◆0009 蘇芳 若月
とっくに待ちくたびれた、といった風情で悠基はわざとらしい溜め息をついていた。
その上、俺の左腕には紗矢がこびりついて重いし、トホホな気分で物置の鍵を悠基に渡す。
「良い身分じゃねぇかよ。女を落としに行ってたのか?」
「いや、コレは・・・」
「元婚約者の紗矢でぇす」
紗矢がまた余計なことを告げる。
「婚約者?」
そこに今度は酒井が口を挟んできた。
「紺野紗矢様ですよ。坊ちゃんの婚約者だったんです」
「だった、というなら破談になったってことでしょう?」
「うん。そうなの。こんないい女振るなんてバカな男よねぇ」
「本当だ。もったいない」
うんうん、とうなずき、悠基はついでのようにさらっと言った。
「じゃあ俺のとこ来ない?」
「あなたお金ある?」
「貯金はない」
「じゃあダメ」
どういう会話だよ、と俺が呆れていると、悠基が白い眼で紗矢を見た。
「なんだ、金目当てか」
「そうよ。悪い?」
「ふん、まあ頑張れよ。こいつの親の金には、俺は興味ない」
悠基は鍵を物置の戸に差し込んだ。
大きくガチャン、と錠の外れる音がして、引戸が酒井と悠基の手で開けられる。
ギギギッと軋んだ音を立てながら物置の小屋の中が見えてくると、まず酒井が顔をゆがませた。
「な、なんだあ、こりゃあ・・・。か、金井・・・・・・なのか?」
「やだ、蘇芳、これって」
紗矢も数歩、後ずさる。
物置にはほとんど物がなかった。
庭掃除の箒やペンキの缶、花壇の肥料、折りたたんだ梯子、そんな物がきちんと片付けられている。
しかし、それは物置の壁際のことであって、現状況では小屋の真ん中には人の身体が転がっていた。
キッチンにいたはずの金井さんだ。俺の目にも死んでいるのはその姿からわかった。
うつ伏せになっている身体に反して顔が天井を見ている。どう考えても首の骨がおかしい。捻じれている。
眼は何かに驚いたように大きく開かれ、口がポッカリ開いたままだ。間が抜けた顔にも見えたが、とにかく尋常ではない様子に居合わせた四人とも声を失い、沈黙が流れた。
「はぁ、お父様ってば何を考えてるのかしら」
「そりゃ会社のことだけだろ。誰が死のうが関係ないってツラしてんじゃねぇか」
大接間に揃った全員が、東雲現会長――東雲仁――の言葉に落胆していた。
特にお嬢の落胆、いや、この場合は憤りと云った方がいいかもしれないが、それは見ていて凄まじいものがあった。
東雲司郎亡き後、この屋敷のみならず、東雲家の全てを手にした男の発言とは思えないものだったからだ。
東雲仁は妻、桜子を従えて東京の本社から飛んでくるなり、屋敷にいた三人の娘と息子、そして私と現場にいた貝塚、酒井を集めた。そして、信じられないことを口にしたのだ。
「彼のことはこちらでなんとかする。とにかく、今はまだこのことは屋敷の外に漏らすな。いいな」
もちろん、ここにいる人間の中には東雲仁の威光に何の躊躇もなく反発できる者がいたわけで、その中でも筆頭に上げられる蘇芳様が黙っているわけはなかった。
「ちょっと待てよ、これは殺人事件なんだぞ? あんた、何考えてんだ? すぐに警察を呼ぶべきだろ。なんとかするって、どういう意味だよ!」
「家を出たおまえに関係ない! 黙っていろ!」
「・・・・・・」
威圧感で抑え込まれた蘇芳様は、ぐっと言葉を呑んでいた。
しかし、次にお嬢が訊ねた。
「ではお父様、どうするおつもりですか? 警察を呼ばずに、病死にでもなさるおつもりですか?」
東雲仁の力を持ってすれば、後々、問題にならないように処理できるかもしれない。それぐらいの財力と権力、それに人脈が彼にはある。
仁様は蘇芳様の時とは違い、幾分態度を和らげてお嬢を見た。
「そうじゃない。少しの間、伏せて置こうと言っているんだ。会社の方も、今こういう問題に振り回されるのは困る。もちろん、これが一過性のものでなく、続くようなものであれば即、警察に届けるがね」
それは、次の死者が出れば警察に届けるということか。
「とにかく、それまで物置には近づくな、いいな!」
念を押すように仁様はキッと蘇芳様を睨んだ。そして、反抗などしたこともない従順な微笑みを湛えた桜子様を伴って、さっさと大接間から出て行ってしまった。
残った東雲の姉弟妹は一様に父親の悪口をがなり立て始め、酒井は屋敷の仕事に戻って行き、私と貝塚は所在無げにぼんやりと立っていた。
そこに、高校生ぐらいに見える若い女中が駆け込んできた。確か、他の女中にエミと呼ばれていた女性だ。そのエミが大接間の入口付近できょろきょろしているので、私は近づいて行った。
「どうかしたんですか?」
エミはどう見てもまだ未成年のようだった。一体幾つなのか気になるところだが、今は彼女の用事が先だ。彼女は私に問われると、顔に似合わず掠れた低音で言った。
「あの、桜子様は・・・?」
「ああ、先ほど出て行かれたけど?」
「ど、ど、ど、どうしよう」
青ざめたエミが叱られる前の子供みたいに見えて、私は不謹慎にも口元が緩んだ。
