新・オーボエ作戦 —— 孤高なるオーストラリア
1945年6月30日。マニラ陥落の衝撃波は、オーストラリア軍司令部に戦慄を走らせた。
スピーカーから流れる、マッカーサー将軍の重く沈んだ「降伏宣言」。それは同時に、南西太平洋方面軍という巨大な防波堤の消失を意味していた。
これまでマッカーサーという「アメリカの論理」を盾に、反目し合ってきたジョージ・ジョーンズ中将とウィリアム・ボストック少将。しかし、自国を護るべきアメリカ艦隊が深海に沈み、最高司令官が軍門に降った今、彼らに残されたのは「オーストラリアという国家の存亡」という、唯一にして最大の共通項だけだ。
1945年7月、メルボルン。南半球の冬は乾季でカラッとして過ごしやすいのだが、珍しく低く垂れ込めた灰色の雲と共に、《カリマンタン島》から、気分的に重く、陰気な雰囲気をオーストラリア空軍総司令部にを運び込んでいた。
かつて連合国の一翼のこの国は今、建国以来最大の孤立に直面していた。
ジョーンズ中将の宣告
司令部の一室。壁に掛けられた巨大な地図には、フィリピンからカリマンタン、オーストラリア、そしてニューギニアへと伸びようとする赤い線――日本軍の勢力圏――が、まるで首を絞める触手のように描き込まれていた。
「ボストック少将……。マッカーサーは敗れた」
その声は、乾いていた。ジョージ・ジョーンズ空軍中将。「氷の時計」と揶揄されるその男は、感情を一切排した瞳で対峙する宿敵を見据えた。
「いや、もっと正確に言おう。我々にとって、アメリカという後ろ盾が地上から消滅したのだ。レイテで第七艦隊が壊滅し、カリマンタンへの上陸作戦は露と消えた。もはや、星条旗を仰いで戦う段階は終わったのだ」
ジョーンズは手元の資料を机に叩きつけた。
「これ以上、我々が内部で権限を争い、食い合っていれば、明日の朝には日本軍機がダーウィンの空を覆い尽くしているだろう」
ボストック少将の苦悩
対峙するウィリアム・ボストック少将は、震える手で吸い殻の山にタバコを揉み消した。かつてマッカーサーの懐刀として米軍のドクトリンを信奉し、ジョーンズと激しく対立してきた彼は、いまやその拠り所を完全に失っていた。
「……わかっている、ジョーンズ中将。もはや米軍の教範など、焚き付けの紙屑だ」
ボストックは真っ向からジョーンズの目を見返した。その眼窩は深く落ち込み、疲労が色濃く滲んでいる。
「我々の手にあるのは、総員15万人、機体数6,000機――世界第4位の規模を誇る我が空軍。そして、志願兵から成るオーストラリア帝国軍と国民軍、合わせて38万5千名の陸軍。さらに巡洋艦を中核とした50隻の海軍艦艇……。これが、この大陸を守るための全財産だ」
「オーストラリア帝国軍」は、
第一次世界大戦および第二次世界大戦において、オーストラリアが海外派遣のために特別に編成した志願兵部隊の呼称です。
歴史的には、以下の2つの時期の部隊を指します。
1. 第一次オーストラリア帝国軍
編成: 1914年、第一次世界大戦の勃発直後に結成されました。
特徴: 当時のオーストラリア憲法では国防軍を国外へ派遣することが制限されていたため、海外戦域で戦うための「全員志願制」の別組織として設立されました。
主な戦歴:
ガリポリの戦い: ニュージーランド軍と共に「ANZAC」として参戦し、オーストラリアの国家アイデンティティ形成に大きな影響を与えました。
西部戦線: フランスやベルギーでのソンムの戦いなどに従軍しました。
2. 第二次オーストラリア帝国軍
編成: 1939年、第二次世界大戦の開始に伴い、再び海外派遣用の志願部隊として結成されました。
役割: 北アフリカ戦線(トブルク包囲戦など)、ギリシャ、さらには太平洋戦線で日本軍とも戦いました。
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メルボルンの司令部。窓の外では、心地よい乾いた風が街路を木を揺らしている。こんなに素晴らしい日なのに、地図を囲む2人の将軍たちの顔色は真剣そのものだった。
