第36話 人工登攀
人工登攀。またの名をエイドクライミングという。道具の保持力を頼りにして登る技術のことを指す。岩壁の裂け目に支点を設置し、そこに縄梯子状の足場をかけ、最上段まで移動した後にさらに高い位置に支点を設置する。それらを繰り返し、登り続けるのが大まかな流れと言える。
前提として、俺は素人だ。道具の扱い方はなんとなく知っているが、ハッキリ言って登り切れる自信はない。仮に目の前の反り立つ壁を登り終えたとしても、プロレベルの登攀技術が要求されるはずだ。ただ、大口を叩いてしまった以上は引くに引けず、何事もやってみなければ始まらない。
「……」
手に取ったのはハーケンとハンマー。突起物を壁に叩き込み、割れ目を強制的に作り、それを支点にする手法だ。その性質上、山を傷つけてしまうため自然保護の観点から推奨されておらず、最終手段として用いるのがマナーらしい。
「――――」
知るかそんなもの。カチンと軽快な音をかき鳴らし、ハーケンの取っ手部分をハンマーで叩き、先端部分を岩肌に刺し込む。どの程度深ければいいか分からんが、身体が乗っても抜けなければいいだろう。
次にハーケンの取っ手にカラビナと呼ばれる開閉式の金属製のリングを装着。腰に装着されたハーネス中央に備わる太い輪っかをリングに通し、固定する。これで万が一の場合があっても、墜落を防止できるはずだ。まぁ、この時点だと大した高度ではないが、高い位置で体勢が崩れてしまった場合は命綱になる。
更に別のカラビナをハーケンの取っ手に固定し、次は足場となる縄梯子……あぶみをリングに固定し、最下部に右足を乗せて感触を確かめる。感覚的には縄が無数に連なった遊具に近い。手足を乗せることはできるが、ブラブラと左右に揺れ、地上に比べたら不安定な足場と言える。今なら何も感じないが、高度が上がるほどに緊張感が増していくだろう。命綱をつけているとはいえ、ハーケンが抜けてしまえば、地面に真っ逆さまだ。落ちる場所が悪ければ、そのまま滑落死もあり得る。
「上等だ。金のためなら、自然にも狂気にも逆らってやる」
意気込みを新たに、俺は不慣れな登攀を開始した。
◇◇◇
僕は円蒐が背負うバックパックに押し込まれ、脇役のような立ち位置になっているが、重要な役目を任されていた。
「…………」
パックパック内には小ぶりの100面体ダイスが現れている。
『人工登攀の判定を行う。ダイスを振れ』
次にゲームマスターは端的な指示を飛ばし、意図を明らかにした。肝心要の円蒐のステータスは不明だが、おおよその予想を立てることはできる。
技能値の0~40%未満は素人。40~60%未満はセミプロ。60~80%未満はプロとされており、円蒐は間違いなく素人に該当する。どれだけ高く見積もっても40%が限界であり、それがそのまま成功率に直結する。通常のルールなら、1~40までの出目を出せれば成功、それ以外なら失敗という扱いになるはずだ。
常闇の王だった頃は出目の効果が反転していたが、チワワと化した今は通常通りの仕様になっている可能性が高い。
ようするに1~40の数字を出せば成功し、それ以外なら一歩後退、もしくは、96~100の出目を引けば滑落死という結果が訪れると思われる。
決して口に出すことはないが、僕は確実に追い込まれつつあった。第一級悪魔如きと見下していたが、ここまでくれば実力を認めざるを得ない。仮に全ての独創世界を踏破したとしても、常闇の王に戻ることはできないだろう。
彼らはすでに勝負で勝っている。後は試合で勝てるかどうか。僕たちが登攀に失敗し、滑落死すれば彼らの完全勝利……つまりはパーフェクトゲームが達成される。それだけは阻止せねばならない。元常闇の王としての威信にかけても。
「――――」
意気込みを新たにし、僕はダイスを振るう。こればかりは運でしかない。前のような豪運は恐らく発揮されず、極めて平等なジャッジが下されるはずだ。
『出目は72、失敗。あぶみから足を踏み外したが、命綱のおかげで無傷となった』
