ブルネイ帝国の黎明と新たなる盟約
カリマンタン島大空戦の硝煙が未だ漂うブルネイ川のほとり。勝利の余韻に包まれたブルネイ・タウンの街並みを抜け、日本軍南方戦線開放派遣軍の総司令部の司令官達が、イスタナ・カラン王宮へと入りました。
オーストラリア空軍の猛攻を退け、この地を護り抜いた司令官たちが、ブルネイの指導者、アフマド・タジディン陛下へ拝謁し、新たなる時代の幕開けを告げるためです。
勝利の奏上と「イスラムの慈悲」による捕虜の保護
金色の装飾が施された謁見の間。山下大将、古村大佐、王宮との折衝役の木村長久大佐、陸軍第37軍司令官・馬場正郎中将、南西方面艦隊司令長官・
山縣正郷海軍中将が、タジディン陛下に対し深く敬礼を捧げた。
「陛下、カリマンタン島大空戦、我ら勝利せり。敵の翼はことごとく砕け、ブルネイの空は再び平穏を取り戻しました」
山下大将の報告に続き、司令部は一つの重要な要請を行った。それは、ジャングルや海面に脱出したオーストラリア軍パイロットの保護についてだ。
「陛下、ブルネイ帝国国民軍にお願いがございます。撃墜され、捕虜となった敵国の士官たちを収集・保護していただきたい。彼らは後に、オーストラリアとの平和を築くための『友愛の証』となります。不当な虐待を排し、この地に根付くイスラムの融和の心と、寄る辺なき者への慈悲をもって、彼らを遇していただきたいのです」
タジディン陛下は静かに頷き、国民軍へ対して「迷える者を助け、イスラムの教えに基づき寛容をもって接せよ」との勅命を下された。
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戦略の転換:南十字星作戦
続いて、司令部員が地図を広げ、これからの行動のアウトラインを陛下に説明し始める。
オーストラリアとの秘密協定: 「緑十字」を纏ったB-17による軍使派遣。捕虜交換を突破口とし、米軍の介入を許さない二国間での「不戦協定」の締結。
インドネシアからの転進
ジャワ島の第16軍を組織的に撤退させ、オーストラリアとの緩衝地帯として独立政権の樹立を支援する。
ニューギニア島米軍基地への攻撃
ニューギニア島に展開する米軍基地に対し、艦隊と航空隊による壊滅的な打撃を与え、南方への再侵攻能力を根底から破壊する。また、ソロモン諸島の撤退の障害を取り除く。
ソロモンからに取り残された日本兵を救うべく、「因幡乃白兎艦隊」が輸送船団と駆逐艦を主体とする護衛艦隊を派遣し、日本軍太平洋艦隊支援の下、第8方面軍をカリマンタン島へと移動させる。
「我らは、戦線を縮小し、守るべきものを守る。そのための『勇気ある後退』と『確実な守備』への移行であります」
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軍事的な説明が終わると、日本の使命を持つ官僚たちが前へ出ました。スーツに身を包んだ加瀬俊一、大来佐武郎、そして青木一男。彼らが描くのは、銃後ではなく「未来」の設計図だ。
青木一男の「自立」への問い
青木一男は平穏が訪れたブルネイの王宮の窓の外で、再建が始まった港湾施設を見つめながら、スルタンと現地の指導者たちに向けて、
「陛下、そして諸君。戦闘は終わりました。だが、真の戦いはここからです」
枢軸としての「極」青木一男の宣言
まず一歩前に出たのは、大東亜省初代大臣、彼の背筋はすっと伸びておりで、その言葉には一国の運命を背負う重みがあった。
「陛下、我々がここに求めているのは、一時的な軍事基地ではありません。ブルネイを、東南アジアという巨大な身体を支える『枢軸の極』とすることです」
青木はスルタンへ真っ直ぐに向き直り。
「極となるためには、他国に依存せぬ独自の文化、自立した経済、そして何より他文明の圧力に抗える『防衛力』という名の自尊心が必要です。我々は陸海軍の旧弊な利害を廃し、王室の威厳と共に歩む、新しい産業国家の礎をここに築くことを誓います」
それは「占領」という言葉を「共栄」という実体へ書き換える、歴史的な布告だ。
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統計が描く豊穣 大来佐武郎の緻密な夢
続いて、若き経済エコノミスト、大来佐武郎が資料を広げました。そこには、従来の「資源掠奪」とは真逆の、緻密な計算に基づいた発展予想図が描かれていました。
「陛下、数字は嘘をつきません。カリマンタンの富は、本来カリマンタンの人々へ還元されるべきものです」
大来の指が、ブルネイ湾を囲む工業地帯の図面をなぞります。
「油田施設は最新鋭の自動化を導入し、生産効率を極限まで高めます。さらに、広大なマングローブ林を破壊するのではなく、そこから得られる資源を活かした『合成化学産業』を創出する。我々は単に油を掘るのではない。ここに最先端の技術を移転し、現地の方々が自ら国家、社会、産業の基盤を運営、発展できる『仕組み』を作るです」
「他の国任せの基盤など、国の基盤を他国に握られる事と同じです」
