沖縄戦 1-6 灼熱の迷宮 ラビリンス
灼熱の迷宮 ラビリンス
首里の地下深くに穿たれた第32軍司令部壕。モールス信号の電信音が不気味に響く暗鬱な坑道の中で、高級参謀・八原重道中佐は沈痛な面持ちで次々と舞い込む戦況報告を凝視していた。
日本軍の当初の構想は沖縄南部での持久迎撃であった。しかし、アメリカ軍はその裏をかき、守備の薄い中部・嘉手納海岸へと怒涛の勢いで押し寄せていたのである。
沖合を埋め尽くす戦艦や駆逐艦からの途切れぬ艦砲射撃、そしてLSM(R) ロケット中型揚陸艦が放つ圧倒的なロケット砲の投射。地表のすべてを削り取る壮絶な事前砲撃を経て上陸したアメリカ軍は、焦土と化した大地を破竹の勢いで首里へと侵攻してきた。大地そのものを物理的に消滅させるような破壊力をもって、日本軍の防御陣地を力任せに粉砕していく。
「我々の遅滞作戦は確かに敵の足を奪っている。……だが、アメリカ軍の突破力は、我々の想定を遥かに凌駕している」
八原が膨大な時間と労力を費やして構築し、「不落」と信じた地下陣地群。そこに今、アメリカ軍の冷徹かつ凄惨極まる新機軸の戦術が襲いかかっていた。世に言う「栓抜きと溶接バーナー(コルクスクリュー&ブロー・トーチ)作戦」である。
まず、戦艦の巨砲とロケット砲の集中砲火が、ワインの栓を叩き抜くかのように丘の表土を強引に削り取り、岩陰に隠された地下坑道の出入口を曝け出す。これが「栓抜き」だ。そして間髪入れず、露出した坑口へ火炎放射戦車と精鋭歩兵部隊が肉薄する。これが「溶接バーナー」であった。
入り組んだ地下壕の奥深く、暗闇の中で日本兵たちの絶望的な絶叫がこだまする。
「火だ! 火が来るぞ!」
火炎放射器から噴射された千数百度の粘着性燃料が、迷路のような坑道を舐め尽くす。猛烈な熱風が吹き抜け、密閉された地下空間の酸素を一瞬で奪い去った。地表では航空機からのナパーム弾が岩盤を火の海に変え、爆雷とロケット弾が天井を叩き割る。八原が生み出した至高の「地下築城」は、逃げ場のない熱圧の「巨大なオーブン」へと変貌を遂げていた。
さらに、アメリカ軍の掃討は極限まで非情を極めた。彼らは陣地の隙間や通気口に黄燐弾(白リン弾)を投げ込んで猛毒の白煙で逃げ道を塞ぎ、逃げ場を失った坑内へ向けて、ドラム缶やパイプで大量のガソリンを流し込んだ。仕上げとばかりに火炎放射器で点火し、手りゅう弾を投下する——徹底的な「トーチ&バーナー」による皆殺しの儀式であった。
「第4陣地、応答なし!」「79坑道、通信途絶!」
八原の耳には、重苦しい地響きとともに、自慢の要塞拠点が一つ、また一つと沈黙していく音が届いていた。戦訓と知力と計算の限りを尽くして組み上げた地下防御陣地は、アメリカ軍が叩きつける「ガソリンと火炎」という、野蛮なまでに合理的で圧倒的な物量の前に、いまや灼熱の迷宮となって崩れ去ろうとしていた。
---
アメリカ航空隊の爆撃 奪われた空
首里北方、標高150メートルほどの無名の丘の監視所。第62師団の歩兵たちが地下壕の暗がりから外を覗き見たとき、水平線のかなたから「点」が数えきれないほど湧き出してくるのが見えた。
米海兵隊のF4Uコルセア。逆ガル翼という独特の形状をしたその戦闘機は、急降下に移ると翼の間を抜ける風が不気味な高音を奏でる。日本兵たちはそれを戦慄とともに叫んだ。
「アメリカ航空隊の爆撃が来るぞ!」
次の瞬間、耳をつんざく爆音とともに、コルセアの翼下からロケット弾が放たれた。それは大砲の砲弾とは比較にならない速度で飛び、岩盤に築かれた銃座を、岩ごと粉砕した。航空攻撃の真の恐怖は、爆弾の破壊力だけでは無かった。爆音とともに投下された、ずんぐりとした銀色のタンク。それが地上に触れた瞬間、爆発的な轟音ではなく、ベチャリという不快な音とともに、オレンジ色の火炎が「波」となって地表を走った。《ナパーム弾》、ゼリー状の可燃物質は、岩肌にへばりつき、壕のわずかな隙間から中へと流れ込む。
「火だ! 火が流れてくる!」
地下壕の奥では、熱気によって空気が奪われ、兵士たちはもがき苦しんだ。地表の緑は一瞬で消え去り、そこには生物の存在を許さない、ただの「焼けた岩の塊」だけが残された。
日本軍にとって最も忌々しかったのは、戦闘機の後ろで優雅に旋回している小型機L-5「グラスホッパー(バッタ)」だ。武器らしい武器も持たないその連絡機は、八原参謀が作り上げた砲兵陣地のわずかな「煙」や「光」を見逃さない。
「あの観測機に見つかったら、5分後には地獄が降ってくる」
グラスホッパーが無線で座標を伝えると、待機していた米海軍の艦載機群が瞬時に飛来する。1,000ポンド爆弾が首里の丘を揺らし、地形そのものを変えていく。八原がどれほど緻密な防御計画を立てようとも、空からの圧倒的な「視界」と、尽きることのない「弾薬」という物理の暴力が、それを紙細工のように破り捨てた。
---
日本軍の兵士たちは、空を見上げる自由さえ奪われた。かつて大陸で見せた組織的な対空砲火も、アメリカ軍の圧倒的な機数の前には焼け石に水。一機、また一機とコルセアが去った後には、焼け焦げた土の匂いと、酸素を失った地下壕の静寂だけが残されていました。
「空さえ、空さえ我らにあれば……」
首里の地下、八原博通は泥に汚れた拳を握りしめ、頭上で鳴り止まない爆音に耐えていました。32軍を打ち砕いたのは、戦略でも戦術でもなく、沖縄の空を埋め尽くした「星条旗の翼」だった。誇り高き精鋭たちが死守してきた前衛陣地は、もはや形を留めていなかった。「5万の陸戦兵力」は、連日の火炎攻撃と爆破によって確実に削り取られ、生存者たちは血と煤にまみれた。
首里の大日本帝国陸軍の第32軍司令部の地下壕にも、うっすらと焦げた匂いが漂い始めていた。