外の状況が間接的に分かるアナウンスが頭に響く。思った通りと言うべきか、通常通りのルールが適用され、出目の効果は反転されていなかった。前のように豪運任せで攻略するのは困難なように思えた。
しかも、一度目の失敗だからこそ罰則が軽いが、回数を増す事に重くなっていくはずだ。僕の予想だと二度目は装備が一部破損、三度目はSAN値が削られ、四度目は落下、五度目は滑落というパターンとなるはず。
もちろん、全てが通常の失敗だったケースだ。96~100の致命的失敗を引いてしまえば、どの状態だったとしても一発アウト。前回まで幸運だったものが、今回は不運にあたる。前までは僕の得意分野だったからこその全能感があったが、今となっては一人のプレイヤーに過ぎない。イケイケな気持ちを持つのはいいが、それを前面に押し出せば痛い目を見るのは僕だ。一回一回のダイスと行動を重く捉え、一歩引いた目線で物事を考えなければ……ゲームに殺される。
『二回目の人工登攀の判定を行う。ダイスを振れ』
ゲームマスターは再び指示を飛ばし、行動を急かす。ダイスを振る以外の選択肢もあるっちゃあるが、機転を利かせるタイミングは今じゃない。
「――――」
僕はルールに則り、ダイスを振るう。緊張感は更に増し、身体が小刻みに震えているのが分かった。出目が悪ければ死ぬ。それが間近に迫っているのが、さっきの失敗によって、よりリアルに感じ取ることができた。
生きた心地がしないまま、転がったダイスは停止する。
「出目は39、成功。人工登攀のコツを掴み、円蒐は着実に壁を登る」
どうやら、円蒐の技能は素人の中だと高めに設定されているらしい。登攀道具が揃っていることによるボーナスが加算されているのかもしれないが、どれだけ高く見積もっても元々の技量+20%程度が上限。それを加味したとしてもギリギリ成功の数値と言える。操作キャラが違えば失敗していた恐れもあった。
まぁ、何はともあれ一歩前進だ。順調とは言えないかもしれないが、最悪とも言えない状況でゲームは進行している。メタ的に考えれば、人工登攀のフェイズはクリアしたと思っていいだろうな。同じ動作に対して何度も判定を行うのは、おもんないゲームマスターがやることだ。一度でも成功が出れば先に進むのが鉄板であり、シナリオに光るものがある彼女も例に漏れないはず。
『円蒐は素人ながらに反り立つ壁を攻略。期待に胸を膨らませ、九合目に向かう道に通じると確信して、上に広がる景色を覗き込む』
予想通り、ゲームマスターはシナリオを進ませ、見えない外の状況を伝える。嬉しい反面、不安もあった。TRPGを隅々まで知っている僕としては気を抜けない。ここで安心するのはニワカのすることだ。大抵の場合、不安を煽る接続詞が続く。
『――しかし、そこに広がるのは氷壁。人工登攀の技能では登れない斜面が続いていた。ハーケンとハンマーでは氷壁を貫くことができず、進行不可能の状態に陥っている。その絶望的な光景を前にして、円蒐のSAN値は削られようとしていた』
あぁ……なにもかもが的中してしまっている。分かってしまうからこそもどかしい。こちらにとって都合のいい出来事が一つも起きてくれない。僕が黒幕としてなら幸運に該当するが、今となっては不運以外のなにものでもない。こうしている間にも悪い方向に転がっていき、何もしなければSAN値を削るためのダイスロールが行われることになるだろう。最終的に行き着く先は死だ。円蒐の命は僕が握っていると言っても過言ではなく、円蒐は僕の命を握っている。運命共同体のような状態で、生死を分ける最終的な決定権は僕にある。
『SAN値減少のダイスを――』
「アイスアックスを使え!! 円蒐!!!」
ゲームとリアルが入り混じる。僕はバックパックの中から、円蒐に対して直接指示を送る。僕は目にしていた。奴がアイスクライミング用の装備を持っていたのを確認していた。忘れていただけなんだ。後は――。
「……よしきた!!!!」
バキンという小気味のいい音が鳴り響き、ダイスロールの催促は止んだ。




