第52話 収穫
大浴場に入る前に約束していた30分が経過した。
「「……」」
そこでは雪男スーツを再び装着した雪女と合流し、隙間からほのかに湯気が出ているのが分かる。特にトラブルもなく、満喫できていたのが一目見て分かるが、何やら言いたげな様子。
「喉乾いた」
彼女は子供のような駄々をこね、僕は移動を余儀なくされていた。
◇◇◇
大浴場から隣接された場所には宿泊者共有の休憩スペースがあり、人間サイズのソファが等間隔に並び、数々の飲料水が保存される冷蔵庫が見えた。値札を見る限り、どうやらここも無料らしく、雪女は遠慮なく牛乳瓶を回収し、ソファに腰かけ、蓋を手で開け、着ぐるみの頭部を横の座席に置き、喉を潤そうとしている。
「いいのか? 飲めば帰れなくなるかもしれんぞ」
彼女の正面にお座り状態でいる僕は、念のため確認を取った。食事処でも話題になった内容のため、分かった上で選んだ行動なのは見て取れるが、意図を把握しておきたい。そのおかげもあってか、雪女は牛乳瓶を口元で止めている。
「ごゆるりと。この言葉に聞き覚えはない?」
「女将の第一声だな。それがなんだ?」
「それが攻略のヒントかと思ってね。食事処の一連の騒動を見ても分かるように、力を入れれば入れるほどゴールが遠ざかり、力を抜いてリラックスするほどゴールが近付くようになる仕様なんじゃないかな」
「だから湯舟に浸かって、急がず焦らず牛乳を飲むか」
「そゆこと。これでも私の奇行を止める?」
「一理あるが、少し待ってくれ。お前の予想が正しければ、牛乳を飲んだ時点でイベントが発生する可能性も高い。円蒐みたいに離別するイベントを招くことになれば、せっかくの情報収集が半分無駄になる。飲むのは僕の意見を聞き終えてからにしろ。いいな?」
「はーい。じゃあ、さっさと教えて」
素直に言うことをきいた雪女は肘掛けに牛乳瓶を置き、聞き入る姿勢になっている。前と違って角が取れたというか、口答えしなくなったというか、少しは心を開いてくれたらしい。まぁ、正直なところどっちでもいいが、以前に比べれば幾分かコミュニケーションが円滑になったのは確かだった。
「結論から言うと、ここに宿泊する奴らの共通点は『旧き神』だ。それ以外の種族が泊まりにくることは滅多にないらしく、円蒐をさらったやつも旧き神が関与している可能性が極めて高い」
「あー、だから私、狙われたのか。雪男スーツを着ていたらパッと見だと神様っぽいし、それがないといかにも人間だもんね」
「あぁ。恐らく捕まれば、供物にされる。人身御供という言葉があるが、神の生贄に捧げられるのがオチだろうな。遅かれ早かれ殺されると考えていい」
「顔出しは気をつけないとか……。それには納得なんだけどさ、大前提として、『旧き神』と『一般的な神』の違いってなんなの?」
「諸説あるが、人類史が始まる以前と以後で考えるのが最も分かりやすいな。人間が現れる前に宇宙を統治していたのが『旧き神々』、人間が現れた後に管理者が一新されたのが『今の神々』ってところだ」
「へぇ……だから聞き馴染みがなかったのか。言われてもピンとこないだろうけど、円蒐をさらった神様に見当はついてるの?」
「あの三本指から考えて、相手は恐らく龍の神だ。古今東西で扱われる覇権タイプだが、恐らくアレは日本神話出身。さらに掘り下げれば、『今の神々』に相当する『記紀神話』じゃなく、『出雲神話』に該当する人々に忘れ去られた神」
「それってつまり……?」
「――瀧鳴大神。そいつが泊まる客室に円蒐はいるはずだ」
◇◇◇
「事情は概ね理解した。チワ公が旅館の禁を破ったことで、俺が捕まったという体なんだな。お前は旅館に協力する立場にあり、傷つける意思はないと」
