第37話 最悪
『欲しいのは、きょーきらんぶ。飢えたおねえちゃんならできるよね?』
思い返されるのはディアンドルを着た金髪少女の声音。彼女にパシャリと焚かれたインスタントカメラの閃光が嫌でも頭に残ってる。私は飢餓の騎士と思わしき少女に操られた。鬼の本能を刺激され、私は私でなくなった。結果として、オクトーバーフェストは『超大盛り上がり』を見せた。
もう私の出番は残ってないのかもしれない。得体の知れないグミを食べたおかげで体調が元に戻ったとしても、帰る場所はないかもしれない。
どこまでいっても私は鬼だ。化け物だ。自制心を制御できず、人に襲い掛かってしまった事実は揺るがない。飢餓の騎士がどうこうと言ったところで言い訳に過ぎず、能力にかかってしまった原因は私にある。
被害者が出ていなければ弁明の余地があったかもしれないけど、私はセレーナを焼刃で切り裂いた加害者だ。止められたかもしれないのに、彼女の魔術が気に食わないという理由で半分ほど同意してしまっていた。
馬鹿だ、私は。相手を傷つける結果を招くなんて少し考えれば想像がついたはずなのに、それに気付けなかった。
表舞台に立つ資格はない。トラブルをエンタメに変えたセレーナに何もかもが劣っている。魔術にケチをつけたかったのは言いがかりに近い。表面的な言動は氷山の一角に過ぎず、本質的な部分は目に見えない氷山の最深部にある。
その時、どこか遠い場所で氷が割れる音がした。
「…………」
パチリと目を覚ますと、そこにはテントの天幕が見えた。サーカスの舞台裏だ。公演が終わったせいか人気はなく、周りに関係者の姿もない。傍らには余熱を残した三叉槍が転がっており、セレーナ戦から大して時間が経っていないのが分かる。
なんだか胸騒ぎがする。
私は身を起こし、槍を回収し、辺りを注意深く観察した。真っ先に目に入ったのは、セレーナが倒れていたと思わしき場所。赤い血痕が残っており、人命に関わるレベルで出血しているのが分かる。
「……?」
気になったのは青い血痕が混ざっている点だ。鬼の血は青いけど、私が戦闘中で出血した覚えはなく、サーカス関係者に鬼や悪魔の類はいなかったはず。
もしや……と思い、すぐさま紅白の巫女服の袖をめくり、両腕を確認する。右腕の関節部分には注射痕があった。そこまで情報が与えられれば、さすがの私でも分かる。セレーナは恐らく……。
「おはよう、おねえちゃん。元気そうでよかったよかった」
そこに声をかけてきたのは、インスタントカメラを首にかけた金髪おさげの少女。ディアンドルを着ており、脳内再生されていた人物と一致する。
「飢餓の騎士……っ!!」
私は槍を構え、細心の注意を払った。警戒すべきはカメラだ。シャッターを押されれば再び操られてしまう可能性が高く、それだけは避けなければならない。
「あー安心して。きがいを加えるつもりはないよ。わたしの目的は果たされてる」
「目的とは……?」
「外に出てみれば分かる」
嘘か本当か分からないまま会話は終わり、飢餓の騎士は気付けば姿を消していた。少なくとも敵意がなかったのは明らかで、私は嫌な予感がしながらも、テントの外に移動する。そこには目を疑う光景が広がっていた。
「…………っっ」
行われているのは、血みどろの戦い。誰が誰と決闘しているなんて生易しいものじゃない。影響範囲は祭り全体に及び、理性を失った人たちが殴り合っている。『盛り上げる』、『盛り下がる』どころの騒ぎじゃなく、世界の終焉が着実に近づいている気配がした。
恐らく、この感情は世界に伝播する。ウイルスのように人から人へ感染していく。強い個体だけが生き残り、弱い個体が淘汰される蟲毒と化している。中には意思の力を扱う者も現れており、ある意味で人類の選別が行われようとしていた。
『わたしの目的は果たされてる』
先ほど言われた飢餓の騎士の言葉が脳裏によぎる。見れば分かると言った意味が理解できた。その答えは彼女が前もって語っていた言葉で表現できる。
「狂喜……乱舞……」
規格外の現象を目の当たりにして、私は呆然としていた。私が介入したところで一体何ができると言うのだろう。これは止められない。少なくとも私にはどうにもできない。一人、二人の命を救えるかもしれないけど、全員は救えない。
ジワリと胸の内に黒い何かが侵食していくのが分かる。負の感情と言えば単純だけど、たぶんこれはもっと複雑なものだ。正気を失った彼らに影響を受けつつある。見ているだけで悪影響を及ぼされているのが分かる。
遠くないうちに私は彼らの仲間入りをするだろう。戦うにせよ、見ているだけにせよ、誰かを救うにせよ、世界の流れに逆らうことはできない。何をやったところでバッドエンドに直行する。フィジカルで劣っている人類の大半は淘汰される。真の意味で『弱肉強食』の時代が始まる。頭の良さは関係ない。腕っぷしの強さだけが唯一無二のステータスに変わる。
「駄目だ……。私には何も……」
予期できなかった絶望を前にして、足がすくむ。前に進みたいという意欲が消え失せる。生きたいという気持ちより、死にたいという気持ちが先行する。
『……』
そこで蘇ったのは、セレーナが私との戦闘中、左手の人差し指を立てた光景。トラブルをエンタメに昇華した真のエンターテイナーの姿。
もはや言葉は必要ない。いちいち言語化しなくてもいい。無駄に終わるかもしれないけど、私がやれることは残っている。
「――――」
気付けば走り出していた。私の控え室に向かって。




