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雛代の箱庭  作者: N


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6話

やがて、次の儀式の“生贄”が流れてきた。


川上から現れたそれは、前回よりもずっと丁寧だった。

漆は深く、水面に黒い光を落としている。

継ぎ目は塞がれ、隙間がない。

沈むための重りまで、最初から仕込まれていた。


——改良だ。

人を殺す手順がうまくなる。


それなのに、私は思ってしまった。

きれいだ、と。でもすぐに否定する。


村は儀式を“続ける”だけじゃ足りなくなったのだ。

私が流された時より増えた人。見物人の声。

“雛代”が流れるたびに、村は賑わっていく。


救いみたいに言う者がいるだろう。

「村が潤った」「道ができた」「客が増えた」

そうやって誰かの死の上に、村の未来が積み上がる。


——災いは収まった、と。

あのときと同じ言葉が、今度は胸の内側で別の形にねじれた。

収まったのは災いじゃない。

罪悪感のほうが、うまく隠れるようになっただけだ


貧しいから仕方ない。

そう思って、そう思うしかなくて。

「意味がある」と信じたかった。


でもこれは供物じゃない。

祈りでもない。

商品だ。

続けるための工夫で、殺しやすくしている。


胸の奥がきゅっと縮んだ。

腹が立つ。

でも、同じくらい分かってしまう。


村は怖いのだ。

怖いから、続ける。

続けるために、飾る。

飾り続けるうちに、誰もそれを“殺し”と呼ばなくなる。


私は沈んだ箱へ糸を伸ばした。

濡れた紙みたいに、魂が指先へ絡みつく。

引き上げると、冷たさが手のひらに残る。


そのまま、キクのいる箱庭へ移した。


「友だちができる」

と思った。

キクの孤独が少しでも薄まる気がしたから。


けれどキクは笑わなかった。


表情は固く、目だけがどこか遠い。

私の後ろでも、目の前でもなく、もっとずっと向こうを見ているみたいだった。


新しく来た魂を見ているはずなのに、

キクの視線は、その子を通り越して

まだここにない“何か”を見ているようだった。


そして部屋の奥へ下がると、櫛を取った。

髪を梳く。梳いて、また同じところを梳く。


——でも、きっと大丈夫だ。

人が増えれば、いずれ慣れる。


私はそう信じた。


三人目の少女は、ウメというらしい。

キクと違って、やけに社交的だった。


縁側から身を乗り出して、庭を見回す。

花も、道も、囲炉裏の火も、どれも“作りもの”なのに、真剣な目で見ていた。


「……ここで暮らしてるの?」


「うん。キクと二人でね」


答えると、ウメはぱっと顔を上げた。

驚きというより、息を呑むみたいに。


「二人で……!すごい……!私、村じゃずっと役に立たなくて迷惑ばっかりかけちゃうのに」


笑って言うのに、笑えていない。

冗談みたいに軽くして、落ちる前に手で支えている声だった。


「針仕事も遅いし、段取りも覚えられなくて……。余計なことして邪魔だって、よく言われた」


畳に両手をつき、視線を落とす。頭を下げるみたいに。


「私も役に立ちたい……!

 ここでなら私も何かできる?」


胸の奥が、ちくりとした。

私はその言葉を知っている。

“役に立つ”で人を選ぶ声。私を雛にした声。


「……できるよ」


そう言いかけて、喉で止まった。


ここでも同じ言葉を使ったら、また誰かを雛にしてしまう。


私は息を吸って、言葉を探す。


「役に立たなくてもいいよ」


ウメがきょとんとする。


私は言葉を探して、息を吸う。


「そういうの関係なく、私は……みんなと過ごしたい」


言い切った瞬間、ウメの目が濡れた。

泣くのを堪えるみたいに瞬きをして、それでも笑った。


「……雛、ありがとう」

子どもみたいに、まっすぐ言った。


「私、雛の役に立つ。絶対」

言い切ってから、慌てたみたいに付け足す。

「あ……役に立たなくても、ここにいていいなら。なおさら」

 

そう言って周りを見渡してから何かを見つけたように言った。

 

「あ、雛。ちょっと来て」


ウメはそう言って、私の手を引いた。


引く力は強くない。

何かを急かすみたいな手じゃなくて、

途中で何度か止まる。


歩幅が合わなくて、

私のほうが少しだけ待つ形になる。


土を踏むたび、

ウメの足取りはわずかに揺れた。

痛そう、というほどじゃない。

でも、長く歩くのには慣れていない歩き方だった。


「ごめん、遅いよね」


ウメは笑って言った。


「いいよ。時間はたくさんあるから」


ウメは少しだけ目を瞬いた。


「……ありがとう」


それだけで、

なぜか嬉しそうに笑う。


「いろんなところ見ていい?