オーストラリア空軍副参謀長ボストックと、米陸軍のジョーンズが、一枚の地図を挟んで対峙している。そこには、かつての勝利の青写真ではなく、崩壊しつつある「南西太平洋の現実」が描き出されていた。
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フィリピンの終焉と「楯」の喪失
「マッカーサーは敗れた。信じがたいが、それが唯一の事実だ」
ジョーンズが、沈痛な面持ちで口を開いた。フィリピンでの大敗北は、単なる一戦域の喪失ではなかった。米海軍の第7艦隊——南西太平洋を支えていた巨大な「楯」が、事実上消滅したのだ。
「第6軍、第8軍、そして我がオーストラリア軍……兵力はまだインドネシアやニューギニア、ソロモンに残っている。だが、彼らは今や、海に浮かぶ孤島に閉じ込められた囚人も同然だ。フィリピン陥落の混乱が全軍に波及し、ビアク島やホーランディアの基地機能は麻痺している。日本軍の圧倒的な制空権と制海権の前では、一機の偵察機を飛ばすことさえ自殺行為だ」
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ジョーンズの指が、地図上のカリマンタン島を強く叩いた。
「最悪なのはここだ。増援された日本軍の手により、カリマンタンの油田が完全に復旧した。さらに、フィリピンを血に染めたあの日本の連合艦隊が、ここへ配置されようとしている」
ボストックが地図を覗き込み、低く唸った。
「あそこに敵の航空拠点と艦隊拠点が完成すれば、オーストラリアへの補給線は完全に断たれる。アメリカからの、そして連合国からの、航空機、戦闘車両、燃料、さらにはボルト一つに至るスペアパーツさえ届かなくなる」
それは軍隊の崩壊を意味するだけではない。輸入と補給に依存するオーストラリアという国家そのものが、息の根を止められる——「緩慢な窒息死」へのカウントダウンだった。
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「ビアクもホーランディアのアメリカ軍はもはや期待できない。だが、カリマンタンを放置すれば、我々の死は確定する」
ボストックが、ペンをカリマンタンの沿岸部へ突き立てた。
「ジョーンズ、我々にはもはや正規の正面攻撃を仕掛ける余裕はない。第7艦隊なき今、大艦隊による上陸支援は夢物語だ。だが、だからこそ『新・オーボエ作戦』が必要だ。我々オーストラリア空軍の文字通り『針の穴を通す』ような奇襲によってカリマンタンへ送り込む。司令部、重要拠点を破壊する。油田は奪還する必要はない。徹底的に破壊し、敵の『大動脈』を止めるだけでいい」
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ジョーンズは、ボストックの鋭い眼光を見つめ返した。
「これは作戦ではない。賭けだ。成功すれば窒息死を免れるが、失敗すればオーストラリアの空軍戦力を一気に失うことになる」
「選べる選択肢は、地獄か、あるいはより深い地獄か、だ」
ボストックは決意を込めて、言い放った。
「カリマンタンの影がオーストラリアを覆い尽くす前に、我々は動かねばならない。たとえそれが、アメリカを見捨てることになっても——我が国を守るための、最後の一撃だ」
窓の外の光が、窓から室内を照らし、午後の長い日差しの影が、地図の上では、カリマンタンという名の巨大な影がのびる、今まさに南下を開始しようとしていた。
この絶望的な奇襲作戦が、歴史の奔流を再び変えることができるのか。
それは、軍の崩壊を意味するだけではない。オーストラリアという国家そのものの、緩慢な「窒息死」を意味していた。
「ジョーンズ中将。私は、あなたとの個人的な遺恨をここで捨てる」
ボストックが重い腰を上げた。その顔には、米軍の影に隠れていた「オーストラリア軍人」としての、野性的で無骨な覚悟が宿っていた。
「アメリカが来ないのなら、我ら自身でこの大陸を要塞に変えるまでだ。6,000機の翼を、真の『防波堤』として再編する。……異論はないな?」
ジョーンズ中将の口元が、わずかに歪んだ。それは冷笑ではなく、極限状態で見せた、この国を背負う者同士の共鳴だった。
