ドッグタグの知らせ
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ジャンは生きていました。
青年は目覚めた時、何が起きたのか思い出せなかった。
いや、思い出したくはなかった。
自分が愛する人の言葉に従ったばっかりに、彼女が無為に殺されることになったのである。
では、生き残った自分はどうするべきか。
青年は考えるまでも無かった。
後を追う。
彼はがばっと勢いよく上半身をベッドから起こし、そこで体中に走った激痛によって自分の状態を知るや笑いだしていた。
包帯が巻かれてはいたが、その白かった包帯がみるみる真っ赤に染まっていくのである。
槍で貫かれ切り裂かれた傷が、再びぱっくりと開いたようだ。
それをあざ笑うかのように、金貨がぶら下った金の鎖がぶらぶら揺れた。
葬送金貨こそ今の彼に相応しい事この上ない。
「ハハハ。死ねる。これは死ねるな!アルビーナの後追いを頑張らなくても俺は死ねるぞ!」
ぽた、ぽた、と毛布に雫が落ちた。
彼は愛する人を完全に失ったのである。
「ああ、死んでもお前はいない。どうして、生き永らえた。どうして――。」
「君が生き延びる事がアルビーナ様の唯一の望みだったからだ。」
彼が寝ていた殺風景な部屋の戸口には、彼には敵同然の男が朗らかな笑顔で立っていた。
エドガー・バール。
バールは青年の剣を赤ん坊を抱くようにして抱えており、笑顔のまま青年が上半身を起こしているだけのベッドに歩いてきた。
「おはよう。悲しいが日は昇る。私達は生きているのならば、彼女が生きていた証を世界中に知らしめるべきだよ。」
バールは青年に青年の大事な剣を差し出した。
これは火炎魔法を司るアルビーナが、彼の為に魔法錬成した剣である。
ルビータの剣は、細い針金のようなレイピアか、諸刃となった重量のある剣しかない。
だがこの剣は太すぎず細すぎず、長く真っ直ぐで片刃だけというもので、その刀身は鉛色に鈍く輝き、切れ味がとにかく凄まじいという恐るべきものである。
「いらないなら私が貰いたい。これはどうにも恐ろしい剣だな。」
「誰がやるか。俺の宝物だ。」
バールは自分の手から奪う様に剣を取った青年に皮肉な笑いを見せると、自分の右手を青年の血が溢れ出した所に当てた。
真っ赤な包帯の上からで傷の様子など見えなくとも、青年は肩に感じる感覚で傷が塞がっていくのはわかった。
新たな痛みを感じる事も無く、痛みだけが綺麗に抜けていく。
青年は自分に為されたことを驚きを持って見つめて、そして、神の御業を使える男を初めて見るような顔で見返した。
「お前は何者なんだ?」
青年から手をあげたバールは、血が一つも付いていない右の手の平を見せつけてから、両腕を組んで青年を見下ろした。
「それは永遠のテーマだね。自分は何でどこに行くのか。人間の最初の疑問で最後まで答が出せない神の試練ともいえる命題だ。」
バールが物憂げに少々小首を傾げた姿は、若い貴族達の気取った討論会を青年に思い出させ、バールの姿がその参加者の振る舞いに重なった。
「答など無く、それっぽく振舞うだけか。お前も空っぽなのかな?」
「言うね、君は!」
バールは笑いながら腕を解くと、ゆっくりとベッドに腰かけた。
それから身を伸ばして青年に囁いた。
「アルビーナはいまや悪の代名詞となった。」
「貴様のせいだ!」
バールは身を正すと、自分の部下に向ける様な顔を青年に向けた。
これから自分の言葉を聞け、という表情だった。
青年は、言いたい事を言ってみろ、そんな顔を向けた。
ぷはっ。
「ハハハ。君は本当に面白いな。元奴隷?そんな素振りが一切ない。君のそんな所があの優しい彼女を虜にしたのかな。ジャン。」
「その名前で呼ぶな。」
「呼んでいいのはアルビーナ様だけか。そこが無ければ王様みたいなのに。残念だねえ、ヤン。」
「ハッ!貧民街生まれの俺は、いつだって奴隷でしかないよ。アルビーナの奴隷だ。だってさ、あいつは俺を王様みたいに扱うんだ。人の顔色を窺うな、誇り高くあれってね。俺が我儘であればあるほど、あいつは喜ぶんだ。」
ジャンはびくっと震えた。
彼が涙を流してしまった事ではなく、バールがジャンの流すその涙を右手で拭って来たからだ。
バールの優しさに触れたとジャンが考えたからではなく、持って生まれたジャンの警戒心が仕事をしただけである。
「良いな。君はいいよ。私は最近大事な犬を失ってしまった。ああ、残念だ。大事に育てて、この世の救世主にしてやろうとまで思っていたのに。」
「バール?」
「ハハハ。笑ってくれ。人を愛せない人間は人を助ける事は出来ない。優しすぎる人間は人を断罪する事など出来ない。だから彼の恋心を私は見逃していたんだが、それでとんだポカをしてしまったんだよ?」
「バール。そいつは?」
バールはベッドから腰を上げるとベッドのジャンに向き直った。
そして彼は、左手をジャンの前に差し出した。
バールの左の手の平にある金属のタグは、ジャンも知っている兵士達が胸に下げている認識票である。
それも酷く焦げて煤けていた。
文字の判別も出来ないほどに、熱で溶けてひしゃげてもいる。
「オスカー・ウッツの物だ。あの馬鹿は自殺したようだ。」
「え?」
「アルビーナはバルタザールの魔法陣を壊す目的でメテオを落した。それも最大級の今だかって無い大きさの奴だった。私達はメテオから逃れるのに必死で、怪我人しか連れ出せなかった。それで、遺体を収容しに行ってみれば、ハハハ、戦列にはいなかったはずの奴のこれが落ちていた。」
「文字なんて読めないじゃないか。」
「数字は読めた。奴の番号だ。それで見つかった場所は、アルビーナ様が閉じ込められていただろう場所、魔法陣を止めるために自分の上にメテオを落としたという、その場所だった。」
「畜生!だったら生きていたって事か!あいつは生きていたって事か!お前はあいつが死んだって言ったじゃないか!」
「ああ。言った。だが嘘じゃない。彼女が凄かっただけだ。最高の魔術師はタイムラグで魔法を発動できるんだよ?彼女は最高の術者だった。それだけの話で、ウッツは勝手に彼女の為に殉死した。それだけの話だ。」
バールは金属のタグを持つ手をぐるっと回すと、それを再びどこぞに隠した。
魔法使いというよりも手品師のような振る舞いをした男は、空になった手をジャンの右肩に乗せた。
「誰からも愛され、誰もの幸福を願ったアルビーナ様。彼女の素晴らしさを知っているのは死んでいる奴だけでいいのか?何も知らずに生きている奴は、結果として彼女によって魔法陣が回ったという事実だけで、彼女をこの世の最悪な悪人と罵り、単なる殺人への欲求を正義と言い張って実行しているぞ。」
「アルビーナの名を汚す奴は殺す。」
「それでこそ、君だ。」
ジャンは剣をぎゅうと抱きしめた。
バールには嘘が多く、そんな奴が自分を何かに仕立てようとしているのは、ジャンはとっくに気が付いていた。
だが、ジャンはアルビーナを失った咎を誰かに受けさせたい気持ちだったから、それは全くかまわなかった。
ジャンの心の中は正義も悪も無く、全てに牙をむいて壊してしまいたい、それだけしか残っていなかったのである。




