窓外の平穏 タジディン陛下の視線
マンカリハット半島のジャングルを揺るがした重爆の轟音も、上空遥か彼方で火を噴いた20mm機関砲の残響も、今は熱帯の夜気の中に溶け去っていた。
ブルネイ・タウンの旧王宮、その会見の間を、黄金色の燭台の炎が優しく照らしている。加瀬俊一、大来佐武郎、青木一男――日本の未来を背負う官僚たちが語り終えた後、部屋には神聖な沈黙が降りていた。
ブルネイのスルタン、アフマド・タジディン陛下は、重厚な彫刻が施された玉座からゆっくりと立ち上がる。彼は、金糸で刺繍された民族衣装の裾を揺らしながら、バルコニーへと続く窓辺に歩み寄る。
眼下には、灯火管制から解放されたブルネイの街並みが広がっていた。
数日前まで空からのオーストラリアの殺意に怯えていた市民たちが、今は小さな松明を手に、再建の始まった市場を歩いています。そこには、破壊を免れたことへの安堵と、新しい時代への微かな期待が混じり合った、穏やかな空気が流れていた。
「……見てみるがよい、加瀬殿」
陛下は、暗い海の方角を指差した。
「あの海から、かつては欧州の黒い船が来り、昨日はオーストラリアの航空部隊が爆弾を抱えてやってきた。わが民は、常に『外からの嵐』に翻弄される木の葉に過ぎなかったのだ」
イスラムの教えと「誠意」の合流
タジディン陛下は振り返り、日本の文官たちを一人一人、静かに見据えました。その瞳には、単なる外交辞令ではない、一国の主としての深い洞察が宿っています。
「だが、今宵、貴殿たちが語ったのは『支配』の言葉ではない。自立という名の『誇り』であった。……日本がその誠意をもって、この地の未来を共に描こうと言うのであれば、予もまた、迷うことなくその手を取ろう」
陛下は胸に手を当て、低く、しかし凛とした声で続けた。
「イスラムの教えが説く『サラーム(平和)』とは、単に武器を置くことではない。互いの尊厳を守り、共に汗を流して大地を耕すことにある。このブルネイから始まる新しい歩みが、アジア全土を照らす正義の光となることを、予は心より願っている」
その言葉に応えるように、王宮の白い尖塔の真上に、鋭い光を放つ一番星が輝き始めました。
それは、凄まじい破壊の後に訪れた、建設と外交による「新しい戦い」の始まりを祝福する灯火のようだ。
加瀬俊一は、深く、長く頭を垂れた。
彼の脳裏には、かつて言葉が軍靴に踏みにじられたワシントンやロンドンの光景が浮かんでいた。しかし今、目の前にあるのは、銃剣ではなく「信頼」によって結ばれた真の同盟の萌芽です。
「陛下……ありがとうございます。我々官僚の戦場は、ここからです。この星の輝きを、二度と爆発の火炎にすり替えさせはいたしません」
静かなる胎動
バルコニーから吹き込む夜風は、もはや戦の風を含んでいない。
大来佐武郎は、机上の設計図を丁寧に巻き取り、青木一男は、経済連邦の趣意書を鞄に収めた。
明日になれば、彼らは泥にまみれて現地の青年たちと製油所を歩き、捕虜となったコールドウェル中佐に「新しい世界の地図」を見せることになる。
1945年7月、ブルネイ。
血と鉄の季節は終わり、知恵と情熱が火花を散らす、最も気高い戦いが幕を開けようとしていた。




