カリマンタン島大空戦 1
1945年7月20日、午前8時過ぎ。カリマンタン島周辺の海域は、一見すると南国の穏やかな静寂に包まれていた。しかし、バリクパパン沖およびタラカン島沖に配備された「レーダーピケット艦」の内部では、経験したことのない情報の嵐が吹き荒れていた。
バリクパパン沖約93km。新連合艦隊に属する最新鋭フレッチャー級駆逐艦の戦闘指揮所(CIC)では、緑色の光を放つ円形のブラウン管が、冷徹なパルスを刻み続けていた。
「……感あり! 方位180、距離193km。高高度に大規模な編隊を捕捉!」
電測員の叫びが、防音壁に囲まれた室内に響きました。画面上には、これまで見たこともないほどの密度で、無数の「光の点」が南から北へと這い上がってくる。
「プロット数、100……150……なおも増加中! 速度時速333㎞.。この高度と編隊の組み方、オーストラリア軍の重爆撃機B-24隊に間違いありません!」
「タラカン沖の哨戒艦からも入電! モロタイ方面より高速機多数接近中。……これは、敵の総攻撃です!」
艦長が即座に通信機を掴んだ。
「全軍に通告! 《カリマンタン島に襲来するオーストラリア空軍》第一波がカリマンタン島へ接近中」
「これより全乗員、迎撃体制へ移行せよ!」
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ムアラ海軍基地の一角に南方戦線の運命を左右する「ブルネイ総司令部」が置かれていた。
正面の壁一面を占めるのは、巨大なカリマンタン島全域の航泊図を裏側から描いた、巨大な透明アクリルボードだ。その前では、ヘッドセットを装着した複数の司令部員が、梯子に登りながら赤と青のグリースペンを走らせていた。
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「各索敵基地のレーダー、索敵員からも、敵航空機の同様な報告が上がっています!」
「ダーウィン、バチェラーより敵重爆編隊、北上中! 推定高度一万八千、数は100を越えます!」
「モロタイより高速機接近。方位二七〇、タラカンを目指す模様!」
「スラウェシ島、ケンダリ第二飛行場の高射砲陣地、攻撃開始しました」
通信兵が叫ぶ情報が、即座にボードへと反映されます。南の海域から這い上がる無数の赤色の矢印と、それぞれの敵部隊を示す「モロタイ1」「パチュラー1」といった文字。それはまるで、巨大な怪物がカリマンタンの心臓部へ触手を伸ばしてくるかのようだ。
山下奉文大将は、その巨大なボードの前に仁王立ちになり、刻々と書き込まれる戦況を凝視していた。軍刀の柄を左手で握り、その鋭い視線は、ペンが描き出す「赤の奔流」を冷徹に分析している。
その隣には、新連合艦隊《因幡乃白兎》を率いる古村啓蔵大佐が、それぞれの敵部隊を分析しながら立っていた。
「……敵の爆撃進路が確定しました。閣下、狙いは3点です。バリクパパン、セリア、そしてタラカンです」
馬場正郎中将が、ボード上のタラカン島を指す赤いペン先を見つめ、苦渋に満ちた声を絞り出します。
「やはりタラカンを叩きに来たか。あそこの守備隊(独混四五旅団)は、もう数ヶ月も本土の土を踏んでいない者たちだ。無駄死にはさせたくない」
寺本熊市中将が、地図上の青い印――ブルネイ湾内に展開する我が機動部隊と、ブルネイ飛行場を指しました。
「山下閣下、準備は整っております。第四航空軍および基地航空隊、空母航空隊、全機、出撃できます」
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山下大将は、司令部員から一本の青いグリースペンを受け取りました。彼は一歩踏み出すと、ボード上のバリクパパンとブルネイ湾の中間地点に、力強く、巨大な「○」を描きました。
「敵は、我々が以前の日本軍だと思い込んでいる。……古村司令官」
「はっ」
「《帰還艦隊》空母艦載機のすべての戦闘機を出撃」
「寺本熊市中将」
「はっ」
「中将の麾下の第4航空団もすべて出撃。敵の護衛機をこの円内に引き込み、一兵たりとも油田の上空へ通していけない、そして、我々が生まれ変わった事を思い知らせよう」
「中野少佐」
「はっ」
「少佐の部隊は最後の守りだ、たのんだぞ」
「馬場中将、山縣中将。基地守備隊は高射砲、対空砲で低空の攻撃機を撃滅をお願いします。……これは防衛ではない、殲滅戦だ」
山下大将の力強い声が、指揮所内に響き渡りる。
「ペンを置け。これよりは、文字ではなく『戦果』でこのボードを埋め尽くせ!」
「全軍、迎撃せよ!」
古村大佐が通信兵に鋭く命じると、その声は瞬時に電波となり、ブルネイ空港、そして青い海原へと飛ぶ。
