◆0011 若月 蘇芳
屋敷の駐車場にベンツを停める、なんてことはせずに、酒井はちゃんと玄関前に車を回した。
昔は私も朝夕、お嬢の運転手としてやっていたことだ。
桜子様はさっさと降りようとドアに手を掛けたが、それを邪魔するように横から貝塚が訊ねた。
「昨日の夜、かすかに物音を聞いたんですが、蘇芳の隣りの部屋は桜子さんと仁さんの部屋でしたよね?」
桜子様はドアから手を離し、彼女にしては少し面倒そうに振り返った。
「ええ、そうですよ」
「確か二時頃だったと思うんですが、まだ起きてました?」
「いいえ、もう主人も私も寝ていました。物音も聴いていません。あの、もうよろしいかしら? こんな狭いところで話すことないでしょう?」
貝塚は玄関先に停まったベンツの中で考え込んでしまった。桜子様は既に車を降り、私も降りようとしたのだが、私は貝塚の問いに思い出したことがあった。
「貝塚さん、私も、何時かはわかりませんが、確かに物音を聞きました」
貝塚は難しい顔をしていたが、さっと顔を上げ、助手席の私に目を向けた。よく見ると彼は鋭い眼をしている。言動からは、おちゃらけているようにも見える貝塚がこんな表情をしていることに私は初めて気づいた。
「どんな音だったか覚えていますか?」
「え、ええ。ドアの音でした」
「・・・・・・ドア?」
「古いドアを開け閉めしているような音です。ギィギィ云っていましたが、何分疲れていたので、またすぐに眠ってしまいました」
貝塚はそれを聞くと、さらに唸り始めた。
「そんなことより、さっさと降りるんなら降りてくれよ。いつまで玄関先で井戸端するつもりだ?」
運転席の酒井は痺れを切らして、いまだ助手席に座ったままの私に、犬を追い払うような仕草で手を振った。
「あ、すみません」
私が降りると、車は貝塚を乗せたまま発車した。貝塚は裏口から戻るつもりのようだ。
それにしても、やはり何を考えているのかわからない人だ。蘇芳様のご友人にしてはかなり変わっている。
俺と紗矢は悠基を捜して、駐車場へ向かおうと、庭をぐるりと回り込んでいた。
東雲司郎の部屋の前を通りかかる。すると、朝は上げてあったはずのブラインドが下がっていて、庭から部屋の中を見ることはできなかった。
「ねぇ、アレと金井とかって使用人が死んでたことと関係あるのかな?」
紗矢の質問に俺は短く「さあな」と答えた。
そんなこと俺にわかるわけがないに決まっている。日頃屋敷に住んでいるならまだしも、俺がこの屋敷に帰ってきたのは爺さんの葬式以来なのだ。
その時、ぼんやり考え込んでいた俺は突然、地面のへこみに足を取られた。
「うわっ!」
「蘇芳!?」
踏ん張ろうとしたものの、あっさりと態勢を崩して地面に手をついてしまった。
「大丈夫?」
「あ、ああ」
焦った・・・・・・。みると、歩いていた場所に妙な段差がついていた。
この溝なんだ?
