第56話 道半ば
巨大釜の水面には、とある旅館の屋上が映し出されている。その場は黄金色の光に満ちており、その幻想的な光景に魅入られる金髪おさげの魔女がいた。黒の給仕服に身を包み、頬にはそばかすがあり、容姿も背丈も十代前半。魔術商社『リーガル』に所属し、魔術部門の部長を任されている。以前は魔術結社『イリーガル』の四首領に数えられており、その頃から彼女が追い求めるものは今も昔も変わらない。
「黄金の魔術……」
ニコラ・フラメルは理想の到達点を目撃する。再現可能な魔術刻印を目に焼き付けている。それが何に必要で、どんな効果がもたされ、目的がなんなのかは明らかにされていない。ただ、必要な素材は彼女の手元に揃っていた。魔術を発動させる刻印だけが足りていなかった。最後のピースが埋まった今、彼女は動き出す。
◇◇◇
あたしは魔眼の発動に成功した。『光子を操る』感覚を掴み、呪いと加護を抽象化した概念にたどりついた。生じたのは、可視化された偏光。目視した方向に光子の塊をぶつけることが可能となった。魔眼持ちなら誰でも発動できる可能性はあるんだろうけど、既存の枠組みから外れていて、体系化されているものじゃない。これを教えられるかと言われれば、たぶん無理。経験が蓄積すれば、上手く言語化できるんだろうけど、今は理論よりも感覚が先行していた。
「…………」
あたしの足元には偏光の直撃を受けた女鬼が倒れている。今なら殺すことはできるけど、殺せない事情があった。中身は悪の権化ルドルフだけど、外見はナナコの娘。結託した身内の家族を断りも入れずに屠ることはできず、再起不能状態に持ち込むのが理想の勝利だった。
いくら鬼の身体を有しているとはいっても、胴体部分を大きく損傷すれば、すぐには直せない。どれだけ早くとも全治までに数日から数週間はかかる見込みで、それまでに分離させる術を見つければいいまでのこと。最悪、ニコラの樹海に閉じ込めればいいし、あらかじめ立てた勝利条件は満たしていた。
とはいえ、計画には予想外の展開がつきもの。アンナが持ち込んだ滅葬具がルドルフに悪用されたことによって、オクトーバーフェストに殺意が伝染。推定20万人以上の人間が感染し、今もなお広場で暴力沙汰を繰り返している。
魔術結社『リーガル』の社員が総出で止めに入っているものの、怪我人を出さずに止めることは物理的に不可能。死傷者の数を減らすのが精一杯で、20万人全員を即座に沈静化し、負傷者0に抑えられるほどの優れた社員はいなかった。
ただ、今からなら止められる。殺意の伝染の要因となっている大太刀は足元にある。手で触れるのは殺意が移る可能性もあるから論外だけど、切羽詰まってない状況ならいくらでもやりようはあった。
「――」
近くに落ちていた黒いナイフを拾い、欠けた刃先にセンスを込める。どんな業物だろうが、持ち主を失った得物はそこらのインテリアと変わりがない。物質の強度は元々の材質+センスで決まり、あたしの得物は刃先が欠けているとはいえ、世界最高の鉱物が使用されている。大太刀にどんな鉱物が使われているにせよ、センスが込められていないなら強度で劣るとは思えなかった。
触れずに壊すには刀身の横側を狙い、ナイフを投擲すれば事足りる。課題として、手から放した後のセンスの持続力のなさが挙げられるけど、相手は動き続ける人間じゃない。止まっている物体が対象だから大した問題にならなかった。
「惜しいとは思わない。騒動の責任はきちんと取ってもらうから」
言う必要がないと頭で分かっていながらも、一言断りを入れて、センスの込めたナイフを振りかぶる。手首のスナップをきかせて投擲するまで、コンマ数秒以下に迫った時にそれは起こった。
「――待って。これにはまだ利用価値がある」
