◆0004 蘇芳 若月
朱色に彩られたソファに腰かけ、もう若くはないと呟く青年。
三十代に見えなくはないが、二十代と云われても納得のいく顔をしている。纏う雰囲気が落ち着いているのは昔からなのだと萌葱が告げ、俺の宿敵とその連れも頷いた。
広い大接間に一同が会したのはもう日も落ちた午後六時だった。
無理矢理引っ張ってきた俺の連れ、貝塚悠基はすっかり機嫌を直して、俺の敵だと教えておいたはずの男とも和気あいあいと話している。
仕様がないやつだ。
敵は人と交流を持つのが上手い。
商売人の鑑は人と上手く共存できるかどうかなのだと、それしか特技のない敵は俺の幼少の頃から語っていた。ただ図太い神経なだけだということを解っていない。
敵の連れはいつも通り微笑んでいるだけで、決してしゃしゃり出たりはしない。貞淑な妻なのだ。
俺は敵ほどにこの連れが嫌いではないが、痛々しいというか、敵に全てを吸い取られた絞りカス的存在というか、とにかく悲しくなるので見ないようにしている。
「最後にお会いしたのは、五年前のお葬式の時ですよ」
若月さんがそう応えると、質問した悠基が重ねて言った。
「へぇ、蘇芳も一応爺さんの葬式には帰ってたんだな」
あまり喋りたくないのに、この連れ(この場合俺の連れだが)、うるさい。
「ああ・・・・・・」
頼む、黙れ。
「なんだ、蘇芳、あんまり食ってないな。それ以上痩せてどうすんだよ」
隣りからフォークで厚い牛ステーキを一切れ、いや二切れ奪っていく。
とにかく黙れ。肉くらいやるから、話しかけんな。
俺は周りに気づかれないように隣のうるさい男を睨んだ。すると、そいつはニヤニヤ笑ってやがった。
畜生、連れて来るんじゃなかった。あっ、もしかして無理矢理連れて来た報復か? 俺としたことが、最大にして最高に惨めな失敗を・・・・・・。
「あれ、若月さん顔色悪いんじゃないですか?」
ん? 新たなる敵、悠基の発言に俺も若月さんを見ると、その横に座っている萌葱が言った。
「今日ここへ着くなり倒れたの。疲れてらっしゃるようだから、そろそろお休みになった方がいいかも」
「大丈夫ですよ。軽い貧血だと思います」
しかし萌葱に逆らえるはずもなく、若月さんは引き摺られるように大接間を出て行った。
あの二人はまだ仲が良いらしいな、というようなことを考えている場合ではなくなってきた。あの二人がいなくなったら、・・・・・・俺って敵の掌中。
嫌だぁぁ、だから帰って来たくなかったんだ。
萌葱が怖がってるから帰って来たのに、当の萌葱は五年ぶりの若月さんにべったりだし、絶対明日には帰ってやる。誰がなんと言おうと帰ってやる。
「蘇芳、俺ちょっと」
えっ? 俺の思考を中断させるがごとく、悠基が唐突に立ち上がった。
「悠基? どこ行くんだよ?」
「便所」
げっ、またこいつ笑ってやがる。
「帰って来んな!」
「いいのか?そんなこと言って」
意味深なニヤニヤ笑いに、俺の顔が引きつる。
こいつ、悪魔だ。
「ちょっと失礼します」
悠基がさっさとトイレ(嘘っぽいが)に行ってしまうと、だだっ広い大接間に重い静寂が圧し掛かってきた。
宿敵と連れは黙々とコーヒーを飲んでいる。
俺もトイレに立とっかなぁ。
その前に敵が動いた。
「蘇芳、大阪で頑張ってるか?」
まずは探りを入れてきたか。
「ええ」
「私の会社を継ぐ気はまだないのか?」
「・・・・・・そのことについてはもう承諾済みでしょう」
「何を承諾したかね、私が」
はぁ、だから嫌だったのに。
まともに相手したくないんだよ、俺とあんたは相容れないの解ってるから。
「会社なら葵姉の旦那が継げばいい。俺は俺で好きなことをする権利があるはずだ」
「おまえは東雲の長男なんだぞ。」
長男、ね。
自分の意思に逆らって生きるのが長男の努めか?
