◆0010-2 蘇芳 瑠璃
大接間から出た俺は、とりあえず屋敷の中で悠基を捜そうと考えていた。甘かったとしか云いようはないが、幾ら何でも屋敷を出て、若月さんと一緒に駅まで行っているとは考えなかったからだ。
女中たちは昼飯の準備に追われているようだ。人間何があっても腹は空く。
そういえば、朝食が抜きになったんだった。一連の騒ぎでそれどころじゃなくなったし、悠基、今ごろ誰かに飯たかってるかもしんないなぁ。
そんなくだらないことを考えていたからか、真っ先に向かったのは食堂だった。
朝昼兼用の食事になってしまったが、もう大体準備はできていたようで、女中の何人かが食堂の方にできた分を運び込んでいた。
「あの・・・」
キッチンを覗き込み、忙しそうな女達にためらいながら声を掛けると、案の定一番怖い女中、羽宮に、
「ジャマよ、もうできるから食堂に行っててください」
と言われてしまった。
言いながらも揚げ物を油に投入する手は動いている。
羽宮はツリ目だからか、口元がへの字だからか、外見からキツイ感じがするが、内面もとっても厳しい。何事にもきっぱりはっきり言ってしまうので、あまり若い女中たちには好かれていないようだが、なぜか俺の母さんは至くお気に召している。性格なんかまるきり反対なのになぁ。
「あの、そうじゃなくて、確かに飯も待ってるんだけど、悠基知らないかなと思って」
次に揚げる餃子包みのようなものを油に放り込みながら、羽宮は振り返った。
「悠基って言うと?」
ツリ目が少し下がったように見えたが、気のせいだろう。そんな羽宮の横で鍋をかき回している飯田が肘で羽宮を突ついた。
「ほら、昨日泊まった人よ。夕食の時居てた若い人」
「そんな人いた?」
「何言ってんのよ、片づけの時も坊ちゃんといらしたじゃない」
どうでもいいが、坊ちゃんはやめて欲しい。
「ああ、確か廊下でタバコ喫ってたから注意した男ね。食事の席を立って喫うのはいいことだけど、屋敷内は全面禁煙だっていうのに。壁がヤニ臭くなっちゃうじゃないの。それでなくても屋敷は土足だから汚れやすいっていうのに、壁まで汚されちゃ溜まったもんじゃないわ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
思わず俺と飯田は絶句してしまった。
あいつ、トイレ行くとか言って、タバコ喫ってたのか。しかも羽宮に注意されてるし。
東雲屋敷は基本的に共用部分は土足と決まっているので、掃除は確かに大変だと思う。砂とか埃とか多くなるし。
それも親父が英国出身で、靴を脱ぐという慣習に慣れなかったからだが、俺も昔はよく友達の家に土足で上がって怒られたものだ。屋敷の中で唯一土足厳禁の爺さんの部屋に入る時も、間違って土足のまま入って何度怒られたことか・・・。
だいたい玄関に下駄箱がないのが変だ、とよくこの屋敷に来た友人たちに言われた。俺自身は産まれた時からこうなっていたわけで、なんら不思議はなかったのだが。
「あの人なら、食堂のドアを開けて外へ行くの、見たけど」
羽宮と飯田が声の方を見る。
俺も振り返って、食堂からキッチンに入ってきた女性を見た。
「貝塚様のことでしょ?」
少し目元に年齢が現れてきた感じのする四十前のこの女中は、昔からこの屋敷で働いてくれている。俺が高校生の時には、すでに馴染みのある女中になっていたから、ずいぶん若い時からここの屋敷にいるはずだ。
「法園さん、ようやく食器が並べ終わったんですか? ずいぶんかかりましたね」
羽宮がツリ目をきりっと吊り上げて嫌味っぽく言うと、法園は肩を少し上げて苦笑した。
この二人は普段、ケンカまがいの言い合いをしょっちゅうしているが、実際はとても仲がいい。歳が近いというのもあるだろうが、性格はこれまたまったく違っている。
「蘇芳ちゃーん、またイイ男連れて来てくれちゃって! どういうご関係?」
法園は俺の服の襟を直すためか、別の意味があるのか、横に並ぶと肩に腕を載せてきた。
「え、どういうって、仕事の――」
「あら、上司?」
「・・・・・・」
そういう言い方もできるが、その言い方が一番キライだ。
「同じ職場の人です」
「そう。それにしてもぉ」
そこで思いっきり長い一拍を置いた法園の息が頬にかかった。生温くて気持ちが悪い。早く離れてくれないかな。
「あの人、イイ男よねぇ」
「・・・そうですか?」
「そうよ、何それ、もしかして蘇芳ちゃんってば、ヤキモチ?」
「ハハハ、それおもしろいジョークですね」
「ムカツク。必殺口紅攻撃!」
唇を尖らせてグイッと顔を近づけてきたので思わず突き飛ばした。幾ら何でも怖い・・・・・・。俺も一応男の子だし。
「あーあ、昔はかわいかったのに、最近ツレナイから法ちゃんカナシイ。小っちゃい頃はキスさせてくれたのに」
泣き真似をする法園に呆れたような羽宮が
「いいから無駄口叩いてないで、キリキリ働いて!」
と菜箸で指示すると、法園は「クスン」と言いながらまた食堂へ去って行った。
人間って歳取ると一時期幼児化するって話信憑性あるなぁ、などと思いながら、俺は変なことを思い出した。
殺された金井のことだ。
今朝、俺金井に会わなかったっけ? 思い出せないけど、会ったような、会わなかったような。
「坊ちゃん、話が終わったんならさっさと行ってください。はっきり云わなくても邪魔です」
羽宮が心底嫌そうな顔で俺を追い払おうとしている。俺は今朝、金井に会ったかどうか考えながらキッチンを後にした。
もし会ったのなら、金井が殺されたのは昨日の夜とかじゃなく、もっと時間的に絞られてくる。その間の全員のアリバイを訊いたらいいんじゃないか?