「よろしい。直ちに総司令部に作戦案を送る『空軍はカリマンタン島総攻撃体制へと切り替える』、その間に陸軍にはポートダーウィンからパースまで、防空網を敷いてもらう」
1945年7月。オーストラリア防衛作戦は、マッカーサーという太陽を失ったオーストラリアは、新たな太陽が水平線から登らないので、自らの力でこの国を照らす決意と共に、宿敵だった者と共闘で始まった。
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ジョーンズ中将は、羽ペンをインク壺に戻し、寸分の狂いもなく整えられた書類の山から顔を上げました。彼の視線の先には、窓外の霧に濡れた街並みを背に、苛立ちを隠そうともせず立っている実戦指揮官、ボストック空軍少将がいた。
事務方のトップであるジョーンズと、現場を指揮するボストック。
「……ボストック。この作戦の代償を、私は今、この計算書で確認しているところだ」
ジョーンズの声は低く、そして、悲しげだった。
ボストックはそれに答える
「わかっている、スピットファイアの部隊がいくら増槽をつけても、基地へは帰還できない事だな、それと正体不明の日本艦隊とその艦載機部隊、増強されたカリマンタン島の守備隊」
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ジョーンズは立ち上がり、壁の地図――特にカリマンタン島周辺を指しました。
「我々は今、この地域ではどの国よりも優勢な航空戦力を持つ。スピットファイア、ムスタング、そしてダーウィンを埋め尽くすB-24……。大英帝国ですら、この南太平洋においては我々の物量に頼らざるを得ない。だが、報告書には奇妙な『ノイズ』が混じり始めている」
ボストックが鋭い視線を向けます。「ノイズだと? ジョーンズ中将、バリクパパンもタラカンも、我々のB-24の前ではもはや瓦礫の山に等しい。日本軍の組織的な空戦能力は、フィリピンで枯渇したはずだ」
「ならば、この数字は何だ」
ジョーンズは、一枚の機密電文をテーブルに叩きつけました。
「昨夜、パクリパパン近海を哨戒中だったわが軍のPBYカタリナが、突如として消息を絶った。墜落直前の通信によれば、彼らは『見たこともない速度で接近する銀色の翼』を目撃したという。」
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ジョーンズ中将は、卓上に広げられたカリマンタン島の航空写真――そこには、かつて破壊したはずの油田施設から立ち昇る、不気味なほど安定した煙が写っていた――を指先で叩きました。
「ボストック少将。君は『新・オーボー作戦』で、この作戦は積極的防衛行動として、カリマンタン島の重要拠点に五月雨のごとく波状攻撃を仕掛ける計画だが……」
ジョーンズの声は、低い唸りのようでした。
「その雨が、逆に我々を溺れさせる『嵐』に変わる可能性を考えたことはあるか? 敵は我々が想定しているような『飢えた敗残兵』ではないかもしれんのだぞ」
ボストック少将は鼻で笑い、乱れた軍帽を深く被り直しました。その動作には、米軍と共に太平洋を跳ね回ってきた「勝者の傲慢」がまだ微かにこびり付いていました。
「まさか。相手は燃料も部品もなく、ジャングルで農耕自活を強いられている第7方面軍ですよ。我々の圧倒的な物量――世界第4位の誇りにかけて、明日にはカリマンタンの空をカンガルーのマーク(オーストラリア軍の機体標識)で塗りつぶしてみせます。奴らの貧弱な対空砲火など、我がB-24の編隊で焼き払うまでだ」
ジョーンズは動じませんでした。彼は、フィリピンで第七艦隊を粉砕した「正体不明の機動力」の報告書を、無言でボストックの前に滑らせました。
「物量がすべてを決める時代は、マッカーサーと共に終わった。見てみろ、この偵察写真の影を。これは日本軍の既存の艦隊ではない。……ボストック、我々は暗闇の中で、巨大なサメの鼻先を叩こうとしているのではないか?」
その言葉に、ボストックの不敵な笑みがわずかにゆがみ。彼は資料を手に取り、そこに記された「異常なまでの電波妨害」と「未知の高速機」の記述を、食い入るように見つめました。
