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1話 はじめての空、はじめての世界

やわらかな光が、まぶたの裏まで届いていた。

目を開けると、青い空が広がっていた。

白い雲がゆっくり流れている。足元では、風に撫でられた草が揺れていた。

風が肌に触れる。

草の匂いがする。

足の裏には、土の感触があった。

白い空間には、何もなかった。

今は違う。

「……ここ、どこだ」

声に出して、自分が立っていることを確かめる。

さっきまで、俺はあの白い空間にいた。その前は深夜のコンビニにいたはずだ。

手には、缶コーヒーの冷たさが残っている気がした。

けれど、見えるのは草原だけだった。

「……これが、外」

隣で小さな声がした。

エラが風を受けながら、空を見上げている。長い銀色の髪が草と同じように揺れていた。

「外って、もっと静かなのかと思ってた」

「静かじゃないか?」

「ううん。風の音がする。草も動いてる。遠くで、何か鳴いてる」

言われて、俺も耳を澄ませた。

遠くから、鳥のような声が聞こえる。

白い空間では聞こえなかった音だ。

「……全部、生きてるみたい」

エラは風の向こうを見つめていた。

初めて触れる世界に、驚いているのだろう。

「大丈夫か?」

「うん。シンがいるから」

その言葉に、返事をしようとした。

ふと、自分の袖が目に入った。

「……あれ?」

見覚えのない服だった。濃い色の上着に、生成り色のシャツ。丈夫そうなズボンと、足首まで覆う編み上げ靴。どれも、さっきまで着ていたものではない。

「服、変わってるな……」

「シンの服?」

「ああ。前とは違うみたいだ」

エラは首を傾げたが、俺も理由は分からない。白い空間では気づかなかっただけかもしれない。

袖を軽く引いてみる。動きにくくはなさそうだ。

「まあ、いいか」

理由を考えても答えは出そうにない。

その時、頭の奥がざわついた。

「……っ」

文字のようなものが、意識の中に浮かぶ。

身体強化。

自己修復。

認識補正。

親和補正。

遭遇抑制。

一覧はそこで終わらず、下にも能力名がいくつも続いていた。

能力名に意識を向けると、その下に説明が現れた。

親和補正――対象の認識に作用し、使用者への好意を高める。

説明の下に、「有効」と「抑制」の表示が並んでいた。能力を選び、どちらかに切り替える仕組みらしい。

「……冗談じゃない」

エラが俺の名前を呼んだ声も、さっきの笑顔も。もし、この力で引き出されたものだとしたら。

それだけじゃない。これから出会う誰かが笑いかけてくれても、手を差し伸べてくれても、その人自身の気持ちなのか分からなくなる。

誰かに好かれるなら、相手が自分でそう思ってくれた方がいい。

発動条件は書かれていない。今のエラに影響しているのかさえ、確かめようがなかった。

「シン?」

エラが不安そうに俺を見る。

「ごめん。少し待ってくれ」

「うん」

人の気持ちを変えるような力は、使いたくない。

俺は親和補正を選び、「抑制」に切り替えた。名前の横の表示が「抑制中」に変わる。

ほかの能力も見直した。身体強化、自己修復、認識補正――どれも今の俺には扱い方が分からない。

表示を確かめながら、ひとつずつ「抑制」に切り替えていく。

切り替えるたび、体の奥の妙な熱が引き、頭のざわつきも薄れていった。何が起きていたのかは分からない。

最後に一覧を見直す。「有効」と表示されているのは、遭遇抑制だけだった。

遭遇抑制――危険な存在との遭遇率を低下させる。

完全に防げるとは書かれていない。それでも、知らない土地を歩くには、少しでも危険が減る方がいい。

これだけは残しておこう。

「……よし」

息を吐くと、頭の中が少し静かになった。

「シン、大丈夫?」

「ああ。大丈夫」

「痛い?」

「痛くはない。ただ、少し気持ち悪かった」

「気持ち悪い?」

「勝手に体の中を触られるみたいな感じだ」

エラは眉を下げた。

「それは、嫌」

「うん。嫌だった」

エラは俺の手をそっと握った。

「今は?」

「今は平気だ」

「よかった」

その声が、能力とは関係のないエラ自身の気持ちであってほしい。

今は、そう願うしかなかった。

俺は草原を見渡した。

道も建物も、人の姿も見えない。

空は青く、風は気持ちいい。けれど、安全だという保証はどこにもなかった。

「どうする?」

エラは少し目を丸くした。

「わたしが決めていいの?」

「一緒にいるんだから、エラにも聞くだろ」

エラはその言葉を確かめるように、何度か瞬きをした。

それから、草原の先を見る。

「歩きたい」

「歩きたい?」

「うん。もっと、風を感じたい」

目的地の話ではなかった。

エラが今したいことを、初めて口にしたのだ。

俺は頷いた。

「分かった。歩こう」

「うん」

俺たちは草原を歩き始めた。

一歩進むたび、草が足元で揺れる。

風が髪を撫で、遠くで鳥の声がした。

この世界がどこなのかは、まだ分からない。

どうしてここへ来たのかも分からない。

それでも、隣にはエラがいる。

繋いだ手の温度が、白い空間にいた時よりも確かなものに思えた。

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