あんたは間違ってるよ。後なんか継ぎたいやつが継げばいい。
俺の将来は俺が作るんであって、老いたあんたは糞の役にも立たないってのが、なんで解んないんだ。
三代目はロクデナシ、決まってんだろ。
「俺は今の仕事おもしろいし、辞める気ないから」
「わざわざいつ潰れるかもわからん小さな事務所に入って、バカ共にへつらうのが面白いのか?」
「バカ共、それはもちろん悠基のことも入るんだな」
「あの男はマシそうだが、おまえとは釣り合わん」
悠基に後で教えてやろう。
「彼は国立大の工学部出ですよ。俺なんかよりよっぽど頭は良い。確かに釣り合わないかな、俺バカですからねぇ」
敵は渋い顔をさらに歪めた。ざまぁみろだ。
「お父様は蘇芳さんのことを心配して言ってくださってるのよ」
今度は連れか、面倒くさいなぁ。
悠基のやつ早く戻ってくりゃいいのに、本気で戻ってこないつもりか?
「わかってますよ、母さん。でも俺は――――」
「おまえはもう大阪に戻らなくていい。こちらからその会社に話をつけておいてやろう。わかったな?」
こいつら、マジでどうしてくれよう。
「だから、俺はあんたのそういうところが――――」
「いやぁ、まいったまいった。この家デカイから迷いそうになったぜ」
ゆ、悠基。
「ん? 蘇芳、どうかしたのか?」
・・・・・・やべぇ、怒鳴り散らすところだったぜ。
「お、遅かったな」
「なんだ、やっぱり待ってたのか」
またいやらしくニヤニヤしている。
「違うっての」
しかし、悠基が来たことで宿敵と連れは気まずそうに席を立った。
「貝塚さん、私達もそろそろこの辺で」
連れがわざとらしく微笑む。心無い笑顔は能面のようだ。しかし。
悠基も愛想良く、
「そうですか。それじゃあ、おやすみなさい」
と返し、敵と連れは去った。
やっと去った。今日はもう会うことはない。明日会うけど。それも明日帰れば当分会わなくていいのだ。
二年前、葵姉の結婚式にも実はこっそり行って、葵姉にはお祝いを言った。
あの二人には会わないように瑠璃姉にセッティングしてもらったけど。
「強烈だな」
女中がテーブルを片し始めたので、俺と悠基は一旦俺の部屋に行くことにした。
俺の部屋は三階の東の端、三階は七室あるがその一室だ。
「何がだ?」
「親父さんだよ。ありゃあ絶対に折れないぜ」
こいつ話しているのを聞いていたようだ。だったらさっさと戻ってこいっての。
「調子いいなぁ。おまえ仲良さそうに喋ってただろ」
「うん、でも悪い人ではない、と思う。少々頭固いし、融通効かなさそうだけどな。学歴主義の大人は今の日本には山ほどいるんだぜ?」
悠基、それって悪口に入るぞ。
白い壁に掛かった絵画。
紅茶の香りが漂う。
お嬢の手が私の額を押すように当てられる。
「熱はないわね」
「ええ」
早く一人になりたい。
お嬢は冷めた紅茶に口をつけると、私が言うより先に言った。
「でももう寝た方がいいわね。何かあったらそこの電話で301を押して。あたしの部屋に繋がるわ」
「わかりました」
パチン、と照明が消され、お嬢のシルエットが紅茶のトレイを持って行ってしまうと、私はやっと一人になれた。
朝から色々あったせいか、私が神経質なせいか、どちらにしろかなり疲れていた。
睡魔はすぐに襲ってきて、長い悪夢が始まる。それは過去の出来事であり、未来に起こる予言。
殺人鬼が現れる。が、それも朝には誰だったか思い出せない。
真夜中。
何時かはわからない。この部屋には時計がない上、私の腕時計はベッドから遠いテーブルに乗っているはずだからだ。
壁に掛かっていた絵が、薄闇にぼうっと浮かび上がって見える。古い外国の城。人の姿はない。ただの城の絵だ。それを虚ろに見ていたように思う。
何か音がしていた。建て付けの悪い戸を開閉しているような音だ。
ギギィ、ギシッ、ギ、ギギィと音は不規則に続く。
そんなにこの屋敷は古かっただろうか? それにしてもひどい音だ。すっかり寝付いていたものを・・・・・・。
それでもこの音が何か、突き止めてみようとは思わなかった。
私は深く布団に潜ると耳を覆い、もう朝まで目覚めることはなかった。