「もう、意地を張っても仕方がありませんな」
ボストックは吐き捨てるように言い、タバコを灰皿に押し付けました。先ほどまでの傲慢さは消え、実戦指揮官としての冷徹な直感が、彼の背筋をなぞったのです。
「ジョーンズ中将、確かにそうだ。今のカリマンタンは、我々の知っているカリマンタン島ではない。……新・オーボー作戦の第一段階を『全面攻撃』から『威力偵察』に切り替える。海軍の巡洋艦隊と、航空隊の長距離偵察機を総動員して、奴らの正体を暴くのが先決だ、しかし、日本軍がカリマンタン島での存在感を高める前に叩かなくては、オーストラリアの未来はないことは貴方も分かっているでしょう?」
ジョーンズが短く頷いた。
「ボストック少将、その通りだ、我々には失敗は許されない、やれることすべてやるぞ」
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翌朝。ダーウィン、そしてパースの各基地から、オーストラリア空軍のモスキート高速偵察機と、重武装のボーファイターたちが、7月の朝の肌寒い朝霧を突いて北の空へと吸い込まれていく。
彼らが目指すのは、静まり返ったカリマンタン島。
そこには、再編された「第四航空軍」の精鋭たちが、エンジンを暖めながら彼らを待ち構えていることも知らずに。
「行け。……そして、生きて情報を持ち帰れ。我々の『全戦力』を無駄にするわけにはいかんのだ」
ジョーンズ中将は、司令部の窓から消えゆく機影を見送りました。
オーストラリアの運命を懸けた、北方の海への「目」が開かれようといていた。
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《新・オーボエ作戦》の全貌
彼らが書き上げた作戦書には、米軍への依存を一切排除した、冷酷かつ緻密な「出血強要戦術」が記されていた。
作戦目標: 日本軍の「資源の動脈」の徹底破壊。
基本方針: 奪還ではなく「遮断」。日本が手に入れたカリマンタン島の石油を、一滴たりとも本土へ届けさせないことで、日本の戦力を枯渇させ、オーストラリア本土侵攻の体力を奪う。
戦術項目実行内容
通商破壊 B-24リベレーターによる、カリマンタン島の主要な油田の破壊。ブルネイから日本本土へ向かうタンカー群への無差別爆撃。
港湾封鎖 PBYカタリナ飛行艇を用い、ブルネイ湾、バリクパパン沖へ最新の磁気機雷を大量散布。
航空消耗戦 戦闘機・攻撃機: スピットファイア、P-51、P-40 キティホーク、ボーファイター、モスキート。 敵迎撃戦闘機部隊からの爆撃機隊の防衛、または、地上部隊の排除。
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2人の将軍はカリマンタン島への偵察機の報告を司令部で待っている。
ウィリアム・ボストック少将は、震える手で最後の一本のタバコに火をつけました。かつてマッカーサーの懐刀として傲慢なまでに自信に満ちていた彼の顔には、今はただ、逃げ場のない戦士の覚悟だけが刻まれています。
「ジョーンズ中将……。認めざるを得ないな。この作戦は、我々が軽蔑してきた日本軍の『特攻』に限りなく近い」
ボストックの声は掠れていました。
「国内の燃料の残量は今後を見据えると厳しい。スペアパーツの在庫も国内製造分だけでは心もとない、輸送が止まっている。ダーウィンから発進する6,000機の機体、攻撃機以外は大容量の増槽タンクをつけても部隊の航空機の飛行限界距離がぎりぎりだ。目標のカリマンタンに辿り着くまでが大変だ、戦闘機動をを行うと三分の一は海上着水して、船でパイロットを吊り上げないといけないかもしれない」
ジョージ・ジョーンズ中将は、その言葉を遮ることなく、静かにうなずく。瞳の奥に、熱い焔が宿っている。
「そうだ。片道燃料に近い機体もあるだろう。だが、ボストック。今の我々に、他に何ができる?」
ジョーンズは立ち上がり、壁に掛けられたオーストラリア全土の地図を指し示しました。
「我らにあるのはオージー魂だ、魂の殴り合いで日本人に負けるものか!やつらのそのすかした面をぶん殴って、鉄鎖海峡に沈めてきてやる!」
