天津へ上陸 張家口の戦い 7-5 中華民国と中国共産党軍の民兵集団を殲滅 1945年10月9日
1945年10月7日。張家口「丸一陣地」での死闘を経て、ソヴィエト軍の南下を阻止した駐蒙軍の勇名は、華北全土に轟いていた。ソヴィエト軍へ猛烈な反撃を行い、戦力を増強し続ける日本軍に対し、周辺勢力は焦燥を強めていた。
北京、鉄獅子胡同の北支那方面軍司令部。
司令官・根本博中将は、軍装を崩さず執務室に座していた。手元にあるのは、10月15日に発動を控えたソヴィエト軍包囲殲滅作戦、『回天・通遼作戦』の計画書である、失地回復への大攻勢だ。
だが、その大作戦を前に、足元の華北を「掃除」しておく必要があった。
「国民党も中国共産党も、我々の疲弊を待っている。だが、その計算は外れることになるだろう」
根本の視線の先には、天津以南で蠢動する二つの軍勢があった。
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「司令官、敵勢力の配置が完了しました」
第8軍特殊情報部長代理・成松少佐が、音もなく部屋に入り、一枚の図面を広げた。
潜伏中の日本軍工作員が命懸けで持ち帰った情報によれば、共産軍ゲリラが農村部に「解放区」と称する拠点を作り、そこへ国民党軍の一個師団が「治安維持」の名目で合流を図ろうとしていた。
本来、不倶戴天の敵であるはずの両軍だが、強大すぎる日本軍を前に、一時的に野合して背後からの攪乱を目論んでいたのである。
「国民党軍は、我が軍がソヴィエトとの決戦(通遼作戦)に全力を注ぐ隙を突き、北京・天津の補給線を断つ構えです」
成松の報告に、根本の口元が冷酷に歪んだ。
「奴らは、我々が守勢に回っていると誤認している。その傲慢を叩き潰せ」
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1945年10月9日。天津周辺の居留民保護を任務とする天津軍(第27師団など)に、動員令が下った。
国民党軍は、存在もしない連合国の「戦勝権」を盾に天津市街地への進駐を要求。これを拒否した日本軍に対し、共産党ゲリラと呼応して郊外の鉄道網を爆破せんとした。
しかし、その動きは成松の諜報網によって完全に掌握されていた。
国民党軍の先遣隊が鉄路に近づいた瞬間、周囲の林に伏せていた日本軍の精鋭守備隊が一斉に火を噴いた。さらに、南方から天津基地に進出していたP-47「稲妻」の編隊が低空で飛来。圧倒的な機銃掃射により、平原に展開していた敵軍を物理的に「排除」した。
「これは『交渉』ではない。我が軍の領域を侵す不逞の輩への『処理』である」
現場を指揮する将校の言葉通り、そこには戦闘と呼べるほどの抵抗すら存在しなかった。
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10月10日。
北方の「最終決戦の地」である通遼周辺では、ソヴィエト軍との血で血を洗う大激突が刻一刻と近づいていた。しかし、北支那方面軍司令官・根本博中将は、自ら北へ向かうことはなかった。彼はベテランの精鋭が固める方面軍とともに、華北の要衝・天津に留まり、南方に広がる果てしない闇――重慶の中華民国と延安の共産党の動向を冷徹に睨み続けていた。
「北で我らがソヴィエト軍と刺し違えるのを、奴らは手ぐすねを引いて待っている」
天津の司令部。重厚な作戦卓を前に、根本は低く呟いた。彼らは再び、攻勢を掛けようとしていた。正面からの激突を避け、天津の港湾や鉄道網を破壊し、日本軍の補給線を背後から絶ち切るべく、無数のゲリラ部隊を解き放ったのである。
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1945年10月12日未明。天津郊外の泥濘と葦の茂る平原において、暗闇を切り裂くように銃声が上がった。国民党軍の正規軍変装部隊が率いる民兵部隊と、共産党ゲリラ組織の八路軍が呼応し、天津へと通じる主要鉄路と橋梁へ一斉に襲いかかったのである。
「便衣兵、第3橋梁および外郭警備陣地に接触! 規模、数千!」
