ジャンはジャンでしか無いらしい
ウッツの見守る中で、コンラートという名の執事が恭しくジャンに頭を下げ、すぐに顔をあげるや、パンと両手を叩いた。
すると、侯爵の書斎の両開きの扉は、大きく開かれた。
お仕着せの召使いに先導されながら青年が室内に入ってきたが、その長身の青年は、ウッツには見覚えのある上着、カンターレ侯爵の紋が刺繍された上着を羽織っていた。
アルビーナの従兄のアロイス・バックハウスだと、ウッツは憎らしく思いながらその青年を睨んだ。
彼の中では、アロイスも死んだアロイスの父も、アルビーナの敵でしかない。
さて、当のアロイスであるが、四年間の長い幽閉生活が見える風貌であった。
白っぽい金髪は囚人だったからか殆ど坊主に刈られ、長い幽閉生活で日が当たらなかったからか、肌は青白く、体もかなり痩せていた。
そのせいか整った顔立ちも相まって、アロイスを数年は若く見せていた。
「そうだ。数年!たった四年前なのに!ヤン君!」
アルビーナを殺そうと企んだ男をどうして、と、ウッツはジャンを睨んだ。
同じようにして、自由にしてもらったはずのアロイスは、自分を解放したジャンに感謝の視線を向けるどころか、虫けらを見るような目で睨んでいた。
「お前はアルビーナに反旗を翻すと?それで私にゴマすりなのか?」
ジャンは、ハハハと、若くて汚れの無い笑い声をあげた。
本当に腹に一物も無い、溌溂とした笑い声をあげたのである。
どうしたのかとジャンを見つめれば、彼は書斎机に寄りかかり、アロイスに対して旧来の友人にするような気さくな声で答えを返した。
「俺は一抜けるんだよ。俺は侯爵位なんかどうでもいい。それで、アルビーナが俺の女房になるんならさ、俺はアルビーナをただの女にしたい。何が人間狩りだ!処刑の号令だ!こんな辛い目にばっかり遭うだけならね、俺はあいつを連れて逃げたい。で、そこで、邪魔な侯爵領なんてもんをあんたに返還したいって事だ。」
「歴史ある侯爵家を、邪魔?貴様は!」
ジャンは軽く笑いながら、右の手の平をアロイスに向かって閃かせた。
「そこだよ。俺はどうでもいいんだ。だけどさ、この領地に住む人達には大事な場所なんだろう?お前がこんなにも欲しくて堪らないのは、この領地に対して思い入れがあるからだろう?」
そこでジャンは言葉を切ると、魔都の海千山千の貴族達を魅了した笑みを顔に貼り付けたまま、アロイスをじっと見つめた。
この顔で見つめられた人間は、全員が全員陥落した事をウッツは知っている。
議会でジャンを小馬鹿にしたり異議を唱えた人間に対して、ジャンはいつもこの笑みでこんな風にしてじっと見つめるのだ。
すると、全員が全員、頬を赤らめて口を閉じてしまうのである。
ウッツはこの笑みがどうして威力があるのかわかっている。
ウッツには望んでも手に入らない、カリスマを、ジャンが持っているからだ。
そして、例にもれず、アロイスはお前が何を知っているとジャンを罵るどころか、ジャンの言う通りだ、なんて追従する言葉を返したのである。
「だよな。あんたはこの領地を愛してこの先を憂いるからこそ、女であるアルビーナから奪いたかった。そうだったんだろう?」
「そうだ。知っていて私を四年も幽閉していたとは、やはりあの性悪女の愛人だけあるな。」
パシン。
ジャンは書斎机の天板をかなり強く叩いた。
「すまない。アルビーナへの侮辱を聞くと俺は反射的に手が出るみたいだ。で、四年前のお前こそ、酒と我執ばかりが頭に詰まっていたけどさ、今は頭は冷えているんだろう?もう大丈夫なんだろう?」
そこでアロイスは両目を細めてジャンを眇め見た。
「――私を解放すれば王への反逆になるのでは?」
ジャンは両手を合わせ、その指先を顎先に付けた。
お願いしているように見えるが、ただ彼をチャーミングに見せるポーズでしか無いようにも見えた。