量産型の和室に縄で拘束される俺は状況を整理する。目の前には犯行に関与したと思わしき存在がおり、首肯しているのが見えた。俺の目から見れば、ただの人間にしか見えない。旅館には神を人に見せる性質があるのかもしれんが、本題ではなく、向こうに答える義理はないだろう。出会いは最悪だったが、これも何かの縁だ。悪気があったようにも思えんし、少しは心を開いてもいいだろう。
「お互い大変だな。気苦労が絶えないと思うが、似たような境遇ということもあり、勝手に親近感を覚えた。良ければ名前を聞かせてもらえんか?」
視線の先には、長い青髪をポニーテールにした男の姿。白のTシャツに黒の短パンという非常にラフな格好をしており、座椅子に深く腰をかけている。問いかけに対し、男は柔和な笑みを浮かべ、口を開いた。
「おいらは天津甕星。逆張りの神だ」
◇◇◇
牛乳を飲むのは円蒐を見つけてから。そう雪女に言い聞かせ、僕たちは旅館の二階へと移動した。遠回りに思えるが、足を使って聞き込み調査をした方がいいと判断し、客室を片っ端から訪問する作戦に打って出た。
ノックを繰り返し、代わる代わる現れるのは、モブキャラにしか見えない地味な面子。恐らく、旅館の性質が神を人に変えるんだろう。巨人のクロノスがここに入り浸れる理由もこれで説明がつく。すでにチワワのイメージが固定化していた僕は例外といったところか。
とにもかくにも、今、重要なのは円蒐をさらった神の部屋を突き止めることだ。行き当たりばったりだろうが、無理くりだろうが何らかの手掛かりを掴めれば何でもいい。恥も外聞もなく、僕たちは客側すれば迷惑極まりない訪問を繰り返した。
「あぁ、それなら……隣の部屋のはずよ」
暖色系の半纏と浴衣を着た黒髪ロングの熟女は快く答える。ここまで空振りに終わっていたが、ようやく掴んだ有力な手掛かり。足早に向かいたくなる気持ちをぐっと堪え、「礼を言う」と短く感謝の言葉を添え、バタンと扉は閉じた。
「いよいよだね。覚悟はいい?」
「もちろんだ。景気よくやってくれ」
隣の部屋の扉前に移動した僕たちは確認を取り合い、向き合う覚悟を決める。雪女は雪男スーツの体躯を活かし、ゴツゴツとした手で数度ノックを響かせた。かすかに足音が聞こえ、こちらに近付いていくのが分かる。何が出てきたとしても暴力は原則としてNGだ。また罰則を与えられることになれば、堂々巡りになる。穏便に丁寧な対応を心掛ける。それで無理なら、ダイスロールが始まるだけだ。
思考を整理し終えたところで、ガチャリと扉が開く。そこには黒い和服を着た若々しい男が立っている。見た目では判別がつかず、やるべきことは決まっていた。
「お前が瀧鳴大神か?」
「半分はそうじゃな。何か用か?」
「ここに捕らわれている円蒐を返してもらおうか。解放条件があるなら、先に提示してくれると助かる」
「うん? よく分からんが、聞き覚えのある名じゃな。そいつはもしや、太っちょの骸人か?」
「とぼけやがって。そうに決まってるだろ。さっさと――」
「円蒐は戦獄時代を共にした身内の一人じゃ。縁も恩もある相手を貶めようとはせんよ。いくら旅館の掟があるとは言っても、こちらにも自由意思というものがあり、選ぶ権利がある。何か面倒事に巻き込まれたなら手を貸してやろうか?」
男は屈み、快く手を差し伸べ、問いかける。嘘をついている様子はなく、隙間から見える場所に円蒐を捕縛している様子もない。どうやら予想は外れたらしいな。まだ100%潔白だと確定したわけじゃないが、口振りからして僕たちに協力する気があるのは間違いない。
「お前……名は?」
「夜に助けると書いて、夜助じゃ」
「ひとまず信用してやる。状況説明も兼ねて、上がらせてもらうぞ」
お手をする形で、僕たちと夜助と名乗った男と結託。もっともらしい口実を付け加え、部屋の探索から始めることにした。