「アメリカは膝を屈した。大英帝国は遠すぎる。……だが、この大陸には我々がいる。世界第4位の規模を誇りながら、内紛に明け暮れていた我々がだ」
彼はボストックを真っ向から見据えました。
「日本軍に思い知らせてやるのだ。後ろ盾を失ったからといって、オーストラリアが大人しく首を差し出すと思うな、とな。奴らがカリマンタンの油田を飲み込み、我々の喉元を締め上げるつもりなら、その指を一本残らず食い破るまで我々は止まらない」
ボストックは鼻を鳴らし、深く軍帽を被り直しました。
「人事屋の君から、そんな野蛮な言葉を聞くことになるとは思わなかったよ。……気に入った」
二人の視線は、地図上のカリマンタン島へ注がれました。
そこには、山下奉文の三個師団が上陸し、第四航空軍の精鋭が翼を休める「不落の要塞」が築かれつつあります。
「作戦系統と行政系統。この二つの頭が一つに噛み合うのが、あと一年早ければ、もう少しマシな戦いができたかもしれんがな」
ボストックが自嘲気味に呟きます。
「いや、今だからこそだ」
ジョーンズが応じました。
「私は持てるすべての燃料と弾薬を、君の指揮下に差し出す。一発の銃弾まで、私が責任を持って前線へ送り届けよう。君はただ、虎の子の航空部隊を最も効果的な場所で叩きつけてくれ」
窓の外では、出撃を控えた地上勤務員たちの怒号と、エンジンの試運転をする爆音が遠く響いていました。
1945年7月、メルボルンの乾季の夜が明けようとしていました。
内紛という鎖を自ら断ち切ったオーストラリア空軍。二人の将星が覚悟を決めたその瞬間、南半球の最大の航空機を持つオーストラリア空軍は翼を広げ、北の空――決戦のカリマンタンへと向かって、エンジンの回転数を上げて、爆発的な排気音と共に飛び立つ。
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この日、ジョーンズ=ボストック論争は、結末を迎えた。
オーストラリア空軍の全パイロットに対し、異例の連名による命令が下る。
「全パイロットへ。我々の後ろにアメリカはいない。我々の前には、祖国がある。新・オーボエ作戦を開始する。一機一艦を屠るごとに、オーストラリアの寿命が一分伸びると心得よ」
地理的にカリマンタン島に近い主要な航空基地、最前線のモロタイ島のピトゥ空軍基地では第1戦術航空軍が展開し、スピットファイアやP-51、ボーファイター、モスキートがここから発進する。彼らは死に物狂いで西の空へと発進していく。
距離: カリマンタン島(東部)まで約900km。
重爆撃機の基地:ダーウィン周辺
オーストラリア本土の北部準州にある基地群は、長距離爆撃の主力拠点。
距離: カリマンタン島(バリクパパン等)まで約1,800km。
主な基地: バチェラー、フェントン、ダーウィン空軍基地。
航続距離の長いB-24リベレーターがここから飛び立ち、重要拠点や油田を襲撃する。
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1945年7月20日、午前3時。オーストラリア北準州、バチェラー飛行場。
太陽が沈んでから8時間が経過してなお、大地が吸い込んだ日中の猛熱は引くことを知らず、巨大な波板鉄板の格納庫内には、逃げ場を失った熱気がねっとりと澱んでいた。
外気はわずかに動いているものの、格納庫の中はまるで巨大なオーブンの予熱が残っているかのような、息苦しい閉塞感に支配されている。漆黒の闇に包まれた空間には、鼻を突く重油の鋭い臭いと、整備兵たちが流した乾かぬ汗の酸っぱい臭いが、湿り気を帯びた塊となって漂っていた。
わずかに開け放たれた扉の向こう、滑走路の先に広がる荒野からは、夜行性の猛禽類の鳴き声が、熱く湿った空気の中を震えながら伝わってきた。
格納庫の外では、視界埋め尽くすほど多くのB-24リベレーターが、まるで獲物を待つ巨鳥のように滑走路に首を並べている。整備兵たちは、機体の「1,200馬力・プラット・アンド・ホイットニーエンジン」に手を焼き、指先を黒く汚しながら、カウリングを必死に締め直していました。