「大丈夫だよ。俺が王を殺す。結婚前の俺はこの領地には関係ない人だ。いや、関係あるアルビーナは俺が国外に逃げる為の人質でもらっていく。そこで、前王に酷い目に遭わされたあんたがこの地に必要になる。」
「き、きさ、貴様は!貴様こそ侯爵家を潰す気か!王を弑するとは何事だ!」
アロイスの怒声に対し、ジャンは静かに立ち直した。
そしてその姿勢を正した彼は、部屋中の人間の注意を集められる声と台詞を吐いたのだ。
激高しているどころか、言い聞かせるような、上に立つ人間の声であった。
「その王が何をしてくれた!その王は何をしようとしている!民無くして王など国など存在しない!この侯爵領だって同じことだ!そうであろう!」
書斎にいる人間、アロイスと執事はもとより、書斎に集められていた領地の差配人も単なる召使いも、ジャンを見誤っていたと息を呑んだ。
ウッツこそ、憎いはずのジャンの言葉に頷いていた。
生まれながらにして人を従えられる人間は存在する。
ウッツは、ジャンがそうだと確信し、慟哭した。
自分がジャンの足元に一生及ばない人間だと、彼は認めるしか無かったからだ。
「おま、おまえは。」
「アロイス。後は頼む。心配するな。ここには先を見通せるコンラート様がおわされる。なあ、コンラート。」
コンラートは胸に手を当ててジャンに追従の姿勢を見せた。
そして、領地と責任を従兄に押し付けると、ジャンはそのまま自室に戻るような雰囲気で書斎を出て、そのまままっすぐと厩に向かったのである。
ジャンの警護に付けられていたウッツだ。
ジャンの後を追っていた彼だが、ジャンはウッツなどいないようにして、ウッツ目の前で馬に鞍をつけ、そのまま馬を駆けさせようとしているではないか。
「どこに行く!」
「アルビーナの所だ。」
「ちょっと!旅の用意は!」
「元は奴隷だ。着の身着のままに慣れている。ていうかさ、ハハハ。俺は荷造りが出来ない男なんだ。」
「君は!」
ウッツはジャンに呆れた声をあげると、すぐに自分が与えられた部屋へと駆け戻って行った。
貴族でもない彼は、荷物を簡単に捨てされない身の上である。
そして彼が馬屋に戻ればすでにジャンの姿が無く、彼は馬に鞍を乗せると、ジャンの後を追いかけて馬を走らせた。
「彼は最初からこれが目的だったのか!」
ジャンが素直にカンターレ侯爵領に向かい、そこに滞在して活動していたのは、アロイスに押し付ける段取りを整えていただけだったとは!
「あんなに惚れた人の願いを彼は聞かないのか!」
ウッツは馬を疾走させながらぼやき、ぼやきながらジャンに舌を巻いていた。
ジャンは今日までの侯爵領での滞在日数、二週間足らずでアロイスに押し付ける段取りをしてしまったのである。
「すごいな。女神が愛するわけだよ。」
賞賛しながら、ウッツは虚しくなっていった。
だが、ウッツがジャンの馬に追いついたそこで、ジャンはウッツが感嘆していた書斎で見せた姿などかなぐり捨てて、十九歳よりも幼い喋り方でウッツにがなり立ててきたのである。
「お前は付いてくるなよ!てか、なんで追いつくんだよ!」
「あなたの馬の扱いがなっていないからです。そんなあなた一人で王への反逆など出来ません!失敗したらアルビーナ様の身が危ないじゃないですか!」
「お前ひとりでどうなるんだよ!」
自分が人の上に立つことが出来ない人間だとしても、正義を執行する人間への助力はいくらでもできるという自負がある。
「自分の戦闘力はあなたよりも上です!」
「ちくしょうが!」
お読みいただきありがとうございます。
ジャンはやっぱり柴犬の行動しか取りません。
そして、ウッツを犬とした場合のイメージは、ベルジアン・シェパードドッグ・クローネンダールです。
あの真っ黒でカッコよい奴です。
ウッツとジャンは、命令遂行が基本な人と絶対命令聞かない人、そんな組み合わせです。




