ミラという町
「この町を出よう。」
オスカーの提案に私は頷くしかない。
彼はもう旅支度を終わらせているのだから、提案どころではなく決定を私に伝えただけだろう。
オスカーが言うには、暖炉にあったような事が他にもないかと家屋内を確認してみれば、私達が隠し持っていた金貨の袋がいくつか消えていたそうだ。
一か所にまとめていなかった事で全部を盗まれてはいなかったが、いつ盗まれていたかと考えれば、ほとんど毎日家に籠っている私達だ。
私達が同時にお茶会や釣り遊びにお呼ばれした日以外ないだろう。
どうやらミラの住人達は私達を町に溶け込ますために誘いをかけて来たわけではなく、盗みの為に家を留守にさせたかっただけらしい。
なんと、騙されて食いものにされていただけとは、悲しい事だ。
「凄い連係プレーだよね。」
この町に来た時に持って来た鞄を持ち上げながらのオスカーの物言いだが、私に背を向けている彼のその軽い口調に私は驚いた。
普段だったら自分のせいだとオスカーは落ち込むはずだ。
ぜんぜん落ち込んで見えないのは、それは私と結ばれたから?
だからあなたはフランツに裏切られたのに、こんなにも冷静でいられるの?
あるいは、私を悲しませたくはないというそれだけで、自分を殺しながらそんな声を出しているの?
「……と。どうしたアルビーナ?」
私はオスカーを後ろから抱き締めていた。
彼の背中は大きくて、温かくて、何があっても揺るぎそうもない。
でも、あなただって傷つくし脆いはずよね?
「アルビーナ?」
「あなたが一緒なら、私は何があっても平気だわ。」
低い笑い声が彼の背中を通して私に響いて、それはなんて心地良いのだろう。
オスカーに回した私の両手には、オスカーの大きな手が添えられた。
「俺はあなたを一人にはしませんよ。そこだけは安心してください。いえ、私に脅えないでください、かな?あなたが嫌でも私はあなたのそばにいるつもりですから。」
「あら?あなたこそ私が嫌にならないの?」
オスカーに回された私の手はオスカーに掴まれて持ち上げられ、私の指先にはオスカーの柔らかな唇が当たった。
「あなたを食べてしまいたい。あなたをどんなに食べても私はまだ飢えている。」
「あなたはそればっかりになったの。きゃあ!」
オスカーは私の右手を離すと、私の左手を持ち上げてダンスのターンをさせるように身をふわっと浮きがらせられた。
でも私はターンなどしていなかった。
オスカーこそ身を反転させたのである。
そして彼が私の右手を再び掴んだ時、私達は向かい合わせになっていた。
両手を繋ぎ合って向かい合った私達は、次には唇を合わせていた。
温かな唇は私を慰めるが、慰められながらも私はもう一つのキスを思い出してしまっていた。
ジャンとのキス。
オスカーのように上手とは言えなかったけれど、私はジャンと唇を合わせたそこで体に電気が走ったようにして震えたのだ。
それは私が彼を愛していたから?
では、私はオスカーを愛していないの?
私は瞼を開けてオスカーを見返していた。
オスカーはうっとりとした顔をして瞼を閉じていた。
でも、その顔は慰めてしまいたいような寂しさも見えた。
でも、慰めてあげたいと感じた気持ちは、私がジャンへの愛を抱いたままという罪悪感を隠したいそのもののように感じた。
私はオスカーの頬に手を当てて、それから彼から唇を外した。
「アルビーナ?」
「思い立ったら動きましょう。」
「そうだね。」
オスカーはやはり寂しそうに笑うと、詰め直した私達の鞄を持ち上げた。
中にはミラに来るときに詰めた服しか入っていない。
ここで買った服や荷物はわざと置いていく。
さて、私達は玄関ドアを開けて一歩外に出たが、そこで驚いて足を止めた。
「どちらにいらっしゃるのですか?」
敷地と道路の接する場所、通常ならば門扉がある場所に数人の人影があり、彼らは気さくそうな笑顔を私達に見せていた。
筆頭はフランツ・アッカーマン。
あとはオスカーを海釣りに連れていく男性達に、我が家の修繕や家具を運んできたアッカーマン不動産の働き手だ。
フランツは私達に向ける笑みを深くした。
すると、彼の後ろから見覚えのある美女が顔を出した。
茶色の髪に茶色の瞳という地味な組み合わせでも美しさは群を抜いているという、あの馬車旅で私とオスカーに散々に絡んできた人だった。
「どうしてあの方が?」
ふん。
オスカーが鼻を鳴らした。
「そういうことか。最初から仕組まれていたってことかな。」
女は笑い、フランツも女の肩を抱いて嫌らしく笑った。
そして、正義だ、なんて言ったのだ。
「正義?」
オスカーに尋ね返されたフランツは、困った顔をするどころか右腕をあげた。
手には銃が握られ、その銃口とオスカーを狙っていた。
そしてその銃はオスカーの持ち物のはずであった。
オスカーは自分の胸元に手を当て、大きく息を吸った。
「どうしてだ?どうして気が付かなかった?どうして俺は銃の存在をすっかりと忘れていた?」
「お前らが魔人だからだろうな。」
フランツは笑った。
それから彼は左手で自分のスーツのポケットをまさぐり、そこから水色のガラス玉を取り出した。
ガラス玉には的みたいな文様が見えた。
なんだろうと私が思ったそこで、すると、久しぶりのようにしてフランツの胸の前にクリップボードが現れたのである。
魔除けの護符
幼い子供が魔に囚われないように
生まれたばかりの赤ん坊に持たせるお守り
ガラス玉に描かれた目玉に魔物の目を晦ます力があるとされる
「ま、……あ。私達にそれが有効だったなんて驚きだわ。」
私は私にしか見えないクリップボードを読んだまま声を上げていた。
そしてオスカーは、クスクスと笑い声をあげ始めた。
「ああ納得。どうしてそれが俺達に干渉できるのか知ったのか知らないが、いや、俺達の前にも不幸な住人がいたな。この家は最初から馬鹿な金持ち夫妻、それも魔人を捕えて食いものにする場所だったんだな。」