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オーストラリア空軍によるボルネオ侵攻作戦《新・オーボー作戦》。その進軍の様子は、連合軍が誇る圧倒的な物量と「空の暴力」を象徴するものだ。
オーストラリア本土
すでに夜明け前に、オーストラリア北部のバチェラーやダーウィン空軍基地きから、100機を超えるB-24リベレーターは、大地を揺らすような重低音を響かせて離陸していた。
シルバーの巨体に「カンガルーのラウンデル(国籍マーク)」を描いた爆撃機が、15秒間隔で次々と離陸。ティモール海を越え、高度1万5千フィート(約4,500m)で巨大な「コンバット・ボックス(密集箱型陣形)」を形成する。
「今日、バリクパパンを地図から消し去るぞ!」
搭乗員たちは、勝利を確信した余裕の表情で、酸素マスクを装着し、カリマンタン島への長い航路についた。
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ティモール海の上空は、オーストラリア空軍が放った、航空機によって埋め尽くされていた。かつての空襲とは一線を画すその圧倒的な規模は、カリマンタンの空を物理的に制圧せんとする意志の現れだ。
四発エンジンの重低音が重なり合い、大気を物理的な圧力となって震わせる。編隊の中核を成すB-24 リベレーターは、オーストラリア空軍の戦闘機部隊の大編隊に守られていた。
指揮官:A.C. キャンベル大佐
キャンベル大佐は、機窓から左右に展開する無数の味方機の影を、静かな、しかし確かな高揚感とともに見つめる。酸素マスク越しに発せられた彼の声が、編隊の各機へ飛んだ。
「全機へ。我々は孤立などしていない。上空を見ろ、我々の兄弟たちがこの空を完全に支配している。この鉄の盾がある限り、カリマンタンの精油所に腹の荷を叩き込むまで、我々の歩みが止まることはない。一機たりとも脱落は許さんぞ」
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爆撃機隊のすぐ傍ら、数百メートル距離には、胴体に異様なほど巨大な増槽を抱え込んだP-40の大編隊が並行して飛行していた。
指揮官:W.G. コンプン中佐
「不格好な増槽だが、これが俺たちの『生命線』だ。B-24の連中、安心しろ。カリマンタンの入り口から出口まで、俺たちがぴったりと横に付いていてやる」
本来の地上支援任務を一時封印し、爆撃隊を死守するための「近接護衛」に徹するコンプンの決意。巨大な燃料タンクに満たされたガソリンは、彼らが爆撃機と運命を共にするという誓いの証であった。
さらにその遥か上空、雲を切り裂く高みでは、オーストラリア空軍が誇る「矛」たちが待機していた。
第80戦闘機航空団(スピットファイア Mk.VIII)
爆撃機の上方、高高度を占めるスピットファイア Mk.VIIIの群れ。その優美な楕円翼の下には、本来の軽快な格闘性能を犠牲にしてまでも装着された、「巨大な増槽」が鈍い光を放っていた。
指揮官:クライブ・コールドウェル大佐
オーストラリア最高のエース、コールドウェル大佐は、いつもと違う重い機体を操縦していた、離陸時の違和感が半端なかった。また、重心が安定しないのでコントロールがひどく難しい。
「この重い増槽こそが、カリマンタンの空で戦い抜くための俺たちの『命』だ。敵機が上から降ってこようが、この燃料がある限り、俺たちがB-24の部隊を必ず、目的地に送り届けて見せる」
本来の美しさを削いでまで長距離戦に備えたその姿は、エースの執念そのものであった。
第81戦闘機航空団(P-51D ムスタング)
F.R.W. チャーチル中佐率いるムスタング隊は、圧倒的な航続距離を活かし、編隊の周囲を大きく旋回しながら哨戒。敵の迎撃機が姿を見せた瞬間に、その喉元へ食らいつく準備を整えている。
洋上で合流を果たしたこの大編隊はB-24を核とし、P-40がその脇を固め、スピットファイアとムスタングが敵を殲滅する。オーストラリア空軍の誇りが結集した、空飛ぶ「巨大な要塞」だ。
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カリマンタン島北東部、タラカン島。上質な原油を噴き出すこの島は、新太平洋艦隊の反撃を支える「燃料」の供給源であり、同時に連合軍の北上を阻む最前線の「防波堤」であった。馬場正郎中将が指揮するその地には、二千余名の防人たちが、静かに防衛陣地で敵の攻撃を待ち構えていた。
海岸線に築かれたトーチカは、ヤシの丸太と泥、そして現地の重油を混ぜて固めた異様な威圧感を放っていた。
太平洋戦争中、特にペリリュー島やルソン島などの激戦地において、日本軍が設置したトーチカ(防御陣地)は、ヤシの丸太、泥、珊瑚礁の砕石、現地の重油(燃料)などを混ぜ合わせ、固めて構築されたものが存在した。
