お邪魔ですわよ?
私が仰天しながら見つめる中、女性はオスカーに身を寄せた。
それから、オスカーの耳に毒を囁いたようである。
彼女がオスカーに囁いた言葉が毒だと思うのは、彼女が色っぽい眼つきで舌で唇を舐めながらオスカーに囁いた様と、囁かれたオスカーが真っ赤に顔を染めたという結果からの推測である。
だって、何一つ私には聞こえなかったし、私には読唇術など無いもの。
「ねえ、雇って下さる?」
ぎゅむ!
きゃあと思わす声が出そうなほど、オスカーが私の頭をわし掴んだ。
「結構です!べ、べベッドには私はこの方しかいりません!この方を愚弄するような方など雇う気はございません!」
馬車中に聞こる大声で、それも裏返った声をオスカーは出した。
毒を囁かれたどころか、誘われちゃったんだ。
いや、それこそが純情なオスカーには毒か?
私は再び目線だけでも動かして、オスカーの顔を見つめた。
女性に言い寄られたばかりのオスカーは、あら、真っ赤になって口惜しいような顔付をしていた。
誘いを断ることが口惜しいのではなく、こんな誘いを受ける様になった自分が軽薄になったようで恥ずかしい、そんな風である。
あらあなたは、誰の目にも止まらないって、嘆いていた人だったのに。
でも、この四日間を思い返してみると、そう言えば、常にオスカーは女性に話しかけられていなかったか?という感じだった。
確かに、オスカーの外見は、兵士だったころよりも逃亡者になってからの方が、たった四日なのに、格段に違いが分かるほど良くなっているのである。
今までは人を寄せ付けない硬質なオーラを纏った怖い人だったのに、今やラブラドールレトリバーぐらいに近づきやすくて可愛らしい人になってしまっているから?
それじゃあ、もともと顔立ちが良かった人だもの、女性の興味を引くわよね。
でも、どうしてこの逃亡中に?
ブラック会社に勤めている社畜がぎすぎすしてしまう様に、君はバールという最低上司の元でとっても苦労していたからこそ硬かったのかな?
私の中のバールへの敵愾心が、そのままバールに苦労していたオスカーへの同情へと変換された。
そこで私はオスカーを助けてあげたい気持ちになった。
「小間使いなどいりません。私とあなたは二人だけを楽しむの。そうでしょう?」
駆け落ちしたばかりの女性が恋人に言うだろう台詞を言ってみたのだが、あらまあ!どうした事だろう。
オスカーは私の胸がきゅうと締め付けられる表情を返して来たのだ。
子供が宝物を見つけた様な顔。
「私は妻どころか恋人なんて夢で。」
オスカーが寂しそうに言った台詞が思い出された。
私は自分の頭にあったオスカーの左手に自分の左手を重ねた。
彼が私にために死んでしまうかもしれない人ならば、一緒にいる時は互いに少しでも幸せを感じるように過ごそう。
この人を大事にしよう。
私に残された、私が信じられる、たった一人の人なのだから。
私の考えが通じたからか、オスカーが右手の指先で私の頬を突いた。
「ペルレ。心配いらないよ。小間使いがいないなら、私は君の美しい髪をいくらでも梳いて見せるし、君のドレスの後ろボタンだって私に任せてくれ。」
「じゃあ、私もあなたの髪をとかしてあげるわね。」
ぼん、と音がしたぐらいに、オスカーは真っ赤になった。
可愛い。
きっと隣りの彼女がしつこいのは、このオスカーの反応が楽しかったからかしら、というぐらいにオスカーは真っ赤で可愛らしかった。
私はくすくす笑いながら、オスカーの顔にむけて左手を持ち上げてしまった。
「綺麗な爪ですわね、奥様。まるで火炎魔法を持っている魔女みたい。」
私はオスカーに伸ばした手をぎゅっと拳にして、すぐに自分の胸元に隠した。
そして、ぞくっと体を震わせた。
馬車の中の他の乗客に、私の身の上を知られたかもしれない恐怖ではない。
オスカーが発している殺気である。
「いい加減にしてくれないか。私への侮辱、妻への侮辱、私はこれ以上は我慢が出来ない。妻は私との結婚に際して、バルザミーネ(ホウセンカ)で爪を染めてくれたんだ。紅の爪は魔を払い幸せを呼ぶと言うではないか!」
「も、申し訳ありません。侮辱だなんて!ただ綺麗だったから褒めただけです。だってほら、上流貴族の方々は炎の魔法を司る方が多くて、どの方も綺麗な爪をしていらしたから、ただ素敵だなって例えただけです。お許しください!」
キンキン声で謝罪をしてきたが、その声によって今まで注意を向けていなかった乗客達が私達に対して顔を向けてきた。
また、上流貴族、という単語によって、恐らくも何も今のみすぼらしい状況は全て貴族達のせいだというバールの煽動に使われる言葉を、彼らは思い出したかもしれない。
私達は乗合馬車に乗るような人間が着る服を着ていない。
彼らから見れば、確実に上の階級の憎む相手だ。
私は大きな手と腕によって、抱き起されて抱き締められた。
誰かが何かを企めば、彼は私を腕に抱いて戦うつもりだ。
十人殺しても三十人が襲ってくる。
バールの言葉が思い出された。
私はオスカーの上着を掴み、彼の胸に顔を埋めた。
「ごめんなさい!あなた!今日という門出の日ぐらい一張羅を着て過ごしたいなんて我儘を言ってごめんなさい!それで、それで、変な人に纏わりつかれちゃってごめんなさい!全部私のせいだわ!爪なんて染めたから!気合を入れておしゃれをしたから!」
どうだ。
まだ十五歳の私の方が、耳障りなキンキン声が出せるぞ。
気取り返った貴族風では尚更に疑惑を持たれるだろうが、単なるバカップルを演じれば、注目されても誤魔化せるような気がしたのだ。
って、きゃああ、苦しいぐらいに抱き返された!
「わたしこそすまない!君には苦労を掛けてばかりだ。だが、約束しよう。お前を飢えさせることなんか絶対ない!」
私の考えをいち早く察して大声で叫んだくれたオスカーには、私は花丸どころか演技賞を与えたいぐらいだ。
私はよくやったと褒め称えるようにして、オスカーの頬にキスをした。
「最高よ、ハーゼ。」
「ちくしょう!私こそ最高だよ!絶対に君を幸せにしてやる!」
「わああ!嬉しいわ!あなた!」
私達は芝居がかった風にして、さらにぎゅうと抱き合って叫び合った。
するとちょうど思った通りに、私達に数分前まで不穏な疑惑を持っていた乗客が私達から興味を失うきっかけの怒号が上がった。
「うるせえよ!お前ら。こっちは眠いんだ。静かにしろ!」
私達は顔を見合わせ微笑み合った。
そして私はオスカーの腕の中にいるまま、オスカーの肩に頭を乗せていた。
気分が悪い時に大声をあげると少しは楽になるものだが、私のは馬車酔いではなく銃創の傷が痛むだけだ。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。次の停留所までもうすぐでしょう?」
「ええ。すぐです。そこで今日は宿を取りましょう。」
「それではいつまでたっても駅に辿り着かないわね。」
「いいんですよ。私はあなたと一緒にいられれば。あなたが私の腕の中で鼓動を打っていてくれるなら、どこにも行けなくたってもかまいません。」
「いやだ。海には連れて行って。行きたいの。」
私を抱く腕は強くなった。
そして掠れた低い声で彼は私に囁いた。
「約束します。」