倒れこんだ地面に一本の深い溝がついている。それも俺の足元を横断して真横に、ずっとだ。
俺は顔だけ起こして溝を視線でたどった。どうやら爺さんの部屋のガラス戸から出て、庭の奥へと続いているようだ。
俺が身体を起こしてその溝の反対方向へ目をやると、溝は途中途切れたり歪んだりもしていたが、あの物置小屋の方へ向かっていた
「蘇芳? どうかしたの?」
転んだまま立ち上がらず地面を観察している俺に、紗矢が心配そうに手を差し出し、グイッと立ち上がらせた。
「うん、この溝、何かな?」
「溝?」
「ほら、爺さんの部屋からずっとあの物置小屋まで続いてる」
俺の指先がツツツ、と真横に走った溝を示すと、紗矢の目線もそれにつれて動いた。
「ほんとね」
「事件と関係あると思うか?」
「・・・・・・」
紗矢は俺の顔を一瞬見上げて、すぐに溝に目を移して考え込むように腕を組んだ。
「もし、これが金井さんの事件と関係あるとしたら、犯人は屋敷の人間ってことになるんじゃないの?」
「なんでだよ?」
「だってこの溝、司郎様の部屋から続いているでしょ? だったら何の跡かはわかんないけど、司郎様の部屋に犯人が入ったか、もしくはそこから出てきたってことになるじゃない」
「・・・・・・」
確かにそうかもしれない。
でも・・・・・・何か釈然としないような、大体金井が殺害されたことと、爺さんの部屋で犬が殺されたこととの関係もまだはっきりしてないしなぁ。
溝を二人して眺めていても仕方がないので、とにかく駐車場に行こうとした俺と紗矢だが、後ろから声をかけられて同時に振り返った。
「ここで何をしているんです?」
「・・・篠山さん?」
庭師の篠山のグレイの作業服は朝見た時より汚れていた。赤く染まったズボンやシャツの袖に、俺は篠山が今まで何をしていたのか気づいた。
「爺さんの部屋を片付けたんですね」
「・・・はい。仁様から片付けるように言われましたので」
「・・・・・・」
犬の件も警察に通報する気は全くないわけか。片付けるって、あれだって重要証拠だったかもしれないのに・・・・・・。
「蘇芳」
心配そうな声が横から掛かって俺は厳しい顔をしていたことに気づいて少し微笑んだ。
「何か犯人がわかりそうなものありましたか?」
篠山は指先が冷えているのか手と手を擦り合わせて息を吹きかけている。
「いえ、残念ですが何もそういった物は発見できませんでした」
「なんにも?」
紗矢の失望した問いかけに、篠山は心底心苦しいといった様子で「すみません」と頭を下げた。もちろん篠山のせいではない。
俺は物心ついた頃から篠山を知っているが、彼の物腰の丁寧さはどんな状況でも変わることはないようだ。幼少時の俺にも今と変わらぬ丁寧な態度で接してくれていた。もしかすると、生まれながらに上品な仕草が身についていたんじゃないかと思えるほどだ。
「・・・・・・ああ、そうだ。篠山さんならわかるんじゃないかな?」
俺は今来た道を少し戻って、足元を指した。
「これ、何の跡かわかります?」
そこには幅五、六センチほどのへこんだ溝がついている。さっきまで紗矢と議論していたあの溝である。
篠山は俺の指した溝をしゃがんで覗き込んだ。
「・・・・・・これは、車輪の跡ですね」
「車輪?」
「ええ、一本しか跡がないところを見ると、どうやら一輪車のようです」
「一輪車? あの、土木工事の人とか道路工事の人とかが使うやつですか?」
俺の例えが可笑しかったのか篠山はハハッと少し笑ったが、笑うと細い目が無くなったので俺も何だか可笑しくなって笑顔になった。
「ええ、一般の家庭にもある所はありますよ。庭仕事をするときなどにはとても便利ですから」
「蘇芳、だったらこの屋敷にもあるんじゃないの?」
「・・・・・・」
「もちろんございますよ? 私もそう毎日というわけではありませんが使うことがあります」
「・・・・・・」
嫌な展開になってきた。というのも、俺としてはできたら屋敷の人間を疑ったりしたくはないのだ。ここの屋敷で働いている人のほとんどは、俺が子供の時から知っている人達だから・・・・・・。
だが、一輪車が出てくるってことは、
「じゃあ篠山さんがこの溝つけたの?」
いきなりの質問に俺は驚いたが、紗矢はしれっとした顔で篠山に問い掛けていた。
「いえ、私はここ数日の間は一輪車を使った覚えはございません」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
犯人なら誰でもそう言うんじゃないだろうか? こんな質問は誰にしても無駄だと思う。
俺の考えを察したのか、紗矢もそりゃそうか、といった風に首をゆっくり縦に振った。
「あの、この溝が何か?」
「いや、別にどうってことないんです。それより、昨日この一輪車借りに来た人なんていませんか?」
俺は篠山がまた指先を擦り合わせ始めたのを見て、彼の指先がアカギレで血が滲んでいることにやっと気づいた。寒いのもあったのだろうが、何より痛かったのだ。冬場の庭仕事はキツイ仕事なのだろう。
「一輪車を借りに、ですか? いえ、誰もいませんが? 私に言わなくても勝手に借りられますから」
一輪車はキッチンの奥にある勝手口から外へ出たすぐ横の壁に立て掛けてあるらしいことが判明した。だったら誰でも使えたわけだ。
「いつもそこに掛けてあるんですか?」
「ええ」
しかし、一体何のために一輪車を使ったのか、本当に犯人がつけた跡なのか・・・・・・。
三人が溝を挟んで立っていると、駐車場の方から車のエンジン音が聴こえた。