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格納庫内のブリーフィング
格納庫の奥、大きなカリマンタン島の地図が広げられた即席の教壇の前に、第21爆撃航空団の乗員たち、約200名が集結していました。
「諸君、静粛に」
壇上に立ったのは、ボストック少将から直々にこの任務を託された爆撃隊指揮官だ。彼の背後には、黒い線で「ブルネイ湾・セリエ油田、タラカン島油田、バリクパパン油田」への飛行経路が太々と描かれていました。
「今回のターゲットは、日本の息の根を止める『石油』だ。マッカーサーが倒れ、米艦隊が消えた今、我々の爆弾だけがオーストラリアを侵略から守る唯一の手段である。ジョーンズ総長からは、全機帰還を前提とした無理な攻撃は避けるよう通達があったが、ボストック将軍の言葉は違う。……『一滴の油も、一隻のタンカーも逃すな』だ」
乗員たちの間に、緊張という名の電流が走った。彼らは知っていた。カリマンタン上空には今、かつてないほど強力な戦闘機――待ち構えていることを。
「目標高度8,500メートル。製油施設を面制圧する。護衛機隊は限界まで随伴するが、ドッグファイトに入れば奴らは燃料の関係で先に帰る部隊があるかもしれない。そこからは、B-24の旋回機銃だけが頼りだ。……いいか、隣の機体を見ろ。俺たちはここで死ぬために集まったんじゃない。祖国を護るために、敵を焼き尽くしにいくんだ」
指揮官が言葉を切ると、格納庫内に響くのは、遠くでアイドリングを始めたエンジンの低いうなりだけだった。
ミーティングが終わると、乗員たちはそれぞれの愛機へと駆け出した。
機体には「オーストラリアの復讐」や「マチルダの鉄槌」といった派手なノーズアートが描かれていますが、その機首に乗り込む搭乗員たちの顔は、かつてないほど引き締まっていた。
整備兵の一人が、最後にハッチを閉める機長に叫びました。
「幸運を、ボス! このB-24は最高に仕上げてある。必ず戻ってきてくれ!」
機長は親指を立て(サムズアップ)、4基のエンジンに火を入れた。バチェラーの赤い土埃が舞い上がり、銀翼のリベレーターが、一機、また一機と、陽炎の立つ滑走路へと滑り出していく。
午前7時8分。
水平線の彼方、地平の端が燃えるような朱色に染まり、強烈な朝光がバチェラー飛行場の滑走路を真横から射抜いた。夜の間にわずかに冷えた空気は、姿を現した太陽の熱によって瞬く間に書き換えられようとしている。
長く伸びた機体の影が滑走路を黒々と切り裂く中、四基のプラット&ホイットニー・エンジンが、夜明けの静寂を粉砕するような咆哮を上げた。
昇り始めた太陽の逆光を受け、B-24リベレーターの巨大なシルエットが銀色に縁取られる。機体表面のアルミ合金が朝露を弾き、鋭い反射光を放つ。
限界まで詰め込まれた爆弾と燃料の重みに、太いタイヤが悲鳴を上げるように軋む。
機速が上がるにつれ、陽炎が立ち上がり始めた滑走路の先で、巨大な翼がようやく空気の層を捉えた。粘りつくような地上の重力から逃れるように、機首がゆっくりと、しかし力強く、黄金色の空へと持ち上がっていく。
夜の湿り気を残した風がエンジンの排気熱にかき消され、バチェラーの朝は一気に戦場特有の熱気へと塗り替えられた。
「ターゲットはセリエ油田。タラカン島油田、バリクパパン油田。ジャップの心臓に、この一撃を叩き込むぞ」
機長は、ボストック少将から手渡された「新・オーボエ作戦」の命令書を胸のポケットにねじ込んだ。
背後には、陽炎の中に揺れるジェラルミンの輝きを放つ複数のB-24。かつてはアメリカの援助で揃えた機体だが、今やそれらはオーストラリアの意地そのものだった。
ダーウィン、バチェラー、フェントン。
荒野に点在するこれらの「砂漠の空軍基地」から、次々と爆撃機が出撃していく。
「ジョーンズ総長、バチェラーより第1波発進しました。……これより、カリマンタンを火の海に変えます」
ダーウィンの司令部で通信を受け取ったジョーンズ中将は、地図上のブルネイ湾に赤いバツ印を書き込んだ。
彼らの背後にはもはや米空母艦隊はいない。しかし、このオーストラリア魂がある限り、オーストラリアはカリマンタン島の日本軍に好きにはさせない。




