オーストラリアとの捕虜返還交渉ーー《秘密協定》 2
会議室は日本とオーストラリアの軍人と官僚の交渉の熱気に包まれていた。
テーブルの上には、10,000分の1の縮尺で描かれた巨大な南太平洋海図が広げられ、その上を両国の実務官たちの指と赤いペンが交錯した。加瀬俊一の息がかかった外務省の若手官僚たちと、エバット外相が信頼を寄せるキャンベラの精鋭たちが、英語で激しい火花を散らした。
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事務交渉:境界線と主権の攻防
「Wait, Mr. Tanaka.」
豪州側の情報部士官が、ニューギニア島北岸を指差して声を荒らげた。
「この『無防備地帯(Demilitarized Zone)』の範囲が広すぎる。これでは我々の海域への哨戒権が完全に奪われる。ポートモレスビーの防衛ラインに食い込みすぎだ」
日本側の事務官、田中が流暢な英語で即座に反論する。
「I understand your concern, Captain. (大尉、ご懸念はよく存じ上げております)しかし、山下大将が仰った『新太平洋艦隊』の進路を確保するためには、この海域からのアメリカ軍潜水艦の排除が絶対条件です。我々が求めているのは領土ではない、アメリカ軍の兵站線を遮断するための『機動回廊』なのです。This is not an annexation, but a strategic buffer.(これは併合ではなく、戦略的緩衝地帯です)」
質疑応答:422名の命と「実証」
ブレイミー大将の幕僚が、厳しい表情でコールドウェル大佐に問いかけます。
「Colonel Caldwell, give us the truth. (コールドウェル大佐、本当のところを言ってくれ。) 日本軍は本当に、カリマンタン全域の捕虜を解放するつもりか? これは撤退のための時間稼ぎではないのか?」
コールドウェル大佐は、まっすぐに幕僚の目を見て答えました。
「I've seen their logistics with my own eyes. (私は彼らの物流体制をこの目で見てきた) 彼らは自軍の食料を削ってまで、我々の兵に医療物資を回した。これは単なる欺瞞ではない。彼らは本気で『白人列強の鎖』を断ち切り、我々を対等なパートナーとして選ぼうとしている。They are betting their empire's survival on this 'New Pacific' vision.(彼らはこの『新太平洋』のビジョンに帝国の存亡を賭けているんだ)」
具体的提案:貿易と資源の交換条件
加瀬俊一が、一通の書類をエバット外相の前に滑らせた。
「This is our proposal for the 'Maritime League'.(これが我々の『海洋連盟』への提案です)」
そこには、将来的な経済圏の青写真が記されていた。
豪州: 鉄鉱石、羊毛、小麦の独占的供給権。
日本: 重工業技術の移転、ならびにインドネシア、ソロモン独立政府経由での石油・ゴムの優先配分。
緩衝地帯: ジャワ、ソロモン、ニューギニアの現地政府による「自由貿易港」の共同管理。
「Mr. Evatt,」加瀬が静かに、しかし力強く付け加えます。
「我々が求めているのは、連合王国やワシントンの顔色を窺う貿易ではありません。アジアの海で、アジアの民が富を分かち合うシステムです。A horizontal relationship, not vertical.(縦の関係ではなく、横の連盟を)」
緊迫の瞬間:忍び寄る「見えない敵」
その時、ドアが激しくノックされました。秘密情報担当の士官が顔を出し、ブレイミー大将に耳打ちした。
「閣下、基地外周のアメリカ軍憲兵(MP)が不審がっています。『捕虜の交換の交渉にしては時間がかかりすぎている、司令官に面会させろ』と」
部屋に戦慄が走りました。
ブレイミー大将は一瞬、山下大将と視線を交わす。言葉は不要でした。
「Tell them I'm in the middle of a high-priority interrogation.(重要度の高い交渉だと伝えろ)」
ブレイミーは冷徹に命じました。
「邪魔をするなら、豪州軍の管轄権を盾に追い返せ。一歩も入れるな」
再び、地図の上でペンが走り始めました。
「Let's continue. (さあ、続けよう)次はソロモン諸島の主権移譲プロセスについてだ……」
外ではアメリカ軍のジープのエンジン音が不気味に響いていましたが、この部屋の中では、新しい世界の輪郭が、一語一語、確実に刻まれていく。
前話の会議の場所を訂正しました。




