モンゴル征伐 10-2 モンゴル国内の鉄道
モンゴルへの道
イルクーツクのすぐ東にあるウラン・ウデからは、モンゴル縦貫鉄道や道路網が南へ伸びている。1945年当時のモンゴル人民共和国(外蒙古)は、ソヴィエト軍による対日参戦において「西からの玄関口」であり、極めて重要な役割を果たしていた。
鉄道は兵站と軍隊の移動の主要路としての重要性持っている。
ハルビンからバイカル湖、そしてイルクーツクへと繋がるシベリア鉄道との関係。
シベリア鉄道の重要拠点「ウラン・ウデ」から分岐して南へ伸びる支線が、モンゴルの首都ウランバートルを経て、満州国境へと物資を運んでいた。
モンゴル縦貫鉄道はバイカル湖の東側に位置するシベリア鉄道の要衝ウラン・ウデを起点とし、南へ分岐してモンゴルへ向かう路線だ。
* 起点: ウラン・ウデ(シベリア鉄道本線との分岐点)
* 国境駅:ナウシキ(ソヴィエト側)/ スフバートル(モンゴル側)
* 主要経由地: ウランバートル(モンゴル首都)
* 終点方向: ウランバートルからさらに南東のチョイバルサン方面へ伸びる軍用支線が、侵攻の主力拠点だ。
最も重要なのはウランバートルから東へ分岐し、国境付近のチョイバルサン(旧名バヤン・トゥメン)へと至る区間だ。不毛の地への「動脈」として戦略的重要性を「チョイバルサン支線」をもっている。モンゴル東部は水も燃料もない荒野だ。この鉄道がなければ、かつてソヴィエト軍は数千両の戦車を維持することも、大興安嶺山脈を越えて通遼へ進撃することも不可能だった。
チョイバルサンとノモンハン事件(1939年)
チョイバルサン(バヤン・トゥメン)は、ソ連軍のザバイカル方面軍(のちのザバイカル戦線)およびモンゴル人民革命軍が、南方のハルハ川やノモンハン戦線へと進軍するための前線出発地・物資集積地だった。付近にはタムスクなどの前線航空・地上基地群が展開していた。
この路線にはいくつかの問題点がある。
① 単線による限界
この路線は全線が「単線」だ。一度に走れる列車の本数に限りがあり、どこか一箇所で脱線事故や爆破が起きれば、数日にわたって全線の輸送がストップする。
② 橋梁の脆弱性(セレンゲ川)
モンゴル北部を流れる大河、セレンゲ川に架かる鉄橋は、この路線の最大の急所だ。
ウラジオストクから発進した戦略爆撃機や、潜入した挺進部隊がこの橋を落とせば、モンゴル国内の軍は食糧と燃料の補給を絶たれる。
③ 軌間の統一
シベリア鉄道(広軌)と直結しているため、ソヴィエト国内の列車がそのままモンゴルへ入ってこれる。そして、日本軍がウラジオストクで鹵獲した「ロシアン・デカポッド(広軌用米国製機関車)」を使えば、日本側がこの線を「逆走」してモンゴル人民軍の背後を襲撃することも技術的に可能だ。




