白い家と無邪気なあなたと魚料理
ミラは天国だと、オスカーは微笑んだ。
夏になって日差しはきつくなったが、首都よりも気温が低い北部の為か、爽やかで過ごしやすい夏である。
また、最初は周囲を警戒していたが、住む家を斡旋してくれたフランツ・アッカーマンを筆頭に、ミラの住人は気のいい人ばかりで、気が付いたらオスカーもアルビーナもすっかり町に馴染んでいた。
フランツは本当に気さくな男で、オスカーを男の遊びに誘い、彼の妻はアルビーナを女の遊び誘いと、二人が馴染むように心を砕いてくれたからでもあろう。
男の遊びと言っても、誰かの船に乗って海釣りに出掛けると言うだけであり、アルビーナに至っては、近隣の家々に招かれてはお茶会に参加している、という、オスカーが新婚ならばと夢見た暮らしそのものなのである。
ちゃぷん。
魚を入れたバケツの中で小魚が跳ね、オスカーは自分の釣果を見下ろして再び微笑んだ。
またアルビーナが怒るな、と。
初めてオスカーが海釣りに出掛けた日、帰ってみたらアルビーナはとても不機嫌で、彼女は自分こそ釣りがしたかったとオスカーに強請った。
彼は彼女の願いを叶える事こそ本望だ。
そこで二人で港の釣場に出掛けたのだが、彼女はさらに不機嫌になった。
オスカーみたいに船に乗って魚釣りがしたかったと騒いだのだ。
子供の様に。
そう、子供みたいだ、とオスカーは思い返した。
思い返して笑っていた。
ミラに着いたばかり、まだ泳ぐには早い時期なのに、アルビーナは海に突進していった。
手袋も靴下もオスカーに投げつけて、足がふくらはぎどころか腿まで見えるぐらいにドレスの裾を持ち上げて、彼女は海に走っていたのだ。
綺麗で可愛らしくて、彼女はとても無邪気だった。
自分を男と見ていないからか?
そんな自分の鬱屈した考えさえも吹き飛ばすように、彼女は大声で笑い、すらりとした可愛い足で、オスカーに向けて波を蹴った。
「大丈夫よ!あなたがいるんだから大丈夫よ!せっかくの海なのよ!あなたも遊びましょうよ!」
海水をもろに顔に受けたオスカーは、そこで急にハッとした。
ジャンがいたら彼女はどうしたか?
きっと同じように海に突進していた。
きっと止めようとするジャンに、こうして海水をかけたはずだ。
自分にしたようにして!
じゃあ、他の男の前では?
彼は笑いだしていた。
彼女が他の男の前で同じことをするわけは無い。
彼女は自分だからジャンがいる時のようにはしゃげるのだ、と。
オスカーは天啓を受けた様な気持ちとなり、その後はオスカーこそ理性が飛んで海に飛び込んでいた。
オスカーは自分こそ子供に返った。
子供のように無邪気になって、アルビーナに飛びついていた。
アルビーナを水浸しにして、抱きしめていたのである。
濡れた衣服のせいで、彼女の体の線はわかりすぎるほどだ。
彼は内側に燃え始めた熱に追い立てられるようにして、腕に抱いた彼女に口づけようとした。
「オスカー!魚がいるわ!」
腕の中で彼女が騒いだ。
彼女の視線を追えば、自分達の周りに魚が集まっていた。
黄色の線がある青くて細い魚だ。
ちゃぷん。
バケツの中の魚が跳ね、再びオスカーをもの思いから覚めさせた。
あの日の彼女にキスをしようとした自分に気が付いた時に、濡れた服が自分の大きくて不格好な身体をも浮き彫りにしていると気がついたそこで、冷水を被ったようにして全身が凍えてしまったようにして。
彼女が自分に脅えたら、この関係はそこで壊れる。
そしてその後はオスカーはアルビーナと同じ屋根の下で過ごしているが、その時に感じた恐怖を忘れられないため、彼女に自分の気持ちを悟られないように過ごしている。
時には拷問のように感じる時もあるが、彼はアルビーナを失う方が怖いのだ。