彼の語る「自立」という言葉に、スルタンの側近たちが身を乗り出した。それは、かつての欧州列強が一度として提示しなかった、対等なパートナーシップの提案だった。
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海の十字路 加瀬俊一の外交的均衡
最後に、加瀬俊一が穏やかな、しかし重みのある口調で締めくくる。
「オーストラリアとの戦闘は、悲劇的な結末を迎えました。しかし、敗れた彼らもまた、我々と同じアジア・太平洋の隣人です」
加瀬は、捕虜となったコールドウェル中佐たちが、民兵の手によって丁重に保護されているという報告書を手に取ります。
「国家基盤、社会基盤、産業基盤と経済、物と人と金の国の内外の循環が整えば、この島はもはや絶海の孤島ではありません。カリマンタンをもはや戦場にしてはならない。ここは中立化したオーストラリア、そして再生するアジア諸国を繋ぐ『海の十字路』となるべきです。我々が今から結ぶ外交協定は、ブルネイの繁栄を世界に認めさせ、二度とこの美しい海に爆弾を落とさせないための『盾』となるでしょう」
「我々が今、構築しようとしている外交協定は、単なる紙切れではありません。それはこの地の繁栄を担保し、不当な介入を許さないための『見えざる盾』となります。軍事力による防衛を超えた、国際的な発言力という名の防衛力を、ブルネイは持つべきなのです」
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加瀬は外務省入省後、1930年代の多感な時期をアメリカとイギリスで過ごした。当時の彼は、日本の軍部が満州事変以降、国際連盟を脱退し、孤立を深めていく様を、文明の最前線から痛烈な思いで見つめてた。
アムハースト大学やハーバード大学など、米国の名門校で学んだ加瀬は、彼は単に英語を操るだけでなく、アングロサクソン的思考、すなわち「妥協と実利」の論理を骨の髄まで理解した。
欧米の外交官たちと対等に渡り合い、日本の立場を弁明しつつも、内心では「このままでは世界を敵に回す」という強い危機感を抱いていた。
「近衛文麿」の影 近衛上奏文への伏線
加瀬は当時、首相・近衛文麿の周辺で作戦を練る「朝飯会」などのブレーン集団とも接点があった。
彼は、近衛が抱いていた「英米による世界支配への不満」を理解しつつも、それが「武力による現状打破」に向かうことを最も恐れていた。
後の彼が語る「海の十字路」という構想は、戦前に日本が「ブロック経済」に封じ込められ、持たざる国として追い詰められた絶望の裏返しです。
1941年 松岡洋右との「狂乱の旅」
加瀬の戦前最大のハイライトの一つは、1941年、外相・松岡洋右の訪欧随行です。
ベルリンでヒトラーに会い、モスクワでスターリンと日ソ中立条約を結ぶ。歴史が大きく動くその瞬間、加瀬は松岡のすぐ傍らにいた。
スターリンの抱擁
モスクワ駅でスターリンが松岡を抱擁した際、加瀬はその光景を「不気味な祝祭」として記録した。
偏った理想で国民を縛り、暴力と排斥で国を作る共産主義。
嘘と張ったりで、国民と世界を欺き、海外の資本を呼びこみ、国内を発展させたが、その限界に近づくと周りの国に攻め込む、国家社会主義。
日本がドイツと手を結び、ソ連と握れば、アメリカを牽制できる……という松岡の「数学的」な計算が、現実の国際政治によって粉砕される様を、彼は最前列で目撃した。
そして、イギリス、アメリカの資本覇権主義の貪欲さ、銀行家、資本家、巨大なコングロマリットの敵はいかなる策略をつかっても排除する、その力を覚めた思考で観察してきた経験した。
12月8日の慟哭 最後の手紙
真珠湾攻撃の直前、加瀬は外務省の電信課で、最悪の形でアメリカを敵に回した瞬間。彼はその夜、自らの日記に、あるいは心の奥底に、「日本の外交は死んだ」と記したと言われている。
加瀬はついに、日本も他文明の魔の手によって、蹂躙されるのかと悲観した。しかし、二度の大戦において、何が前世紀と違い、何があるのか?そして、世界の人類にとって何が大事であるか、何が敵であるかを真剣に同じ思想を持つ者たちと世界の情報を集め、議論した。そして、その思考実験を繰りかえす内に何かが見えてきた。
ここで彼は、東南アジア諸国の民族のモザイクのような多民族の島々でそれを見届ける決意をする。
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官僚たちの説明が終わる頃、夕陽がブルネイ湾を黄金色に染め上げた。
山本大将が静かに剣を置き、官僚たちの隣に並ぶ。
戦闘の終わりは、破壊の終わりではなく、東南アジアに新たな太陽が昇る、長く、そして輝かしい建設の始まりを告げていた。
加瀬 俊一と共にやってきた官僚たちが各地の油田や資源採掘所、ゴム園、農業生産所に調査を散らばっていき、精確な情報を調査、検討、方針の提言を本国の兵站本部に送り、日本国の海外貿易の方針を決める。その後、官僚たちは実施機関との調整までして、監督をする。国際貿易に向けて、各港湾、空港など、インフラについても再整備を実施する。




