駅に着いたら?
侯爵家の馬車にしか乗った事のない私は、乗合馬車の乗り心地の悪さに辟易どころではなかった。
振動が傷に響く。
ぎゅうぎゅう詰めの人の体臭で胸が咽かえる。
「ペルレ、私の膝に横になって。」
断るべきだろうが、すでに私はオスカーに抱えられているような座り方だ。
そして、私の肉体は限界だった。
「あなたの足の上に吐きそうよ?」
「構わない。楽になるならいくらでも吐いちゃっていいよ。」
ジャンだったら、ええ、ジャンだったら同じ行動を取るわね。
いいえ。
ジャンだったら、私をとっくに馬車から降ろしている。
その後が危険となろうが、彼は私の具合が悪いそこで我慢が出来なくなる。
「ペルレ?」
「ええ。ハーゼ。あなたの膝を借りるわ。」
「光栄です。ついでに子守唄も歌いましょうか?」
私はオスカーの膝に体を横たえた後、彼の膝をぴしゃりと叩いた。
上の方からクスクス笑いが零れた。
「奥様の具合が悪いのですか?」
馬車でオスカーの右横に座っていた女性がオスカーに声をかけた。
すると、私の頭を大きな手が撫でるようにして包んだ。
私の顔を覗かれないようにするつもりだろうと、私は顔をオスカーの膝に隠せるように身じろぎをした。
私の鼻がオスカーの膝を擦り、私に添えられたオスカーの手に力が籠った。
「ごめん、くすぐったかった?」
「だ、大丈夫です。」
「あら、でも、だって。奥様は大丈夫そうには見えませんけれど?」
少し声を裏返して私に答えたオスカーであるが、オスカーの隣に座っていた女性はそれを自分への返答だと思ったようだ。
でも、大丈夫って言葉を聞いたのだから、もう私達に構う必要は無いでしょう?
「次の停留所で私が奥様の介抱をいたしますわよ?旦那様もお辛いでしょう?」
うわあ、凄く親切な、人?
そして、彼女に返答するオスカーの声はなぜか裏返っていた。
「い、いいえ!大丈夫ですから。」
「あらだって。奥様がお病気でしたら、女手が必要でしょう?」
「え、ええ。あの、その。病気ではありません!私達は恥ずかしながらの駆け落ち婚でして。ハハハ。私の子が彼女の中にいるものですから。」
こらこら、勝手な設定を作って私の演技のハードルを上げるな!
どんな状態って聞かれても、妊娠したことない私は答えられないぞ!
「まあ!それでは尚更に奥様の介助人が必要ですわよ。ええ、ええ、私は何度かそんな経験がありますの。駆け落ちでは奥様の小間使いも何も連れて来られなかったのでしょう?私でしたら奥様のお世話役ができますわよ。」
ご婦人は親切心からではなく、職探し中だったからの声掛けだったのか。
そう言えば私もオスカーも乗合馬車に乗るような格好をしていない。
私達は王城を逃げ出した後、店員も店主も逃げて無人となった魔都の仕立て屋を襲い、そこで逃亡用の衣服を手に入れたのである。
侯爵家の紋章入りドレスを着ていては、いくらプロの警護人だったオスカーでも、私を連れて逃げるなんてできないだろう。
だが、私達は悪人ではない。
ちゃんと王城から盗んだ金貨で服代は払っている。
そして、金貨はまだまだある。
逃亡にしても復讐にしても、まず用意すべきものは金だもの。
しかし、そのせいで余計な人達をも呼び寄せてしまう、とは!
「ご心配ありがとうございます。ですが私は自分が妻の助けになれる事こそが幸せで楽しくて堪らないのです。」
「まあ!お熱くていらっしゃる。でも、旦那様。奥様には同じ女性がおそばにいた方がよろしいと思いますわよ。」
「そうですね。その時にはお願いします。ですが今は、私は私一人で彼女を守れると彼女に知ってもらいたのです。大事な、大事な人ですからね。」
私はオスカーの言葉に涙が零れた。
ジャンという全てを失った私は、大事だと人に言われる事がこんなにも自分を癒してくれるとは思わなかった。
それなのに、彼がジャンじゃない、としか思えない自分が情けなかった。
オスカーは真っ当な人だ。
真っ当だからこそ上司の行動のすべてを知ったからと上司と決別し、私を助けて逃亡者となってくれたのに!
彼こそ大事な人達や人生を捨ててしまっただろうと言うのに。
ぐす。
「ペルレ?」
「何でも無いわ。何でも。早く安心して落ち着けるところに行きたいわ。」
「ああ、そうですね。あなたはどんな場所が好きですか?あなたの生きたいところに私はあなたを連れていきますよ。」
私は目を瞑った。
前世の私の大好きだった場所、それは海だった。
海風の匂いはそんなに好きではなかったけれど、海のある風景は好きだった。
「海に行きたいわ。新鮮なお魚が食べたい。」
「いいですね。ええ、私も海が大好きです。では、駅に着いたら、私達は海に面した北部への電車に乗りましょう。」
「まあ!それならばミラに参りましょうよ!私も一度はその町に行ってみたかったの。ええ、ええ!着くまで私が奥様のお相手や介助をしてあげますわ。」
ルビータ北部のミラという観光地は、大きな港町であり人の出入りが激しい。
よって、この煩い女性の次の就職口も見つかるだろう。
けれど、ここからは遠すぎる。
ミラまでの汽車の乗車券代だって、彼女に払えないのは確実だ。
裕福そうな私達に取りついて、私達に旅費を払わせるつもりか。
すごく逞しいな。
私はオスカーの膝の上でそっと身じろぎし、私達に必死に憑りつこうとしている女性の顔を盗み見た。
なんと、年を重ねている女性かと思えば、パーラーメイドが出来そうなほどに可愛らしい外見をした年若い女性であった。
それだけでなく、彼女の目はオスカーから剥がれる事は無いだろうと思わせるぐらいにオスカーを見つめている。
職なんかでなく、オスカーこそが目当てだったのか?
※パーラーメイド 接客担当のメイドであり、外見が良い若い女性が選ばれる。




