グアム島の状況 ニミッツの孤高 1945年8月9日
グアム島は南太平洋の青い海に浮かぶ、巨大なアメリカ軍の太平洋上の日本攻略の拠点だった。
しかし、沖縄、フィリピンの陥落、ダグラス・マッカーサー元帥の捕虜化そして――。アメリカ合衆国が南北戦争をのぞき、建国以来味わったことのない屈辱が、この島を太平洋における「最後の一線」へと押し上げた。
グアム島、アプラ港を見下ろす高台。太平洋艦隊司令部の冷房の効いた作戦室には、かつての勝利への熱狂は微塵もなかった。
チェスター・ニミッツ元帥は、愛用のパイプをくゆらすことも忘れ、眼下に広がるマリアナ諸島の海図を凝視していた。そこには、数ヶ月前まで「約束された勝利」が記されてあったはずが、今や呪いのような状況が書き込まれていた。
1945年8月9日
アプラ港の沈黙
グアムの心臓部、アプラ港。そこにはフィリピンの地獄を生き延びた傷だらけの艦艇と、米本土から急遽回航された新鋭艦、正規空母アンティータム (CV-36)エセックス級新鋭艦(最新の対空レーダーとF6F-5ヘルキャットを満載)と軽空母カボット (CVL-28)(「アイアン・ウーマン」の異名を持つ武勲艦、大西洋での哨戒任務から急遽転戦した)が戦闘待機状態で待機していた。
そして、重巡洋艦シカゴ (CA-136)、セント・ポール (CA-73)、軽巡洋艦アトランタ (CL-104)と駆逐艦フレッチャー級 ストックハム、ウェダーバーン、ハローランとアレン・M・サムナー級 アレン・M・サムナー、モール、イングラムが日本軍の攻撃機の侵入に警戒している。
連合艦隊司令長官チェスター・ニミッツ元帥は、高台にある司令部の窓から、その「アメリカ軍基地の島」を見下ろしていました。室内を支配するのは、重苦しい沈黙と、絶え間なく吐き出されるため息だ。
「スプルーアンスを失い、第5艦隊は壊滅した。マッカーサーさえも……」
幕僚の一人が力なく呟きた。かつて陸海軍で功を競い合ったライバルの不在は、勝利への確信を奪い、代わりに「海軍だけでこの戦線を支え切れるのか」という悲壮な覚悟を強いていました。日本軍の「新太平洋艦隊」がニューギニアへ向かったという報と、グアムへ直撃するという未確認情報が錯綜し、ニミッツの手元には本国への悲痛な増援要請書が積み上がっていた。
ノース・フィールド:B-29の目的
島の北部、広大な滑走路を持つノース・フィールド(現在のアンダーセン基地)。かつて日本本土を焼き払うB-29爆撃機群の姿は、いまや変質を余儀なくされていた。
「日本軍の『烈風改』あいつらは化け物だ」
帰還した搭乗員たちは、日本の本土防衛隊による凄まじい迎撃を口々に語りました。ほぼ毎日の出撃で深刻な損害を出し続けたB-29は、8月5日、ついに本土爆撃を中断。その巨体は、いつ水平線の向こうから現れるか分からない日本軍機動部隊を捉えるための、「長距離哨戒・攻撃機」へと転用された。
滑走路の周囲には、数百門のボフォース40mm対空機関砲が天を睨み、最新の電探網が24時間、日本の航空隊の影を追い続けた。
溢れかえる物資と「南」への恐怖
アプラ港周辺の倉庫群には、本来なら日本本土進攻(ダウンフォール作戦)に使われるはずだった膨大な物資が、行き場を失って溢れかえっていた。弾薬、燃料、食料――。その「物量の暴力」こそがアメリカの誇りだったが、今はその山が、戦略の混迷を象徴する皮肉なモニュメントと化した。
島にひしめく20万人の将兵の間には、目に見えない「病」が蔓延し始めていた。それは「東南アジアの兵站基地、アメリカ本土との断絶への恐怖」だ。
「ニューギニアが落ちれば、オーストラリアとの連絡線が完全に切れる」
「アメリカ本土からの輸送艦が日本の潜水艦に攻撃されているらしいぞ」
兵士たちは、ジープのラジオや新聞の断片的な情報から、自分たちが太平洋の孤島に取り残される可能性を感じ取っていた。かつて日本軍を追い詰めたはずの「飛び石作戦」が、今や自分たちを閉じ込める檻になろうとしている。
ニミッツ元帥は、地図上のオーストラリアとグアムを結ぶ細い線を指でなぞる。
