第50話 大浴場
『出目は32。激昂した常闇の王はチワワの状態で店員に牙を立てるが、スルリと通り抜ける。失敗』
個室食事処でダイスロールが行われ、結果の判定が終わる。言われた通りの有様で、僕の攻撃は空振りに終わった。運が悪かったの一言で済めば簡単なんだが、今の現象を安易な決めつけで片づけることはできない。
「見たか、今の!!」
僕は振り返り、当事者となった二人に問いかける。ダイスロールに関しては時間が停止したような状態で確認できなかっただろうが、今の一連の攻防は目撃したはずだ。どう見えたかが重要であり、ここで頼りになるのは正常な目を持つ男。
「こっちの台詞だ……チワ、公……」
しかし、目の前に広がるのは異様な光景。三本指の何かに円蒐は胴体を鷲掴みにされており、苦しむ表情が目に入る。握り込めば容易く臓器が飛び散る。その光景が脳裏に浮かぶほど人智の離れたものであることが一目で分かった。
見たところ、三本指に通ずる腕や身体は存在しない。何もない空間から突如として三本指が発生したような印象で、僕が知り得る情報の中なら『召喚術』が最も近い。文字通り、神や悪魔や化け物の類を呼び出す術だ。今の一連の行動で何らかの条件を満たしてしまった可能性が高く、恐らくこれは罰則型の召喚獣。具体的な内容はまず間違いなく……。
「社内での暴力はNG。罰として、お仲間は没収する」
割烹着姿の女将は自ら種を明かし、何事もなかったように去っていく。気付けば三本指と円蒐の姿はなく、個室には僕と雪女とタコ足料理が取り残されていた。
◇◇◇
食事処を離れた僕たちは旅館内の散策を開始した。言うまでもなく目的は『円蒐奪還』であり、雪女も追従している。これまでの積み重ねで良好とは言えない関係が構築されているせいか、互いに口数は少なく、無言で一階の廊下を歩いていた。ここは客室があるフロアではなく、宴会場や調理場などがあり、食事がメインのフロアなのは一目見て分かった。宴会場からはワイワイガヤガヤとした賑やかな声が聞こえてくる。素知らぬ顔をして探索しても良かったが、また後付けのNGを出されては困る。恐らく、良識の範囲内で行動することが義務付けられており、無理は禁物だった。
「……あの人を取り返せなかったら、どうする?」
そんな中、雪女は万が一を想像して問いかける。諦める前提なのが癪に障るが、今後のことを考えれば避けられない話題であり、結論を出しておく必要があった。
「僕は意地でも残る。少なくとも、生死がハッキリするまではな」
「私は……」
「お前は先に進め。人数合わせで呼んだ僕たちに付き合う必要はない」
「言われなくてもそうする。ただ、義理もあるから少しは探すの付き合うよ」
そこで会話は終わり、当面の行動方針は定まった。『少し』というのがどこまでを指すかは分からんが、雪女が欠けようが残ろうが僕のやることに変わりはなかった。それだけ、円蒐が僕にとって大事なものになりつつあるのは確か。行きずりの関係以上なのは認めざるを得ず、仮に独創世界のキャラクターの一人だったとしても、簡単に捨て置くことはできなかった。
常闇の王としては、焼きが回ったな……と思わんこともないが、これもこれで味だろう。長らく悪役に徹していたせいもあってか、新鮮味を感じる。危機的状況に陥っているのは間違いないが、明度のみの世界に色相と彩度が与えられた気がした。
しばらく考えを整理しながら突き進むと、突き当たりになっていた。厳密には先に進めるが、分かれ道になっている。『男』と『女』という文字書かれた暖簾が設置され、中央には『大浴場』と達筆な文字で書かれている。
「一応、聞いておくけど、性別は?」
「男ということにしておこう。30分後にここ集合でいいか?」
「文句なし。それでいこう。何かあったら叫ぶから入ってきてもいいよ。犬だからNGとはならないでしょ。逆もまた然り」
必要最低限の会話で意思疎通を済ませ、僕は左、雪女は右に進む。円蒐のヒントがある保証はなかったが、『大浴場』は旅館の目玉だ。ここがTRPGという前提でメタ読みすれば、何らかのイベントが用意されているのは間違いないだろう。
◇◇◇
衣服を装着しない僕は脱衣所に見向きもせず、真っ直ぐに『大浴場』を目指した。清涼感のある檜の香りが鼻孔を突き抜け、快い気分のまま木製の足場を歩き、横開きの扉を前足を使ってスライドさせ、目的の場所を視界に収める。そこに広がっていたのは大浴場ならぬ、超巨大浴場。敷地面積とは矛盾した空間が広がっており、数センチから数百メートル級の多種多様な温泉が用意されている。当然、そこに浸かっている顕在顧客がおり、錚々たる面子が揃っていた。
「旧き神々……。社の意味は神をまつる方か」
ある意味で納得のいく答えを目にし、旅館名が腑に落ちる。だからなんだという話ではあったが、円蒐が消えた原因が神々にあるなら無関係とは言えなかった。
僕は視線を右往左往とさせながら、周囲を観察する。温泉で癒されるつもりなど毛頭なく、この中で話が通じそうな神を探す方が重要だった。
「あいつが無難か」
僕は目星をつけ、候補を一人に絞り切る。この中でも突き抜けてデカい巨体であり、立場的にも僕と同等か、それ以上の存在とも言える名の知れた男。見た目だけで言えば、白髪髭面の老父。
「ほっほう。引きこもりの神か。珍しいものを見れたわい」
僕を見つけるやいなや、貫禄のある声音で反応を示した。侮蔑とも取れる発言だが、半分事実である上に、無関係とも言えないから反論しづらい。僕たちには人類が生まれる前に宇宙を統治していたという共通点があり、因果関係を整理すれば苦々しい気持ちを思い出さんこともない。ただ、それはそれで、これはこれだ。
「昔話をしにきたわけじゃない。旅館についていくつか聞きたいことがあるが、答えてもらえるか? 農耕の神にして、ゼウスの父……クロノス」




