第21話 冷めやらぬ興奮
サイロスタシス。一部の細胞を極低温状態にして、魔獣化を抑えるために開発された液体だ。覚醒都市出身の科学者エフゲニーによって実用化され、魔女ニコラの手が加わることによって完成した。
科学と魔術の化学反応ってやつだな。従来の性能なら、医療ポットの中に液体付けにして、四六時中電源を入れっぱなしにする必要があったらしいが、それは大幅に改善された。サイロスタシスを構成する材料を黒魔術じみたものに変えたらしい。中身は不明だ。興味本位で覗き見しようとしたが、素材の配分と分量が命だから入ってくるなと工房を追い出され、三日三晩缶詰状態になって、ようやく出来上がった。
「………」
オレは舞台裏でジーンズのポケットに手を入れ、『それ』を取り出した。半透明の四角いピルケースに内包されていた黄金色のグミだ。詳しいことはよく分からんが、液体を個体にすることで電力問題と維持コストを改善したらしい。魔獣化末期患者十一名の臨床試験済みで、効果は間違いなくある。
とはいえだ。鬼にも同じ理屈が通用するかは分からない。元々はユースタスが暴走した時に備えた保険だったわけだが、物は試しってやつだな。
「――んぐっっ」
オレはマチルダによって羽交い絞めになったナナコの口にグミを無理矢理ねじ込んだ。喉に詰まる心配はないし、噛ます必要もないだろう。ナナコの顎下を掌で突き上げ、魚を丸呑みするペリカンみてぇな動きを見せ、ゴクンと喉が鳴った。
鬼と魔獣化は似たような症例だ。元々、人間だったやつが魔と交わった結果の変異だ。風邪とインフルエンザは薬が別と言われればその通りなんだが、関連性はあるし、両方に効いてくれると信じたかった。
「………………」
初めての症例となったナナコは沈黙を保っている。効いたのか、効いていないのか、どちらとも取れる状態が続いている。こうしている間にも、傍らにいるセレーナの出血が止まらない。他の社員が応急処置を行おうとしているが、現代医療や回復に特化していないセンスや魔術では治療不能な状態に陥っている。
こんな時にヘケトがいればな……。マルタ共和国に訪問して以降、姿を消したが、あいつの治癒能力は他の追随を許さない。あの『よだれ』を量産できれば、不老不死を維持することも可能なぐらい優れていた。生憎、よだれを溜めた牛乳瓶のストックが切れた状態での行方不明だ。こんなことなら頭を下げてでも、予備を一本残しておくんだったな。
「お前の天秤はどちらに傾くと言っている、マチルダ」
鬼と人、生と死が宙ぶらりんの状態で、オレは正面にいるボンテージを着た女性に問いかける。白塗りの顔で、左目の目元には天秤の刺青があり、今みたいな不安定な状況での判断能力はズバ抜けて高かった。未来視めいた仕様がある刻印なのか、天性の直感なのか、意思能力なのかは分からねぇが、肉体系のオレにはないものを持っているのは確か。天球儀による水の宴会芸は彼女の本域じゃなかった。
「ん~、吉か凶かで判断するなら……大吉かな」
見通しの立たない絶望的な状況で下されたのは幸先のいい言葉。オレ目線、なんの根拠もなかったが、不思議となんとかなるような気がしてくる。
「……っっ!?」
その言葉に呼応するように、テント内から異様な熱気を感じた。暑い寒いの気温の変化じゃなく、身に馴染みのある熱さだ。正直言って、確信はない。れっきとした根拠があるわけでもない。ただ、予想することはできる。今までの情報と経験則をもとにして何が起こったのか判断することができる。
「待てよ……。社長の光背と法輪が及ぼした効果って……」
「意思の力の流布。仏の教えを説く、八正道の語源に近い現象だね」
◇◇◇
私のオクトーバーフェストはようやく始まった。最後の封印を解くカギはついに出揃った。ナナコは恐らく、祭りが『盛り下がる』ことで封印が解けると予想としただろう。だが、いったん冷静になって考えてほしい。エネルギーが低い状態で、エネルギーの高い存在を呼び出すことは可能だろうか。電力供給量が低い状態で、世の中の電力需要量を上回ることができるだろうか。答えは否だ。圧倒的な電力供給量によって、世の需要を満たしている。決してその逆はあり得ない。意思の力でも同じことが言え、私が目指していたものは『盛り下がる』の対極にあった。
「出でよ、混沌。そして、旧人類を破壊し尽くし給え」
時期と条件と供給量を満たし、私はテレージエンヴィーゼの西端に位置する丘の頂上で呪文を唱える。目の前には女性と獅子を模した銅像があり、どす黒い何かが溢れ出ようとしていた。もちろんこれは、完全な復活とは言えない。祭り全体を巻き込む、もう一段階の『盛り上がり』が欲しい。とはいえ。とはいえだ。
「…………」
現れたのは、漆黒の男。混沌の権化が現界を果たしていた。




