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待たせたな!  作者: 僧籍
第一部

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沖縄戦 1-1 第32軍の戦い

慶良間諸島(けらましょとう)


 3月26日早朝、慶良間諸島の人々は、水平線を埋め尽くす米第77歩兵師団の姿に凍りついた。日本軍の想定では、アメリカ軍の狙いはあくまで本島。慶良間への攻撃は、本島上陸後の掃討戦か、あるいは単なる艦砲射撃に留まると楽観視されていた。


 しかし、慶良間諸島は、本島上陸に先立つ3月26日にアメリカ軍の手に落ちた。この「前哨戦」の結果は、後の沖縄戦の推移を決定づけた。慶良間海峡は、波が穏やかで広大な天然の良港。昔から沖縄本島と中国(明・清)や鹿児島を結ぶ航路の要衝であり、大型船の停泊地として利用されていた。アメリカ軍はここを即座に補給・修理拠点として活用した。傷ついた艦船がここへ逃げ込み、修理を受けて再び前線へ戻る。日本軍は慶良間を奪われたことでアメリカ軍に拠点を与えた。


 軍民が混在した島々(渡嘉敷島《とかしきじま》・座間味島《ざまみじま》など)では、アメリカ軍の圧倒的な火力を前に追い詰められた住民たちは「集団自決」で自らの命を絶つ。これは沖縄戦全体を通じて繰り返される悲劇の、最初の、そして最も残酷な始まりとなった。


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1945年4月6日、第一次菊水作戦が発動。

九州各地の基地から、零戦、彗星、九九式艦爆、さらには「赤とんぼ」と呼ばれた練習機までが、爆弾を抱えて南の空を目指した。


「菊水作戦」によって空から降り注いだ数千の「自爆攻撃兵器」が、アメリカ海軍という巨大なシステムにどれほどの傷を負わせたのか。その戦果は、米海軍史上、類を見ないほど凄惨で、かつ絶望的なものだった。


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 先島諸島《さきしましょとう》


 宮古島や石垣島を含む先島諸島は、アメリカ軍の本島攻略を支援するイギリス太平洋艦隊(第57任務部隊)の主戦場となった。日本軍の特攻機による必死の体当たりを受けながらも、イギリス空母は先島諸島への空襲を継続した。これにより、台湾からの特別攻撃隊の中継基地としての先島の機能は大きく制限された。 アメリカ軍は先島諸島への大規模な上陸作戦を行わず、「封鎖と飢え」を選択しました。その結果、先島諸島の日本軍(約3万人以上)は、本島が陥落し、戦争が終わるまでその場に釘付けにされた。


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 沖縄 1945年4月。


 沖縄の空を覆うのは、初夏の陽光ではなく、絶え間なく降り注ぐ榴弾の破片と爆風。


 首里城の地下、湿った冷気が漂う司令壕の中で、高級参謀・八原博通大佐は地図を睨んでいた。彼の脳裏には、南方から届く絶望的な報告が焼き付いている。レイテ、そしてルソン。精強を誇った日本軍が、圧倒的な物量を誇るアメリカ軍の前に瓦解していく様を、彼は冷徹に分析していた。


「フィリピンが落ちた今、次はここだ。」


 八原は独りごちた。かつてアメリカに留学し、その合理的思考を身に付けた彼にとって、この戦争はもはや「日本軍の想定していた戦争」で測れる段階をとうに過ぎていた。かつて、沖縄防衛の要として期待された「精鋭・第9師団」は、フィリピンの戦況悪化に伴い引き抜かれていた。第9師団は台湾の防衛に回されたが、連合軍は台湾を占領はせずに直接、沖縄に乗り込んできた。そして、戦力は三分の二に激減。文字通り、第32軍は「片腕」を奪われた状態で、巨大な鉄の怪物と対峙することを余儀なくされていたのである。


「八原君、あまり根を詰めなさんな」


 背後からかけられた穏やかな声。第32軍司令官、牛島満中将である。牛島は、その場にいるだけで戦場の荒れ狂う兵たちの心を鎮めるような、不思議な徳望を持っていた。多くの将兵が彼に心服し、「この人のためなら」と思わせた。だが、その柔和な瞳の奥には、これから始まる地獄を冷徹に見据える覚悟が宿っていた。


