げた料理を見ると、これが食べたかったという風に目を輝かせた。
逃亡者たるもの、隠れ住むには出来うる限りの自給自足が望まれる。
だが、私はパンを上手に焼けない人だ。
そこで、前世で作っていたピザを焼いているのである。
ピザ生地も酵母をいれて発酵させるものだが、その工程が四百グラムの小麦粉に卵とオイルと酵母をいれて練って寝かすだけという簡単なものなのだ。
ちなみに、小麦粉は一カップで百グラムと知っていれば計りなど必要ないが、ちゃんと計れるカップを手にしないとそんな知識も意味が無いものでもある。
だからパンが上手く焼けないのかなあ。
「パパ。おかさん、ぴざ。」
「そうだね~。ピザだねえ。」
オスカーは嬉しそうに目を細めてカイを見下ろすと、そのままカイを自分の胸へと抱き上げた。
「ぱあぱ。」
「よおし、いい子だ。いい子だよ、カイ。」
オスカーは本当にカイを猫っ可愛がりしているなあ。
さて、実は私にはなかなか馴れなかったカイだが、彼は私がピザを焼いた途端に、馴れた。
それまで散々にカイの気を惹こうと色々と声掛けなどしていたが、カイは脅えて逃げるばかりであった。
それなのに、たったピザ一口で、一週間くらいのそれまでの自分の行動が馬鹿みたいに思うぐらいに、カイは私に馴れたのだ。
ピザを一口齧って美味しいと喜んで、次の日から私の後をついて回って、ピザピザ煩い生き物に化してしまったのである。
オスカーこそピザにド嵌りして、ピザの為にトマトを育ててくれているので、ピザが万国共通に美味しいと感じるものであるだけなのかもしれないが、ピザ恐るべし、だ。
「おかさん。たべる。カイくん食べる。」
「そうだね。席について。」
オスカーはカイを椅子に座らせてその横に彼は座り、私は彼らの為に皿を取りに食器棚に向かった。
「カイくん。おかさんすき。おかさんかじらない。」
後ろ手起きた突然のカイの告白に、私は皿を落としそうになった。
でも涙は零れた。
「おかさん。おさら。かいくんごはん。」
私は振り返り、可愛い我が子のために笑顔を作った。
それからテーブルに戻り、皿にピザの一切れを乗せるとカイに手渡した。
カイは歓声をあげながらピザにむしゃぶりついた。
「大丈夫?焼きたてよ。フォークを使ったほうが……ほうが。」
私の目はカイの様子に釘付けとなってしまった。
カイは停止ボタンを押された映像のようにピザにかじりついた姿のまま固まり、そのまま物言わぬ人形のようになってしまったのだ。




