◆0001 萌葱
最近お見合いばかりさせられている。
葵姉様は二年前に結婚して、瑠璃姉様も婚約したばかり。
だけど、あたしはまだそんな気は毛頭ないのに、お父様は仕事のために娘を利用しているのだ。まあ、別に構わないけど。
いろいろな男の人を見られて、こんな方もいるのね、とか思っているのは結構楽しいし。
「萌葱さんはどういった本をお読みになるんですか?」
そう、実は今もお見合いの最中なの。
「そうですね。私は日本文学が好きなので、今は志賀直哉の『和解』を読んでいます。」
「日本文学ですか。僕は外国文学も結構好きなんですよ。今読んでいるのは、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』なんですが、なにせ長いので大変ですよ。」
じゃあ読まなきゃいいのに。
格好で本を読む人って、どうにも好きになれないわ。
「あら、そうなんですか。私もその本は高校の頃読みましたわ。ジャン・クリストフって音楽の天才ですけど、天才の悩みって救いようがないと思いました。もっと楽に生きられたら良かったのにって。」
「高校生の時に既に読まれていたんですか、すごいな。お美しくありながら教養も深いなんて。」
そんなもの教養でも何でもないわよ。
若月はもっといろんなこと知っていたわ。
あーあ、つまんなくなってきちゃった。この人って口ばっかりなんだもの。
「お母様、私今日はこれから大学の友人と約束がありますの。高村様、今日は楽しかったです。では、御免下さいませ。」
「えっ、萌葱さん。あの、次のお約束は・・・・・・。」
「こちらから連絡させていただくわ。」
あたしは軽やかにその場を退場した。
ホテルのやたらふかふかした絨毯は、身体をよく跳ねさせる。まるで食後の感情を高めるためのように。
彼に連絡など一生来ないのだ。
まあ、よっぽどのバカじゃないかぎり今の返事で解るはずだけど。
数時間後、屋敷でお母様は溜め息をついていた。
「またお断りして、お父様がなんて言うか」
「言いたいように言わせておけばいいじゃない。それに、あの方他に付き合ってる方がいますわよ。そのような方とのお話を持ってくるなんて、そちらの方が非常識じゃありませんか?」
「まあ、そうなの?」
「ええ。私の思うに、お相手は今日隣りにいらした秘書の方だと思いますわ」
「萌葱さん、とにかく確かめてみるわ。もし本当だったら、お父様に対処していただかないといけないわね」
ハズレてる可能性なんかゼロだと思う。
だってあの女秘書と坊ちゃん、何度も意味深に目配せしていたもの。
だけど、バカそうだと思っていたけど本当にバカなんて、高村工業も大変ね。あれが跡継ぎじゃ。
まっ、あたしの知ったこっちゃないけど。
あたしは別に二重人格とかじゃないわよ。
ただ周りのニーズに応えてお嬢様を演ってあげてるだけ。
大人って話し方や雰囲気でその人の人格まで測ろうとするでしょう。
だから仕方ないのよ。
東雲の娘として生まれたんだから、それぐらい演じててもいいか、とも思うしね。
東雲は父が養子として入った母の家系。
もともと父は大英帝国の旧伯爵家の英国人と日本人のハーフ、仁・クラウディ。本当はもっと長い名前なんだけど、名前に意味がある時代なんてとっくに終わったと思うの。
母は母で、旧華族の一人娘。
大祖父様の始めた事業が波に乗りまくって、東雲家は今や押しも押されぬ大富豪。
大祖父様の事業は化粧品会社だったんだけど、それはかなりの富をもたらした後、叔父の会社となり、今のあたしには関係ない。
父は独自に出版会社を設立して、日本の出版界でも五指に入る大手にまで育てあげた。
だけど、どんなに人が東雲家のことを持ち上げても、あたしにはピンとこない。
そうそう、東雲の家でそういう人があと一人いた。
蘇芳兄様。あの人は東雲を名乗りながら、東雲に反発している。大阪の小さな会社で働いているらしい。
あたしはそこまで反発心を持っているわけじゃない。むしろどうでもよくなってしまった。あたしが欲しかったもの、それはもう誰もくれないのだから。
東雲の屋敷はゆっくりとまた朝を迎える。
朝焼けこそ、東雲の名の由来なのだ。