 八原は答える。


「閣下、航空による水際作戦は、もはや限界です。マリアナ、フィリピンの経過を見れば明白。我々が取るべきは、地下深く潜り、一分一秒でも長く敵をこの島に釘付けにする『戦略持久』のみです」


 それは、華々しい「玉砕」を禁じ、泥にまみれて屈辱的な遅滞戦を強いる、非情な戦術だった。しかし、牛島は八原の知性を信じ、その地味で過酷な防衛案を全幅の信頼とともに受け入れた。八原の手元の資料には、第32軍の「正体」が記されていた。総兵力11万人。数字の上では大軍だが、その内実はあまりに危うい。



 本土派遣の戦闘部隊: 50,000名。彼らが実質的な戦力の核だ。



 海軍陸戦隊: 3,000名。武器を扱える貴重な戦闘員。



 後方支援部隊: 20,000名。



 そして、35,000名もの「防衛召集」された沖縄県民。


 昨日まで鍬を握っていた農夫、学問に励んでいた学生、そして家族を守ろうとする父たちが、にわか仕立ての軍服に身を包み、この鉄火場に立っている。


「73,000の兵隊と、3万5千の郷土兵か……」


 八原のペンが地図上で止まる。本土から送られた精鋭と、守るべき故郷そのものである県民が混在するこの軍隊は、もはや単なる「軍隊」ではなかった。それは、日本の、そして沖縄の命運を賭けた、運命共同体であった。


 梅雨のぬかるみの中で、彼らは迫りくる世界最大の軍事力を見据えていた。勝利のために、ただ「一日でも長く生き延び、敵を止め、援軍の到来をもって反撃する」という、八原の理詰めの戦略を完遂するために。


「八原君、我が軍の柱石は、やはり彼らか」


 牛島司令官の静かな問いに、八原は短く頷《うなず》く。


 第32軍の要、それは満州・関東軍から転用された第24師団。彼らは広大な大陸で鍛え上げられた、文字通りの精鋭だ。何よりの強みは、その背後に控える強力な師団砲兵だ。雨の中、沈黙を保つ重砲群こそが、アメリカ軍の物量に対抗しうる唯一の部隊だった。


 一方、もう一つの主力、第62師団。


「彼らには大砲がない。だが、大陸打通作戦(一号作戦)を戦い抜いた、泥にまみれた経験がある」


 八原は、本来は警備用だったこの師団が、中国大陸の数千キロを戦い抜いて得た「不屈の粘り」を評価していた。海路、米潜水艦の攻撃で壊滅的打撃を受けた独立混成第44旅団。その穴を埋めたのは、千葉から一〇〇式輸送機で決死の空輸を敢行した独立混成第15連隊でした。彼らは、文字通り「空飛ぶ補充兵」として、急造の陣地へと放り込まれた。


 機甲戦力に至っては、さらに悲惨だった。戦車第27連隊に配備された戦車は、わずか30両足らず。巨大なM4シャーマンを擁するアメリカ軍に対し、それはあまりにも劣勢だった。


「閣下、もはや書類上の数字を数えても意味はありません」


 八原の声が冷たく響きました。彼は兵站部隊や船舶部隊を解体し、無理やり地上戦闘用に再編した6個の特設連隊を組織した。さらに、軍司令部に居座る余剰人員さえも、八原の進言によって第一線へと駆り出された。


「11万の兵がいると大本営は思っている。だが……」


 八原は配備図から目を離した。


「真に陸戦兵力として数えられるのは、約53,000。これが、我々が直面している冷酷な数字です」


 11万人の数字の裏に隠された、53,000の兵士と、それを支える島民たちの群像。牛島は目を閉じ、深く頷《うなず》いた。


「53,000、か。ならば、その53,000を最高効率で使いこなすのが、我々の仕事だ」


 1945年4月。数字の虚飾を剥ぎ取られた第32軍は、現有する戦力だけで、迫りくる鋼鉄の軍勢と戦わなければならなかった

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