「蘇芳? 何変な顔してるの?」
真横から声がした。
「なんだ、紗矢か。おまえ悠基知らない?」
紗矢はバイクのツナギを脱いでジーンズとシャツにセーター、といった俺と変わり映えしないラフな格好になっていた。
「貝塚さん? さぁ、見てないけど。どうかした?」
「いや、どっか消えたから捜してんだけど」
「過保護ね」
「普通だし」
「っていうか、あんた達どういう関係? 友達? にしてはタイプが違うわよね」
「別に、友達じゃない」
友達って思われてない、と言おうとしたんだけど、ま、いいか。取り敢えず法園が言っていた食堂の裏口から出る駐車場の方に行ってみよう。
「どこ行くの?」
そう言いながら紗矢も付いてくる。
「駐車場の方」
食堂を通ると食器を並べているはずの女中達にまた邪魔扱いされそうなので、玄関から出て庭を周って行くことにした。
大接間に残った萌葱と瑠璃はその頃、二人して不機嫌な顔でソファに掛けていた。
「ちょっと、それセコくない?」
「だって、そうでもしなきゃ若月来てくれないんだもの」
「そりゃそうかもしんないけどさぁ」
瑠璃がぼそっと「若月に同情するわ」と言うのを聞いた萌葱は「だって・・・」とクッションを胸に抱きかかえた。
「若月は本当はずっとあの人が好きなのよ。だけど、あたしはあんな風になれないし」
「というより、あんな女がこれ以上増えたら私がイヤよ」
「瑠璃姉様は自分が美人でカッコイイからいいわよ。あたしなんか若月からしたら、ガキにしか見えてないんだよ、もうっ!」
なんともフォローし難い発言に、瑠璃も凭れていたクッションを掴んだ。
「若月、早くあんな人のこと忘れたらいいのに」
「・・・・・・」
瑠璃にとっても、それは何度願ったかわからない。けれど、もう自分は知ってしまった。若月は決して忘れないだろう。若月にとっての女というもの全てがあの女を基準に作られているから。もう、望みは捨ててしまった。
「萌葱も東雲の血を引いてかわいいんだから、他の男を見たら? 案外いい人が転がってるものよ?」
「いらない。他の人は、いらないの」
自分とダブッて見えるのは、萌葱があの頃の自分と同じ年齢だからだろうか。どうせがんばって無理に決まっているのに・・・・・・。頑固に力が入った肩。自分もこんな風だったんだろうか。
瑠璃は溜め息をつき、かわいい妹に言った。
「だったら見合いなんかしなきゃいいのに」
萌葱はクッションに噛み付くように顔を押し付けた。
「だって、お見合いは仕方ないもの。お父様の仕事相手だし」
「断りまくってるって聞いたわよ」
「向こうが悪いのよ!」
「そうかなぁ、どうせ萌葱が難癖付けてるんでしょう? 女がいるとか、アホで将来の見込みはないとか、言いまくってるんじゃないの?」
「・・・・・・」
シラけた顔で言ってやると、萌葱はさらに肩を丸めて小さくなり、ソファに両足を上げた。ミニのワンピースの下の色気ゼロの毛糸のパンツが丸見えになっている。膝小僧がピンク色で本当に子供みたいだ。
「パンツ、見えてるわよ」
「えっ?」
もしかしたら、若月があの女の次に好きになるタイプは、きっとこういう素直でかわいい子かもしれない、と思ったけど、悔しいから言わない。本当に自分は運が悪い。あんな奴に青春の何ページも奪われちゃってさ。
結局、若月にとって一番大切な人は葵姉一人だけで、他はみんな十把一絡げの有象無象の女なのよ。
萌葱が自分と同じ穴に落ちているのは見るのは、イライラするし、なんだか悲しくなる。
目の前の萌葱を見ると、言われたことを気にしてか、足を下ろしてスカートの裾を直し、きちんと座り直していた。こういう素直なところが、本当に羨ましいしムカツク。
瑠璃は大きく息を吐き出すと、もう若月のことを考えるはやめようと、ここへ戻ってきてから何度も思ったことをもう一度心に誓った。