「もし、日本軍がビアクを抜き、ホーランディア、ポートモレスビーを落とせば、我々は文字通り『太平洋の迷子』になる。これはもはや、戦争の継続どころの話ではない」
グアム――。
勝利を約束されたはずの要塞は今、忍び寄る「新太平洋艦隊」の影に怯えながら、嵐の前の静寂に震えていた。
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崩れ去った「マリアナの絶対優位」
5月時点では、ここマリアナは日本を焼き尽くす「地獄の門」だった。
サイパンのイスレー、テニアンの北部飛行場、そしてグアムのアンダーセン。数百機のB-29が連日発進し、東京、名古屋、横浜を灰燼に帰していた。カーチス・ルメイ少将の低空焼夷弾攻撃は、日本の息の根を止めるはずだった。
しかし、7月を境に潮目が変わってしまった。
「……報告を続けろ、レイトン」
ニミッツが掠れた声で促した。
情報参謀エドウィン・レイトン大佐が、沈痛な面持ちで資料をめくる。
「第21爆撃集団の損失率は限界を超えています。日本本土上空に突如現れた新型機『烈風改』、そして高度な電探連動による対空砲火。8月に入り、B-29の戦略爆撃は事実上ストップしました。さらに、テニアンの第509混成部隊――例の『特殊爆弾』を積んだ機体も、目標上空への侵入が不可能と判断され、待機状態にあります」
「また、現地の協力者からの情報が途絶えました、索敵機からの偵察も厳しいです」
消えた潜水艦、沈黙する海運、物流
ニミッツの脳裏をよぎるのは、通商破壊戦の立役者だった潜水艦隊の末路だ。
「アプラ港に戻る潜水艦が、先週から一隻もないというのは本当か?」
参謀長チャールズ・マクモリス少将が頷く。
「はい。南シナ海からマリアナに至る全域で、日本軍の対潜掃討が劇的に強化されています。それだけではありません。米本土からマリアナへの輸送船団が、次々と消息を絶っています。潜水艦による逆通商破壊戦――日本海軍が、我々の首を絞め始めているのです」
沖縄が陥落し、フィリピンが落ち、マッカーサーが捕虜となった。そしてカリマンタンではオーストラリア軍が完敗を喫した。かつて日本軍を孤立させた「飛び石作戦」の網は、今や米軍自身を閉じ込める檻へと変貌していた。
作戦会議室の激論
撤退か、自滅か、ニミッツは、円卓を囲む幕僚たちを見回した。
「諸君、現状は最悪だ。我々が守るべきはこのマリアナだが、兵站線が断たれれば、20万の将兵は干上がる。そして、呉を出た『新太平洋艦隊』の戦艦長門、伊勢、日向、榛名、空母葛城・天城が、ビアクを抜き、ここグアムを目指しているという確かな情報があった」
マクモリス参謀長が、机を叩いた。
「元帥、このままここで待ち受けるのは自滅です! 太平洋艦隊の残存戦力を結集し、一度真珠湾まで後退すべきです。ハワイまで引けば、日本の補給線も伸び切る。そこで反撃の機を待つのが軍事の定石です!」
しかし、レイトンは首を振った。
「ハワイまで引けば、オーストラリアは見捨てられ、西太平洋は完全に日本の手に落ちます。それはアメリカの敗北を認めるに等しい。だが」
彼は海図の「グアム」を指した。
「ここに留まれば、日本の復活した戦艦群や、あの熟練・精鋭混合の航空隊の餌食になる。我々には、彼らを迎撃できる十分な空母打撃群がもはや存在しないのです」
ニミッツの決断
会議室に、死のような静寂が訪れた。
窓の外では、爆弾を降ろされ、哨戒任務のために渋々飛び立っていく数機のB-29の爆音が響いている。かつての威容はどこにもない。
ニミッツは、壁に掛けられた太平洋全図を見つめた。
マリアナ、フィリピン、オーストラリア、そしてハワイ。
かつては自分の意のままに動かせる盤面だった。しかし今、王手をかけているのは、蘇った日本艦隊だった。
「マクモリス。本国へ打電せよ」
ニミッツが静かに口を開いた。
「『マリアナ放棄を視野に入れた、段階的撤退計画(プラン・オレンジ再修正案)』の策定を開始する。ただし、撤退には『時間』が必要だ。日本艦隊が来る前に、我々は答えを出さねばならん」
その言葉は、アメリカ海軍の黄金時代の終焉と、新たな「太平洋の秩序」の始まりを予感させる、重く苦しい宣言だった。