「そうだ。これでいい。女と男の関係になれなくとも今の俺は幸せじゃないか。家に帰ればプンプンしながらアルビーナが俺に飯を作ってくれる。そして、俺はフランツに約束を取り付けた。彼の今度の休みには彼の妻とアルビーナを船に乗せて釣りに行く約束だ。」
彼女を置いて今日も海釣りに行ったオスカーを、きっと彼女は怒るだろう。
だが、その後に彼女も海釣りに行ける約束を取り付けた報告をしたら、彼女はどれだけ喜んだ顔を彼に見せるのだろうか。
「今度のフランツの休みは、アルビーナの誕生日のちょうど次の日だ。いい誕生日プレゼントになるといいんだけどな。」
そこでオスカーは再びほくそ笑んだ。
アルビーナの誕生日に、物としては何を贈ろうか、と。
「自分の真心だけは受け取って貰えないのが辛い所だけど、ね。」
オスカーは再び家路への道を急いだ。
アルビーナの手料理を考えながら。
彼がアルビーナと住むことになってまず一番驚いたのは、アルビーナが料理上手なことだった。
勿論、彼女にパンが焼けるわけでは無いが、彼女は魚も捌けるうえに、カリっと上手に焼いてくれるのだ。
ちゃぷん。
「悪いな。俺は君がどんな料理にされるかが楽しみなんだよ。逃がしてあげられないなあ。」
オスカーは魚に語りかけるようにして身を屈めたが、そのために今まで気にもしていなかった風景が見えてしまった。
足元に落ちていたカラフルな紙切れ。
それは、救世主ヤン・ヘルツォークが魔都ミザナに舞い戻り、五月二十八日の被害者達の追悼式を七月十五日にしたというチラシだった。
バルタザール十三世は死んだが、西部地区に領地を持つアレクサンダー・フィッツェンハーゲン公爵は依然として権力を持っているし、オスカー達の住まうミラを含んだ北部地方は、ダミアン・ロアストク公爵がロアストクに城を構えて北部全体の政治を執っている。
オスカーは手袋を外すようになったアルビーナを喜ばしく感じているが、彼女が魔女だとしても受け入れられているのは、このロアストク公爵の功績でしかないと考えている。
ロアストクは交易と観光を大事にするために、自分の領地内での余計な魔女狩りを禁止している。
それどころか、罪なき他人を魔女だと名指しした者こそ魔女狩りの魔女と断罪してしまうのである。
「この町でこんな煽動を目的としたチラシなんか。」
かっての自分の上司は、弱者が食いものにされる世界を壊したいとオスカーに語っていたはずだった。
けれども、あの惨劇の日からの彼の動向は、彼を首領としてのルビータの統一ではないかとオスカーに思わせるのである。
アルビーナを銃で撃ち、魔都を混乱と殺戮の場に変えたのが、エドガー・バールと彼女に聞いてもいた。
だからこそ、バールの行動を正当化するようなチラシがオスカーは憎くなり、それを破ってしまおうと足元から拾い上げた。
オスカーはそのまま凍り付いた。
チラシには追悼式の写真も印刷されていた。
写真から絵を起こし、それを版画にして印刷するという手順の為、実際の写真と違っていることなどよくあるものだ。
だが、慰霊碑に向かって祈りを捧げるヤン・ヘルツォークの姿が、オスカーが知りすぎている青年の顔だったのである。
「ジャン。君は生きていたのか?」
彩色されたチラシでは、ジャンの瞳は青かった。
それでも別人だとは決して言えない、写真の中の彼はジャンだった。
「ああ。アルビーナ。」
彼はチラシを粉々にした。
たった今知った真実を消してしまえるぐらいに。
お読みいただきありがとうございます。
これで四章は終わり、明日から五章となります。
互いに死んだと思い込んでいるジャンとアルビーナ。
予知能力あるコンラートさんはどうしたとか、それはそのうちに。