こうやって、誰かと景色を見ながら歩くの、夢だったんだ」


私は頷いた。


「いいよ。どこ見たい?」


ウメは少し考えてから、

ぱっと指をさす。


「まず、あそこ!」


私たちはゆっくり歩いた。


ウメは景色を見るたび立ち止まる。

花を見て、道を見て、空を見て、

ほんの少し進んでは、また止まる。


ときどき立ち止まる時間が少し長くなる。

でも、急かす気にはならなかった。


楽しそうなウメの横顔を見ていると、

私も少し嬉しくなる。


どうでもいい話をしながら歩いているうちに、

白い空間へ辿り着いた。



ここはまだ何も触れられていないみたいに静かだった。


「これは……?」


ウメが不思議そうに近づく。


「まだ、何も手をつけてない場所だよ」


私は白を見た。


「最初は、ここみたいに何もなかった」


ウメがゆっくり振り返る。


「あの山とか、花とか……あれも?」


「うん。キクと二人で作ったの」


ウメは息を呑むみたいに目を開いた。


「すごいな……」


それから、少しだけ声を小さくする。


「……私にもできるかな」


その言い方に、

胸の奥が少しだけ痛んだ。


「……何か、置いてみる?」


ウメがぱっと顔を上げる。


「え……いいの!?」


「うん。置いてみたいなら」


そう言うと、

ウメは白い空間を見回した。


何もない場所を前にしているのに、

もうそこに何か見えているみたいな目だった。


「じゃあさ、じゃあさ!」


少しだけ弾んだ声で言う。


「みんなで座れる場所、作ってみていい?」


ウメが白い空間を振り返って言った。


「いいよ」


私は頷く。


「やってみよっか」


最初に作ったのは、少し低すぎた。


ウメは一度、手を座面についた。

それから、体を支えるみたいにゆっくり腰を下ろした。

途中で「あ、これだめかも」と笑う。


膝を曲げる角度がきついのか、

腰を下ろす前に手をついてしまった。


私は形を少し変えてみる。


「もう少し高いほうがいい?」


ウメは少し考えてから、

うん、と頷いた。


次は広すぎた。

その次は奥行きが足りなかった。


二人で作ってはやり直して、

少しずつ形を整えていく。


ウメは楽しそうだった。


「これならどうかな」

「ちょっとよくなった」

「じゃあ、ここを丸くする?」

「うん、いい感じ」


そんなやり取りを繰り返して、

ようやく形になった。


座るところは少し広めで、

隣に誰かがいても窮屈じゃない。


「できた……」


ウメが嬉しそうに言う。


それから、くるりと私を振り返った。


「ねえ、雛」


「なに?」


「一緒に座ろ?」


私は少しだけ瞬いた。


そう言われると思っていなかったわけじゃない。

でも、実際に口にされると、

なぜか少しだけ胸の奥がくすぐったい。


「……うん」


隣に座る。


不思議なくらい、しっくりきた。


楽というだけじゃない。

誰かと並んで座るための形をしていた。


ウメは足を投げ出さないように、

でも無理もしない位置で揃えて、

満足そうに息を吐いた。


「これ、いいね……」


「うん」


「ひとりで座るよりずっといいな」


その言葉に、

私は少しだけ椅子の端を撫でた。


作ったばかりのはずなのに、

もう誰かの居場所みたいだった。


家に帰る頃には、夜もかなり更けていた。


「ただいま、キク」


私はウメの手を引きながら、ゆっくり戸をくぐった。


返事はすぐにはなかった。


囲炉裏の火が、ひとつ、小さく鳴る。

赤い芯だけが静かに揺れている。


その向こうで、キクが座っていた。


いつからそこにいたのか分からない。

背筋を伸ばしたまま、少しも崩れずに。

まるで、ずっと同じ姿勢で待っていたみたいだった。


「……おかえり」


やわらかい声だった。

いつもと同じ、静かな声。


それなのに、戸口をまたいだところで、

私はなぜかそれ以上、すぐに進めなかった。


ウメは気づかないまま、ぱっと笑う。


「キク、聞いて。白いところにね、椅子を作ったの」


キクはすぐには言葉を返さなかった。


代わりに、視線がゆっくり落ちる。


私の顔。

肩。

袖。

そして、ウメの手を引いている私の手。


ただ、見落とさないように確かめているだけだった。


私はそれに気づいた途端、

何を言えばいいのか分からなくて、

そっとウメの手を離した。


その瞬間、キクが瞬きをひとつする。


それから、ほっとしたみたいに小さく笑った。


「そうなんだ」


「うん。三人で座れるやつ!」

ウメは嬉しそうに言う。

「すごく座りやすいの。雛が一緒に考えてくれてね」


「……三人で」


静かに繰り返した。


穏やかな声だった。

穏やかなはずなのに、

その言葉だけが囲炉裏の火の上に薄く残って、

なかなか消えない気がした。


「最初は高すぎたんだけど、作り直したらちゃんと座れたよ」


