1 比良坂中尉の探求
第三部 プロローグ 「ニューギニア島 ミン族との接触 異なる文明との出会い」の登場人物、比良坂中尉が主人公です。
ニューギニアの湿潤な密林で「垂直の刻」を知った比良坂は、戦後、運命に導かれるようにシベリアの凍土へと足を踏み入れました。そこは、かつて南方で見た「緑の宇宙」とは対極にある、白銀の静寂が支配する「無垢の原野」でした。
比良坂は、かつての斥候任務で培った静かな歩法を、今度は「対話」のために使い、極北の民たちの天幕を訪ね歩きます。
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1.
エヴェンキ族のシャーマン:脈動する宇宙の円環
最初に出会ったのは、エヴェンキ人の年配のシャーマン、タルガイでした。凍てつく夜、トナカイの毛皮の中で比良坂が目にしたのは、炎を背に太鼓を打ち鳴らす老人の姿でした。
「比良坂、この太鼓の音は何だと思う?」
タルガイは、リズムを刻みながら低く笑いました。
「これは心臓の音ではない。宇宙が呼吸するたびに、天と地がぶつかり合う音だ。私が太鼓を叩くのではない。太鼓が私を叩き、私を星々の向こう側へと放り出すのだ」
比良坂は、繰り返すアクセントとリズムの中に、かつてニューギニアの奥地で感じた「震え」を見出しました。
「宇宙は巨大な楽器なのだ」とタルガイは言います。「すべての星、すべてのトナカイ、そしてお前。それぞれが異なる音を持っているが、この太鼓の響きがそれらを一つの歌に編み上げる。祈りとは言葉ではない。この宇宙の脈動に、自らの鼓動を同期させることだ」
比良坂はその時、極寒のシベリアで、自分の血管に血以外の精妙な物質が熱く流れるのを感じました。個は全であり、全は鼓動の一打ちに集約される。その確信が、彼をさらに奥地へと誘いました。
2.
ヤクート族の狩人:命を「授かる」という伝統
次に比良坂が出会ったのは、凍土を駆け抜けるベテランのヤクート人狩人、エレルでした。彼は、近代的な銃を携えながらも、獲物に向き合う姿勢は数千年前の祖先と何ら変わりませんでした。
「我々は獲物を『殺す』のではない。森の主から『預かる』のだ」
エレルは、仕留めた獲物の前で静かに祈りを捧げました。
「獲物を追うとき、私は獲物自身になる。彼が何を考え、どこで水を飲み、どの木で角を研ぐか。私の体の中に彼の意識を招き入れるのだ。自分を消し、森の一部になったとき、初めて獲物は自らの命を差し出してくれる。これが伝統という名の『対話』だ」
比良坂は、エレルが語る「自分を消す」という感覚に、かつて参謀に語った「相手の存在を認めることで己を問う」という思索の完成形を見ました。支配するのではなく、同化する。近代が忘れた「収穫の神聖さ」が、そこには息づいていました。
3.
コリャーク族とチュクチ族:歌われる伝説、記憶の深淵
最後に、彼はさらに東へ、コリャーク人とチュクチ人が住まう海岸線へと辿り着きました。そこでは、文字を持たない代わりに、何世代にもわたって語り継がれる「口伝」と「歌」が、凍える空気の中で黄金のように輝いていました。
老婆たちが歌う、カラスの創世神話や、海の精霊との契約の歌。それは、単なる物語ではありませんでした。
「比良坂よ、我々の歌は記憶の貯蔵庫だ」
一人のチュクチの男が言いました。
「歌が途切れるとき、我々の祖先は本当に死ぬ。だが、誰かがこの歌を口ずさむ限り、千年前の風の音も、最初の一人が流した涙も、今この瞬間に甦る。歌は、時間を飛び越える船なのだ」
比良坂は、彼らの歌を聴きながら、かつてニューギニアで見た「大樹の上の火」を思い出しました。あの日、彼が「保留」とした他文明との対話は、このシベリアの地で、ようやく静かな結実を迎えようとしていました。
「支配」も「管理」も、この圧倒的な時間の厚みの前では無力でした。比良坂はノートを閉じ、目を閉じました。耳の奥では、エヴェンキの太鼓、ヤクートの祈り、そしてチュクチの歌が混じり合い、一つの壮大なシンフォニーとなって鳴り響いていました。
その旋律は螺旋を描き、大地から、天へ上り、そして、大地もその螺旋の中の存在であり、自分、そして、周りの生物、植物、鉱物、すべてがその一部であるという直感が与えられた。
「一人の男が森に立つとき、彼は宇宙の中心にいる。己がどこから来、どこへ行くのかを、彼は理屈ではなく『感覚』として理解しているのだ」「我々が彼らを『支配』下に置こうとすることは、海をバケツで掬い取ろうとするに等しい。彼らの意識の中には、我々の近代が喪失した『永遠』が生きている。彼らを調査することは、我々が失った魂の断片を、鏡の中に探す行為に他ならない」