意識が戻ったアンナは、うつ伏せの状態であたしの右足首を左手で掴んだ。時間が逆戻りしたおかげか、大太刀に腹を突き刺されたのに殺意の伝染を受けた様子はなく、血が流れてないことを見るに傷口は綺麗に塞がっているらしい。
「理由は?」
「リスクはバネ。殺意を飼い慣らすことが可能になれば、殺意に操られる人々の操作が可能になるかもしれない。つまり……」
「上手くいけば、殺意の伝染者を一気に救済できる」
「アエラジョーネ(その通り)。ここは私の直感を信じて欲しい」
聞き馴染みのあるイタリア語を交えつつ、アンナは起き上がる。両手に握り込んでいたメリケンサックは給仕服の前ポケットにしまい込み、大太刀の方へと足を運んでいった。今の予想が100%実現できるならそれに越したことはない。
ただ、彼女が語った絵空事のようなことが本当に起こせるのだろうか。リスクはバネという言葉に説得力はあるけど、どうも違和感が拭い切れない。殺意を飼い慣らすだけでは説明がつかず、条件に見落としがあるような気がしてならなかった。
「まさか……ここで死ぬ気?」
大太刀に伸びたアンナの右手がピタリと止まる。ただの当てずっぽうだったけど、手を止めた時点で図星と思っていいはず。そのリスクは承知の上で止められたくなかったから言わなかったが正解かな。ヒーローめいた思想には脱帽ものだけど、仮に事実だとすれば、絶対に見過ごすことはできなかった。
「だとしたら? 私が死んだところで、誰も困らない」
覚悟を決めたのか、アンナは再び右手を伸ばし、大太刀に近付ける。物理的に止めることは十分に可能。距離は近いし、動作もゆっくり。ただ、能力と性格から考えて、力ずくだと止められない気がしていた。
彼女が求めているのは止める理由。それも、こうあるべきだという押し付けがましい一般論ではなく、今の状況と彼女に合った言葉を選ぶ必要がある。そうじゃないと心は通わない。人と人が通じ合うには、オーダーメイドを用意するべきだ。
「だったら二人で分け合おう。あたしたち、親子なんでしょ」
それ以上の言葉は不要だった。アンナは肯定も否定もせず大太刀の柄の根本を左手で掴み、あたしは柄の先端部分を右手で掴む。それと同時に殺意が流れ込んできた。川が決壊し、濁流が押し寄せてくるようになだれ込む。
不思議と嫌な感じはしない。醜い感情をぶちまけて、周囲を滅茶苦茶にしてやりたいとは一切思わなかった。……どうしてなんだろう。親子だからで済ませれば簡単なんだけど、アンナはあたしが腹を痛めて産んだ子じゃない。未来のあたしとジェノの間に生まれた子のはずだ。血の繋がりはあるけど、本物の親子関係には劣る。センスに互換性があり、連携した場合のパイプラインが強固なのも分かるけど、どうも釈然としない。もっと苦しんで然るべきというか、あたしの負担があまりにも軽すぎた。
「私は……未来にバトンを繋ぐ。結ばれないかもしれないけど、パパとママがつっつく可能性は存在している。だからこれは、お別れじゃない。念願叶えば、私は生まれる。この時間軸は、ママが歩むべきウェディングロードの途中なんだ」
その言葉で何もかも理解した。アンナは均等に分けるべき殺意を一人で受け止めた。上流でせき止め、致死量の怨念を浴びた。下流にいるあたしに被害は及ばない。殺意を飼い慣らした恩恵だけがセレーナ・シーゲルに与えられる。
「――――――」
二十万人超えの心身掌握。殺意のコントロールを可能とし、あたしが自由自在に扱える兵隊を得た。それが未来にどう影響が出るのか分からない。悪役に落ちぶれるかもしれないし、人類史を救うヒーローになるかもしれない。ただ、確定していない事柄に興味はなく、あたしの関心は一人に注がれていた。
「……………………………………アンナ?」
問いかけに対する返事はない。
彼女は満足そうな笑みを浮かべて、絶命していた。