ウメが楽しそうに話す。

けれど、キクはウメではなく、

ずっと私を見ていた。


「……楽しかった?」


不意に、キクが聞く。


「え?」


「ウメと」


たったそれだけだった。


責める色もない。

問い詰める響きもない。

ただ、今日のことを知りたいだけみたいに聞こえる。


なのに、喉が少しだけ詰まった。


「……うん」


少し迷ってから、私は頷いた。


「楽しかったよ」


キクは私を見たまま、小さく頷く。


「そう」


それだけだった。


囲炉裏の火が、ぱち、と鳴る。


その音に、私は肩を揺らしかけた。

でも、揺れたのが火のせいなのか、自分のせいなのか分からなかった。


ウメはまだ気づかないまま、明るく続ける。


「ねえキク、今度は一緒に座ろうよ。せっかく三人で座れるようにしたんだし」


そのとき、

キクの指先がわずかに動いた。


膝の上で、自分の袖の端をきゅっと摘む。


本当に一瞬だけだった。

見間違いかと思うほど小さな動き。


けれど、次に見たときには、

その皺だけが残っていた。


「……うん」


キクは笑った。


ちゃんと、いつものキクの笑い方だった。

角度もやわらかさも、何ひとつ変わらない。


「今度、見せて」


ウメは嬉しそうに頷いた。


「じゃあ明日!」


私は囲炉裏のそばに座る。


そのとき、キクの手が伸びてきた。


何をするのかと思う前に、

指先が私の袖に触れる。


軽い。

爪も立てず、引き寄せもせず、

ただ布の上に置かれるだけの触れ方。


でも、その指は離れなかった。


「キク?」


呼ぶと、キクはようやく私を見る。


「……ううん」


小さく言って、

袖を整えるみたいに指を滑らせる。


乱れてなんていない。

皺も寄っていない。

それでもキクは、何度も同じ場所を撫でた。


まるで、

そこに知らない手の跡でも残っているみたいに。


「少し、ずれてる」


「え?」


思わず自分の袖を見る。

どこもおかしくない。


でもキクは気にした様子もなく、

指先で布をなだめるように撫で続ける。


「……大丈夫」


その言い方が、なぜか

私にではなく自分に言い聞かせているみたいに聞こえた。


ウメだけが明るい声で話を続ける。


「あの椅子ほんとにいいから、早く見せたいな。

ひとりで座るより、ずっと落ち着くの」


ウメが笑う。


キクは少し黙ってから、静かに言った。


「……そうなんだ」


声は穏やかだった。

けれど、その穏やかさが、

かえって部屋の温度を少しだけ下げた気がした。


私は何か言わなきゃいけない気がして、

急いで口を開く。


「キクもきっと気に入ると思うよ」


そう言った途端、キクが私を見る。


まっすぐに。

逸らさずに。


やさしい目だった。

でも、その奥で何かを測っている。


私がどこまで離れていないか。

まだ、ちゃんと手の届くところにいるのか。

そんなことを確かめるみたいに。


「……ヒナがそう言うなら」


小さく微笑む。


それで会話は終わったように見えた。


けれど、そのあとも、

キクの指先はしばらく私の袖から離れなかった。


夜、布団に入ったあとも、

家の中は妙に静かだった。


ウメはもう眠っている。

寝息は小さく、規則正しい。


私はふと目を開けた。


薄暗い室内の向こうで、

キクが起きていた。



私とウメが帰ってきた戸口のあたりを、

じっと見ている。


何かあるわけでもない。

何も変わっていない。

それなのに、そこにまだ何か残っているみたいに見つめていた。


自分の袖を握る手が、

暗がりの中でも分かるくらい強くなっている。


「キク?」


呼ぶと、キクはすぐに振り向いた。


「……なに?」


声は、もういつものキクだった。


やわらかくて、

少し眠そうにさえ聞こえる。


私は少し迷ってから、首を振る。


「なんでもない」


「へんなの」


そう言って笑った。


でも、すぐには横にならない。


少しだけ間を置いて、

独り言みたいに呟く。


「今日は楽しそうだったね」


責める声ではなかった。

むしろ、嬉しそうにすら聞こえた。


私はうまく答えられない。


「……うん」と言えばいいだけなのに、

それを口にしたら何かが決まってしまう気がして、

曖昧に笑うことしかできなかった。


キクはそんな私を見て、

ほんの少しだけ目を細める。


嬉しそうにも、さみしそうにも見える。


やがてキクは、ようやく横になる。


けれど眠る前、

布団の端で私の袖をそっと摘まんだ。


強くはない。

引っ張ってもいない。


ただ、そこにあることを確かめるみたいに。


「……おやすみ、ヒナ」


囁く声は、あまりにも優しかった。

 

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