とある朴念仁の心の吐露
ウッツの目の前で、十九歳になったばかりの青年が、生まれながらの上に立つ人間として振舞っていた。
元奴隷のジャン。
だが、ジャンはウッツにはジャンと呼ばせない。
いや、ウッツだけではない。
ジャンは本名こそジャンと読むらしいが、アルビーナ以外の人間にはジャンとは呼ばせずに、ルビータ風の読みとなるヤンと呼ばせているのである。
それはアルビーナが彼にお願いした我儘だからという。
なんと、恋した人に盲目で、一途すぎる唐変木であろうか。
ウッツはそんな風にジャンを当初は考えていた。
だが実際は、想い人と離れた途端に、ジャンは冷静な大人の振る舞いしかしないのだ。
今回もそうである。
ジャンは領地に付くやいなや、すぐさまに自分の仕事をし始めた。
カンターレ侯爵領に魔都の避難民を受け入れた場合の想定をして要人を集め、収容場所や食料などの確保に動き始めたのである。
ウッツが見守るようにして眺める中、精力的に人を動かして動き回るジャンは、侯爵代理としての紳士のスーツではなく、四年前のように詰襟を着ていた。
四年前と違い一つもボタンを嵌めていなかったが、それは下に着ている白いシャツの襟元で結んだ水色のスカーフを見せつける為だろう、とウッツは思った。
あのスカーフは、アルビーナからの贈り物だ。
ウッツはスカーフから目を逸らした。
すると、ジャンの腰にぶら下る剣が目に入った。
彼が愛用する剣は鉄製で、この世界では珍しい形の真っ直ぐなものである。
アルビーナが考案したらしいが、あれは実際に切れ味が良くて使いやすいとウッツは知っており、同じものが欲しいと望んでいる。
いや、バールの隊は、誰しもあれと同じ剣が欲しいと望んでいるのである。
けれどそれには、アルビーナの寵愛が必要となるだろうと、ウッツは忌々しく、とてつもなくジャンを羨ましく感じた。
彼がジャンに以前に聞いた事によると、ジャンの愛刀は、アルビーナ自身が魔法によって錬成した剣だというのである。
そして、ジャンは愛刀一辺倒の剣士でもあるが、彼が戦闘に際して柔軟に動ける証拠を、剣と一緒に腰にぶら下げている。
ウッツの勧めで魔都で購入した、ホルスターと拳銃だ。
そうだ、と、そこでウッツは思い出した。
ジャンは魔都に上京するたびに、ウッツの上司であるバールに対して思う所がかなりあるはずなのに、ウッツに銃器の扱いの教えを乞いに来ていた、と。
ジャンは目的の為ならば己を消せる人間か?
それともウッツなどものの数にも考えていないだけか?
鬱々とした気分になりかけた時、ウッツの頭の中で懐かしい声が響いた。
「この子に銃の扱い方を教えて欲しいの。」
「そうだよな。君はあの方の為にしか動かないんだよな。あの方の願いならば、羞恥に身を沈めても叶えようと努力するか。」
呟いて、ウッツは自分こそ、と思い至った。
素敵だ、と、社交辞令ではなく褒められたのは、ウッツにとってアルビーナが初めての人である。
その後、彼女の言うように笑うようにしてみれば、以前よりも女性に好意的に取られ、恋のお遊びに誘われるなんてこともあったのだ。
よって、ウッツにとってアルビーナは、人生を変えてくれた運命の女神のような人である。
そして、女神だからこそ手に入らないと諦めてもいた。
否、素敵な少女だと思っていただけが、再会した時の成長した彼女を一目見て、彼は心を奪われてしまったのである。
まだ少女の年齢でしか無いのに、彼女の眼差しは大人びていた。
漆黒の髪も瞳も、バラ色の霞を纏って艶やかに輝く。
人形のような硬質的な顔の作りでありながら、ウッツの存在を知った途端に心から嬉しいという風に顔を綻ばせ、一瞬で天使のような柔らかさの笑みを見せた。
彼の心が彼女に奪われてしまったのも無理が無いだろう。
まるで、おかえりなさい、と、彼にはいるはずのない家族に言われたような彼女の素振りだったのである。
だが、彼女は侯爵様で、彼は単なる下っ端の兵隊でしかない。
彼は恋心など隠し通せるつもりだった。
それが今や辛くて仕方が無いのは、誰の手にも入らない女神を手に入れた男がウッツの目の前にいるからである。
誰の手にも入らないのならば、ウッツは自分の中に沸く劣情を知らない振りが出来たはずだが、ジャンはアルビーナに愛されて彼女の体まで手に入れた。
そこでウッツの思考はまた元に戻った。
アルビーナに愛されるジャンを考察し、自分と違う彼に羨望し嫉妬し、そして落ち込むという悪循環だ。
ウッツが望んでも手に入らない外見の美しさと、ついぞ黙り込んで耐えてしまう彼とは反対に、火花のように怒りを散らせる激しい気性。
ジャンはそれらを兼ね備えた人物なのだ。
嫉妬、そんな焼石を永遠に胸に抱き続けねばならないのだと考えると、ウッツは自分の情けなさに乾いた笑いしか湧いて出なかった。
「コンラート。アロイスは幽閉部屋から引き出してここに呼んでくれたな?」
ジャンの声にウッツは物思いどころではなくなった。
アロイスはアルビーナとジャンを暗殺しようと男だったはずだ。
そんな奴を呼んだ?
アルビーナへの裏切りだとウッツは考え、そのすぐ後に、自分がそんなジャンの行動を喜んでいたことに気が付いて自分を罵った。
馬鹿だな。
それでも彼女が自分の手に入るはずはないと言うのに。
「すぐにこちらに参ります。」
ウッツは執事の声にハッとした。
そして、気持を入れ替えるのだと自分を叱責しながら、ウッツは書斎の扉の方を見返した。