通信機から殺気立った報告が飛ぶ。彼らの戦術は陰湿かつ執拗であった。農民に紛れた工作員が背後から手榴弾を投げ込み、爆破工作員が鉄路に爆薬を仕掛ける。さらに南方の山影からは、旧式の山砲や迫撃砲による断続的な砲撃が天津市街地の外郭へ叩きつけられた。
だが、数々の戦場を潜り抜けてきた北支那方面軍のベテラン兵士たちは、動揺しなかった。
「慌てるな。敵の狙いは我らを混乱させ、防衛線を浮足立たせることだ。陣地を死守し、敵の主力を誘い出せ」
根本の命令のもと、熟練の守備隊は徹底した重機関銃のクロスファイア(交差射撃)と精密な陣地防御でゲリラの波を堰き止めた。ベテランたちの射撃は一発一発が正確無比であり、闇に乗じて肉薄しようとする敵兵をことごとく平原の泥の中に撃ち倒していった。しかし、敵の数は膨大であった。どれほど倒しても、南の広大な泥沼から次々と新たなゲリラが湧き出してくる。
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「司令官、敵の誘い出しは完了しました。奴らの集結地点、および後方本陣の座標を特定!」
特殊情報部の成松少佐が鮮やかな手つきで地図上に赤丸を付けた。根本は深く頷くと、作戦卓の直通電話を取り上げた。
「……北方開放戦軍へ連絡。目標座標へ火力を集中されたし」
根本が頼みにしたのは、破格の超遠距離打撃力と圧倒的な火力を誇る第9砲兵司令部直属の重砲兵旅団であった。
前線から後方に陣取る重砲兵旅団の陣地では、長大な砲身を夜空へ向けた巨砲の群れが火を噴く瞬間を待っていた。沖縄戦をはじめとする激戦地で米軍から大量に鹵獲・接収し、自軍の主力重砲として再整備された『M59 155mmカノン砲』――愛称「ロング・トム」である。
「全砲、目標座標へ照準完了! 曳火信管設定、一斉射撃開始!」
陣地長の一声とともに、十数門の「ロング・トム」が一斉に咆哮を上げた。
ズドドドドンッ!
長大な砲身から噴き出した莫大な火柱が暗闇を切り裂き、45キログラムを超える榴弾が、時速数千キロの超音速で夜空へと放たれた。20キロメートル以上の遠方から飛来するその砲弾群は、反撃の機会すら与えない絶対的な絶望の矢であった。
数分後、天津の北の夜空が激しい茜色に染まった。
天津郊外のゲリラおよび国民党軍の集結地点の上空へ、「ロング・トム」が放った155mm砲弾の群れが寸分の狂いもなく到達した。
頭上数百メートルに達した大量の重榴弾は、地に激突する前に容赦なく「空中炸裂(曳火砲撃)」を起こした。
暗雲の垂れこめる夜空が一瞬で無数の太陽に照らされたかのように白熱し、直後に大気を引き裂く巨大な破砕音が連続して大地を震わせた。地表に激突して土砂を巻き上げる間すら与えず、頭上から全方位に向かって解き放たれたのは、爆風と超音速で飛散する無数の熱い鉄の破片――「鋼鉄の雨」であった。
「ひぃっ! 空から、空から火が降ってくる!」
「頭を下げろ!伏せろ! 伏せ――」
「ロング・トム」の圧倒的な威容と空中炸裂の猛威は、夜の平原を地獄の炎で包み込み、潜伏していた敵の集結地点と後方本陣を、一瞬にして影も形もない黒焦げの不毛の地へと変え果てていった。
八路軍の指揮官が叫び切る前に、頭上で花開いた橙色の火球から猛烈な爆風と金属片の狂風が容赦なく降り注いだ。葦の茂みに身を潜めていたゲリラ兵たちは、泥に顔を押し付ける猶予すら与えられなかった。上方から垂直に近い角度で突き刺さる鋭利な破片は、兵士たちの背中、頭部、胸腔を容赦なく穿ち、肉を切り刻んだ。
泥濘の平原は、一瞬にして逃げ場のない屠殺場へと変貌した。地面に着弾する砲弾であれば土のうや凹地が身を守る盾となるが、頭上数十メートルで炸裂する鉄の雨の前では、葦の群生も塹壕も何の役にも立たない。
国民党軍の部隊が据え付けようとしていた迫撃砲陣地には、大口径榴弾の直撃と空中炸裂が同時に襲いかかった。爆風によって砲身ごと打ち砕かれた兵士たちは、衝撃波で鼓膜と内臓を破壊され、血の泡を吹きながら泥の中に転がり落ちた。爆発の光に照らし出されたのは、跳ね飛ばされた無数の銃器、もぎ取られた腕や脚、そして絶叫を上げる間もなく肉塊へと変えられていく敵兵たちの惨状であった。
