満州奪還・ソ連軍包囲殲滅作戦:『回天・通遼作戦』 8-1 1945年10月15日
大陸軍報:通遼殲滅戦・最終決戦実況——『焦土の審判』
1945年8月 新・連合艦隊は樺太、占守島のソヴィエト軍を撃破し、極東方面沿岸部のソヴィエト軍拠点を攻撃しながら南下を開始、ハバロフスクの第二極東方面軍司令部を空母艦隊の航空部隊により、爆撃し、北方防衛開放軍北方軍とともに、ウラジオストクを共同で攻撃をする。
北方軍はウラジオストクを占領し、港と空港をを占領した。
重爆撃機隊、挺身航空隊と落下傘部隊、日本国内の基地航空隊がウラジオストクへ進出する。第一極東方面軍の一部を撃破、第9航空軍を撃破。
ソヴィエト軍の将校捕虜を尋問し、ソヴィエト軍の進出経路、兵站の情報などを抽出する。
ウラジオストクの空港から重爆撃機がシベリア鉄道のハバロフスクの橋梁や拠点を破壊。このルートの新しいソヴィエト軍の侵入を防ぐ。
そして、東清鉄道のチチハル、ハルビン間を破壊。バイカル湖方面からのソヴィエト軍の兵站線を破壊する。ハルビンを航空降下作戦で占領し、ウラジオストクからハルビンまでの路線の敵拠点を北方軍快速部隊により排除して、鉄道で大部隊を移動。
さらに、重爆撃機はソヴィエト軍進軍ルート上の仮設飛行場を爆撃し、空と地上からのソヴィエト軍の兵站線を破壊する。
北方防衛開放軍北方軍第一軍は日本海沿岸から朝鮮へ進軍して、反対側からは北方防衛開放軍南方軍の第9師団(武部隊)第62師団(石部隊)が黄海より上陸させ、西から進撃を開始、北方軍第一軍が東から進撃を開始。両軍団が包囲殲滅作戦を実施して、平壌の第一極東方面軍、第二極東方面軍を一部を撃破。新・太平洋艦隊航空部隊が第12航空軍を撃破。
朝鮮が解放されたため、通化で敵軍のただなかに孤立していた関東軍総司令部、関東軍第一方面軍、関東軍第3方面軍は救われた。
北方防衛開放軍南方軍はさらに大連・旅順へ進軍、新・太平洋艦隊と空母艦載機、日本から進出してきた陸上航空隊によって、ザバイカル方面軍とソヴィエト軍太平洋艦隊を攻撃。
南方軍は大連・旅順へ第8方面軍以外のすべての部隊を上陸させる。
ザバイカル方面軍は奉天方面へ退却を開始する。
南方軍第八方面軍が日本軍が健在な天津へ上陸。南方軍第八方面軍司令官 今村均大将は天津周辺の航空基地の再整備を指示して、南方軍の基地航空部隊の進出する準備をさせ、自身と軍団は張家口で戦い続ける北支那方面軍を助けるために移動を開始しする。
張家口では根本博中将駐蒙軍は10倍以上の兵力を有するソヴィエト・モンゴル連合軍の侵攻を食い止め、在留邦人4万人の脱出時間を稼いだ防衛戦を続けていた。第八方面軍集団が根本中将が戦っている「丸一陣地」へ急行して、カリマンタン島から前線に進出した航空隊と共にこれを撃破。退却するソヴィエト軍を追撃する。
今、掛井大将率いる北方防衛開放軍南方軍本隊が大連・旅順からザバイカル方面軍追撃して、通遼の平原へ追い回し、
南方軍第八方面軍集団 司令官 今村均大将がその外側から敵軍を通遼の平原へ追い回し、
関東軍がこれまでの戦いを覆すために猛反撃を開始し、通遼の平原へ押し返し、
伊勢神忠雄中将が率いる北方防衛開放軍北方本国軍がハルビンから通遼の平原へ、駆け抜ける。
日本軍航空隊は前線の仮設航空基地から,もしくは、大連の近郊の航空基地から大編隊が発進して、通遼の平原へ
日本海軍空母艦載機部隊は黄海沿岸の海上の母艦から、もしくは、仮設航空基地から発進して通遼の平原へ
ウラジオストクからは大型爆撃機部隊が大量の爆弾を抱えて、通遼の平原へ
そして、3つのソヴィエト共産党軍集団は通遼の平原で復讐の憎悪の鬼たちによって、幾十にも包囲された。
1945年10月15日、満州・通遼平原。
この地は今や戦場ではなく、侵略者に対する「処刑場」へと変貌した。降伏は許されず、慈悲も存在しない。あるのは『復讐を為す責任』と圧倒的な破壊の連鎖のみ。
すべての部隊に対して、総司令官、掛井大将から回天・通遼作戦の開始の時を告げる。
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総司令官・掛井道真大将
「北方開放軍の全将兵、並びに関東軍、朝鮮軍の勇士たちに告ぐ。
我らは今、この戦いの最終局面に立っている。
振り返るのだ。樺太で、占守島で、朝鮮で、満州で、そして内モンゴルの風巻く荒野で――我らの同胞がいかにして踏みにじられ、いかにして奪われたかを。我らの背後には、無念の死を遂げた数万の開拓民、婦女子、そして最期まで銃を放さず泥の中に果てた戦友達の屍が山と積まれている。彼らの断末魔の叫びが、今もこの通遼の風の中に吹き荒れている。
見よ、我らの目前に蠢く敵の姿を。
法を破り、条約を破り、無防備の背後から牙を剥いた侵略者どもが、今やこの通遼の平原に逃げ場を失い、死の恐怖に震え上がっている。
降伏は許さぬ。容赦も慈悲も、この大地には一滴たりとも存在しない。今ここで我らが為すべきは、生ぬるい『勝利』ではない。散っていったすべての英霊と同胞の無念を果たす、完全なる『復讐』であり、永遠の『断罪』である!
敵の命脈を絶て。一兵たりとも生かしてアムール川を越えさせるな。この地を奴らの永遠の墓標とせよ。我らの歩む踏破の軌跡こそが、バイカルの彼方へと至る新秩序の道標となるのだ!
北方開放軍、関東軍、朝鮮軍の諸君! 今、我らは正しき怒りの鉄槌を下す! 全軍――作戦開始ッ!」
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焦土の審判 ―― 全線突入
「総攻撃ッ! 打ち出せえぇッ!」
演説の結びの怒号が響き渡った瞬間、通遼平原を抱き囲む二千門の重砲が一斉に火を噴いた。
地平線全体が一直線の火柱と化し、数千発の榴弾が雲を裂いてソヴィエト軍の陣地へと降り注ぐ。頭上からはウラジオストク重爆隊の絨毯爆撃が叩きつけられ、逃げ惑う赤軍のT-34戦車隊や歩兵の群れは、爆風と超音速の鋼鉄片によって一瞬にして粉砕されていった。
「ウラー」の叫びは、日本軍の「露助どもは死ね!」という凄絶な喊声と機関銃の連続音によってかき消された。
M18「電光」とM36「雷轟」を先頭に立てた南方軍機甲部隊が、爆煙を突いてソヴィエト軍の防衛線へとなだれ込む。退路を断たれ、航空支援も途絶えたソヴィエト軍は、大口径砲の直撃と空からの掃射の前にただの肉塊へと変えられていった。
1945年10月15日、通遼。この日の太陽は、赤黒い硝煙と鉄の惨劇の中に沈んだ。