「何の話しか訊いてもいいかな?」
「そ、それが、葵お嬢様の旦那様からで・・・」
葵様・・・・・・。脳が萎縮するような感覚に、わたしは目眩がしそうになったが、ぐっと堪えた。
「桜子様か仁様にお電話を繋げてくれないかと言われたんですが・・・」
「急ぎの用事?」
「は、はい。二日前から葵お嬢様が帰って来ないそうです。あちらの方のお話では、里帰りしてるならいいんですが、置き手紙もないし、もしかしたら誘拐じゃないかって」
「里帰りって、帰って来てないじゃないか」
「ええ、そうお伝えしたら、とにかく仁様か桜子様に繋いでって、あの、私どうしたら?」
誘拐? 葵様が・・・・・・? 目眩を起こしている場合ではない。大変なことだ。この屋敷の事件と関係あるかもしれない。さっきまでとは比にならないほど私はショックを受けた。正直、物置の死体や司郎様の部屋の光景よりも恐ろしく感じた。
「エミさん、でしたね」
「はい」
名前を確認するのももどかしかった。
「あなたはすぐに葵様のお部屋に行って異常が無いか見てきて下さい」
「わかりました」
エミが返事をして駆け去ると、背後で私達の会話を聞いていたのか、蘇芳様やお嬢達が寄って来た。
「若月、何かあったの?」
私は説明している暇もなく、携帯電話を取り出そうとポケットを探ったが、すぐに部屋に置いてきたことに気づいた。
しかし、私をあきらかに避けていたはずの瑠璃様が紺のブレザーの胸ポケットから携帯電話を差し出してきた。もこもこしたクマのマスコットが付いている。
「これでしょ?」
「・・・・・・はい、ありがとうございます」
躊躇せず受け取る。
すぐに暗記しているナンバーを素早く押した。耳元に当てると、呼び出し音が鳴り始め、数秒の間、私をイライラさせた。
『はい』
機械を通した声は仁様のモノとは異なる。多分、秘書だろう。女性か男性か解りかねた。
「東雲屋敷の若月草太と云います。すいませんが仁様に繋いでもらえますか。葵お嬢様のことで急用なんです」
『・・・しばらくお待ち下さい』
機械的な反応に、私はさらにイライラを募らせた。
『はい』
今度は間違いなく仁様の声だ。
「仁様、若月です。」
『ああ、若月君か。何だ?』
私はエミから聞いたことをほとんどそのままリピートした。
仁様は黙って聞いているものとばかり思っていた私は、返答した声に少し驚いた。
『若月、すぐに戻ります。車を一台こちらに回してちょうだい』
いつのまに交代したのか、桜子様の声だった。
「はい」
桜子様はさっき屋敷を出られて、今は最寄の駅に近いのでそこで待つということだった。私はひとまず電話を切った。
もちろん隣で電話を聞いていたお嬢や蘇芳様の質問攻めに合いそうな気がしたので、それは大接間の扉の前に戻ってきているエミにまかすことにして、私はエミに駆け寄り、葵様の部屋の様子はどうだったのか訊ねた。
「はい、それが、やっぱり荷物もないし、帰られてはいないようです。・・・・・・やっぱり誘拐なんでしょうか?」
「・・・・・・」
私にもわからないのだから答えようが無い。
それより、酒井に言って車を借りなくてはならない。私は車で来なかったことを初めて後悔した。
「若月、葵姉様どうかしたの?」
いつの間にか、私の服の袖口を掴んでいたお嬢の手をできるだけ温和に引き剥がすと、適当に微笑んでみせる。
「詳しいことはエミさんに訊いて下さい。私はすぐ桜子様を迎えに行かなければなりません」
「お母様を? どうして、さっき本社に戻ったでしょう?」
「こちらに戻って来られます」
「どうして? それにさっきから、『誘拐』とかって聞こえた気がするけど、葵姉様のことなの?」
いい加減イライラが脳天に達しそうだ。時間がないのだ。早く桜子様と話さなければ。
「お嬢、エミさんに――――」
「あたしは若月に訊いてるの」
「お嬢っ、誰が話そうと同じことです」
勢いをつけてそう言うと、私は素早く大接間を出た。いつまでも相手をしていられない。お嬢にはエミが説明するだろう。
私は大接間から出ると、すぐに食堂に入った。長テーブルの横を通り、裏口から出ようと思ったのだ。
食堂に入ってすぐの正面には、大きな両開きのガラス扉があり、庭へ出ることができる。今は暖房を効かせているために扉は閉まっていた。
その扉の鍵であるつまみを縦にして鍵を開ける。ここの鍵は内側からロックされるもので、私は扉を抜け外側へ出ると、開けたままの扉のつまみを横に戻してゆっくりと閉めた。これで内側から再び施錠され、外からはもう開けられない。
私は冷たい冬の風にコートを部屋に忘れてきたことに気づいたが、取りに行くことはせず、鍵が閉まっていることを確認すると駐車場へ向かった。
この時、私の頭の中は葵様のことで一杯だった。だが、それは私の個人的なことで事件とは関係ないと思われるので伏せておくことにする。
今はただ、駅へ桜子様を迎えに行くことだけを考えた方がいい。