「退却だ! 戻れ! 爆風から逃げろ!」
狂乱した国民党の幹部が後方へ逃亡を図るも、次々に着弾する砲撃の連鎖がその退路を完璧に遮断する。連続する炸裂音はもはや個別の音としては聞き取れず、地獄の雷鳴となって地表を揺らし続けた。一撃ごとに数百平方メートルの生命が薙ぎ払われ、葦の原は熱い鉄の破片と炎によって焼き尽くされていく。
八路軍の現場指揮官である張連長は、それまでの「人民の英雄」たる威風堂々とした態度を完全に脱ぎ捨て、狂乱のパニックに陥っていた。
頭上を満たした死の閃光と地鳴りのような砲撃の前に、彼が誇っていた共産主義の教条も、部下を導く指導者としての威厳も一瞬で雲散霧散した。
必死に指示を仰ぐ若き兵士たちの胸元を、張は「邪魔だ! どけッ!」と金切り声を上げて力任せに突き飛ばした。彼は部下の命など知ったことではないと言わぬばかりに、拳銃すら投げ打ち、一人だけ後方の泥沼へ向かって脱兎のごとく逃げ出したのである。
しかし、足元は湿った葦の泥濘であった。
「助けてくれ! 頼む、死にたくない! 助けてくれぇっ!」
泥に足をすくわれて無様に転倒し、顔面から泥水と部下の血の混ざった汚泥に突っ込む。長靴が脱げ、裸足になった足で必死に泥を掻きながら、泥まみれの顔で涙と鼻水を撒き散らして這い回った。先ほどまで「日本軍を殲滅せよ」と高らかに叫んでいた口からは、ただただ生への見苦しい執着と命乞いの悲鳴しか漏れてこなかった。
泥の中を四つん潰れになって這い進み、倒れた部下の背中を踏み台にして逃げようとしたその時――頭上わずか数十メートルの至近距離で、大口径重榴弾が残酷にも炸裂した。
「ヒッ―――ッ!?」
張が恐怖で白目をむき、股間を濡らしながら泥の中に丸まろうとした瞬間、超音速の鋼鉄の破片が彼の背中に降り注いだ。
ドォンッ!
強烈な爆風が張の体を容赦なく泥の中から跳ね上げ、吹き飛ばした。背中を無惨に引き裂かれ、汚泥と血に塗れた張の身体は、まるで投げ捨てられたボロ布のように葦の原へ叩きつけられた。
かつて配下の兵士たちに「死を恐れぬ不屈の戦士」と称えさせていた指揮官は、誰に看取られることもなく、脱げた長靴と泥水にまみれた姿のまま、痙攣とともに惨めな最期を遂げたのである。
そして、数分間に及ぶ連続整列砲撃が終わりを迎えたとき、あれほど膨大であった敵の気配は完全に途絶えていた。
後に残されたのは、くすぶる黒煙と焦げ付いた肉の臭気、そして赤く染まった無音の泥沼だけであった。北方開放戦軍の圧倒的な物量と冷徹な「鉄の雨」は、暗闇に紛れて牙を剥こうとした数千の過激派と正規軍部隊を、その足場ごと歴史の闇へと消し去ったのである。
熟練の北支那方面軍による「鉄壁の誘い込み」と、北方開放戦軍による「圧倒的火力の粉砕」。この完璧な挟撃の前に、国共双方のゲリラ部隊は指揮系統を失い、武器を捨てて南方へとなだれを打って逃げた。
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1945年10月15日、朝。
天津郊外の平原には、昨夜の激戦を物語る黒煙といくつもの巨大な砲弾穴が残されていた。根本博中将は、北方開放戦軍の将校たちを伴い、硝煙の臭いが残る最前線に立っていた。足元には、国民党と共産党が残していった旗や大量の兵器が打ち捨てられている。
「根本閣下、追撃して華南まで敵を掃討いたしますか?」
若い将校の問いに対し、根本は静かに首を振った。
「無用だ。我々が守るべきは、この天津と華北のみ。奴らが自らの選択で地獄へ落ちようと、我らの知ったことではない」
根本は腰の軍刀の柄に手を置き、遠く南の空を睨みつけた。
「だが――この線から一歩でも北へに侵入しようとすれば、次に来るのは言葉での交渉ではない。全滅あるのみだということを、奴らの体に叩き込んでやった」
天津での完全なる返り討ちにより、中華民国と共産党の野心は完全に挫かれた。彼らは日本軍の隙を突くことすら叶わず、重い損害を抱えたまま、南方への撤退を余儀なくされたのである。背後の安全を完全に固めた根本博と北支那方面軍の眼光は、今や北の彼方――「最終決戦の地」通遼の空へと向けられていた。
天津へ上陸 張家口の戦い 終