これは、コンクリートや鉄鋼が慢性的に不足していた状況下で、自然素材と現地の燃料を巧みに利用した、持久戦のための巧妙な防衛構造だ。
ヤシの木を基礎や壁の芯にし、そこに泥や現地の燃料(重油・潤滑油)を混ぜ込んだ珊瑚の砕石を塗り固めることで、粘り強く衝撃を吸収する堅牢な構造になっていた。
連合軍(米軍)の艦砲射撃や空爆による衝撃に対し、コンクリートよりも脆くならず、破片が飛び散りにくい「衝撃吸収・粘り」を重視した陣地だ。
珊瑚礁の台地や海岸に埋め込まれるように構築され、上陸してくる米軍に大きな打撃を与えた。
陸軍独立歩兵第四五五大隊の将兵たちは、降り続く熱帯の雨と、常に鼻を突く原油の匂いの中で、自ら掘り抜いた地下陣地に潜んでいた。数ヶ月間、故郷の土を踏むことなく密林の湿気と闘い続けてきた彼らの軍服は、泥と油に染まり、あちこちに継ぎ目が当たっている。しかし、その手にする三八式歩兵銃のボルトは、毎日磨き上げられ、湿った空気の中でも鋭い光を放っていた。
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タラカン島、リンカス高地に位置する野戦司令部。防空壕を兼ねたその内部は、蒸せ返るような熱気と、ランプの灯火に照らされた重苦しい空気に包まれていた。
海軍第二警備隊司令、香春博中佐と、陸軍独立歩兵第四五五大隊を率いる田中大佐は、地図を囲んで各部隊の指揮官たちと対峙していた。
香春中佐が、使い古されたピンを地図上のタラカン沖へ突き立てた。
「諸君、状況を整理する。新連合艦隊の反攻により、連合軍は焦っている。彼らがこの島の原油を奪うために打ってくる最初の一手は、艦砲射撃ではない。空からの蹂躙だ」
指揮官たちの間に、緊張の走る音が聞こえるようだった。香春は言葉を継いだ。
「敵は航続距離の長い爆撃機や増槽タンク付けた戦闘機、攻撃機を次々と送り込んでくる。今回の戦いの本質は地上戦以前に、徹底した『対空戦』になる」
田中大佐が、香春に代わって口を開く。
「歩兵大隊の各中隊に告げる。従来の陣地防御に加え、各分隊に至るまで対空警戒を最優先せよ。敵の爆撃をやり過ごさぬ限り、我々の重火器も装甲車両も、上陸部隊を迎え撃つ前に鉄屑にされる」
彼は軍刀の柄を握りしめ、地図を睨みつけた。
「対空機銃、および高射砲部隊は、偽装を二重、三重に施せ。敵の偵察機に位置を悟られることは死を意味する。一撃放てば即座に陣地を転換する覚悟でいろ」
香春中佐は、集まった指揮官一人ひとりの顔を見渡した。
「海軍の沿岸砲も、対空戦闘時には対空信管を装備した砲弾で防空火器として機能させる。陸海軍の枠を超え、タラカンの空を火の海にせよ。我々が一日空を守り抜けば、それだけ日本の勝利が近づくのだ」
「……反論はあるか。なければ、直ちに各配置へ戻れ。厳重に監視しろ、オーストラリア軍を待ち構えるのだ」
指揮官たちは一斉に直立不動の姿勢を取り、深々と敬礼を交わした。
各指揮官たちはそれぞれの持ち場に向かった。
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香春博中佐はリンカス高地の野戦司令部で敵がやってくるのを準備万端で待ち構える。
「敵が水平線に現れるまで、一発の弾も無駄にするな。我々の目的は目先の勝利ではなく、一秒でも長くこの油田を敵の手から守り抜くことだ」
香春の視線の先には、海軍が設置した一二センチ沿岸砲が、偽装網の下で海を睨んでいる。砲員たちは、砲弾を運び、来るべき対決に向けて、沈黙の中で配置についていた。
防御陣地の後方、鬱蒼たる密林の切れ間には、偽装を施された九五式軽戦車や、鹵獲した米軍のM3軽戦車が潜んでいた。
燃料には事欠かないものの、部品の供給が途絶えているため、整備員たちは廃材を加工し、執念でエンジンを動かし続けていた。
「エンジンの音で場所を悟られるな。一撃離脱、敵が上陸用舟艇から降りた瞬間こそが我々の勝負だ」
戦車兵たちは、酷暑の車内で汗を流しながら、ペリスコープ越しに無人の砂浜を見つめ、静かにその時を待っていた。
陣地の中では、若い兵士が故郷から届いた手垢で汚れた手紙を何度も読み返し、古参の曹長は黙々と銃剣を研いでいる。
自分たちがここで奮闘することが、日本が勝利を掴むための「助け」になることだけを信じていた。
タラカンの空に、敵偵察機の不気味なエンジン音が響き渡る。
「来たぞ……対空、戦闘配置!」
香春司令の号令と共に、タラカン島全体が静かな、しかし殺気に満ちた「羅刹の軍隊」へと変貌した。本土から遠く離れたこの地で、二千余名の魂が、歴史の濁流を押し留めようと牙を剥いた。
彼らが防御陣地で戦闘配置に着いたとき、頭上には熱帯特有の低い雲が垂れ込めていたが、その奥からは既に、不気味な重爆撃機のエンジン音が響き始めていた。タラカン島を巡る「空の死闘」が、今まさに始まろうとしていた。




