連合軍によるカリマンタン島攻撃作戦の変更、アメリカ軍、オーストラリア軍の状況
1945年5月
沖縄戦とフィリピン戦でオーボエ作戦が開始される前に、アメリカ第5艦隊、第7艦隊は日本軍によって主力たる空母も戦艦も撃滅された。
第7艦隊はカリマンタン島の上陸作戦に必要な、多くの上陸艦がフィリピンに止めおかれて、日本軍に接収された。
かつて太平洋を席巻したアメリカ海軍第5艦隊と第7艦隊。その栄光は、「新連合艦隊」の圧倒的な火力の前に、冷たい深海へと沈んでいた。
正規空母、旧型戦艦は潜水艦隊の雷撃、最新鋭戦艦は大和の砲撃によって海の底の冷たい鉄の棺桶となった。カリマンタン島への大規模上陸作戦「オーボエ」の主脚となるはずだった第7艦隊の上陸艦艇群は敵の手に渡った。
フィリピンのスービック基地に存在していた第7艦隊上陸船団はオーボエ作戦に参加することは物理的に不可能であった。
オーボエ作戦とは
オーボエ作戦(Operation "OBOE")
とは、第二次世界大戦末期の1945年、連合国軍(主にオーストラリア軍)が実施したボルネオ島奪還のための大規模な侵攻作戦の総称だ。
作戦の概要
ダグラス・マッカーサー将軍の指揮下で計画され、オランダ領東インド(現在のインドネシア)の奪還と、イギリス太平洋艦隊のための泊地確保などを目的としていた。以下の3つの主要な上陸作戦で構成される。
主な作戦内容と実施時期
オーボエ1号作戦 (Oboe 1): タラカン島への上陸(5月1日)
オーボエ6号作戦 (Oboe 6): ブルネイ湾およびラブアン島への上陸(6月10日)
オーボエ2号作戦 (Oboe 2): バリクパパンへの上陸(7月1日)
そして6月下旬フィリピンのアメリカ軍が敗北、マッカーサー将軍の生死は不明。最高司令官(最高戦略責任者): ダグラス・マッカーサー米陸軍大将(連合国軍南西太平洋方面最高司令官)は生死不明でアメリカ軍が参加するオーボエ作戦は破棄された。
****
しかし、連合軍オーストラリア軍側の司令官は優勢な航空戦力によって日本軍の拠点を戦略爆撃し、日本の補給線、日本本土への兵站線を破壊することを目的とした新・オーボエ作戦を計画する。
****
1945年当時のオーストラリア空軍の指揮系統は、非常に強力な実戦部隊を擁しながらも、組織内部では激しい主導権争いが起きていた。
マッカーサーの敗北という未曾有の事態に直面した際、オーストラリア空軍の最高幹部たちがどのような決断を下すのか、そのキーマンとなる人物を紹介する。
・オーストラリア空軍の最高責任者:ジョージ・ジョーンズ空軍中将
ジョージ・ジョーンズ は、オーストラリア空軍の空軍参謀総長。
組織の管理と育成に長けており、1945年までにオーストラリア空軍を世界第4位の規模にまで成長させた功労者。
ジョーンズ空軍中将はオーストラリア本土のメルボルンから指揮を執っている。マッカーサーの消息不明とアメリカ第5艦隊、第7艦隊の壊滅を受け、彼は「自国軍の保護」を最優先しつつも、この厳しい状況に連合国ではなく、《オーストラリア》を残すための、戦略を必要としている。
しかし、現状ではカリマンタン島に展開予定の部隊に対して「アメリカ軍の指示を待たず、独自に撤退または防衛に移行せよ」という密命を下す立場をとる。
・実戦部隊の現場指揮官:ウィリアム・ボストック空軍少将
ウィリアム・ボストックは、オーストラリア空軍の作戦指揮官であり、実質的な戦術の全権を握っていた。
彼はマッカーサーの厚い信頼を得ており、米軍の指揮下で動くことを好んだため、参謀総長のジョーンズとは激しく対立していた(「ジョーンズ=ボストック論争」)。
彼はカリマンタン島近海やモロタイ島で、オーボエ作戦の空からの主役である「第1戦術航空軍」を指揮する。
マッカーサーが消え、米軍の補給が止まった時、彼は「マッカーサーのドクトリン」に固執するか、あるいは宿敵ジョーンズの命令に従って日本軍(第4航空軍)との無益な消耗戦を止めるか、究極の選択を迫られる。
****
「ジョーンズ=ボストック論争」は、第二次世界大戦中のオーストラリア空軍を二分し、戦後まで禍根を残した歴史上最も深刻な「組織内の二頭政治」による内紛だ。
一言で言えば、「管理・人事のトップ」と「実戦・作戦のトップ」が、終戦まで一度も口をきかないほど憎み合い、指揮系統が完全に分裂していたという異常事態を指す。
この論争を構成する3つのポイントを正確に解説する。
1. 対立する二人のキーマン
ジョージ・ジョーンズ空軍中将空軍参謀総長 メルボルンの空軍本部から行政・人事・訓練・補給を統括。組織の安定とオーストラリアの主権を重視した。
ウィリアム・ボストック空軍少将作戦司令官は前線で実戦部隊を直接指揮。マッカーサー元帥の厚い信頼を得て、米軍のドクトリンに心酔した。
逆転の上下関係: 階級はジョーンズ(中将)が上だが、ボストック(少将)は「自分は連合軍最高司令官から直接命令を受けている」と主張し、ジョーンズの命令を無視し続けた。
2. なぜこれほど激化したのか?(原因)
任命の経緯: もともと参謀総長には別の人物が就く予定だったが、政治的トラブルで急遽ジョーンズが選ばれた。先輩格であり、自分が選ばれると信じていたボストックは、これを激しく恨んだ。
指揮権の二重構造: マッカーサーの南西太平洋方面軍の下で、実戦部隊は「作戦系統(ボストック→マッカーサー)」と「行政系統(ジョーンズ→豪州政府)」に切り分けられました。これにより、ボストックは「ジョーンは俺の指揮下にしろ」と言い、ジョーンズは「俺の許可なく兵を動かすな」と言い合う泥沼の構図が完成した。
個人的な不信: 二人はお互いの有能さを認めつつも、人格的に相容れない。公的な連絡はすべて書面(しかも批判的な内容)で行われ、会議でも目も合わせないほどだ。
****
1944年、南半球の冬。メルボルンの空軍総司令部には、勝利を確信した傲慢さと、それゆえに激化する「身内同士の憎悪」が渦巻いていた。
この時期、連合軍はニューギニアの要衝を次々と陥落させ、マッカーサーの「アイランド・ホッピング」は飛ぶ鳥を落とす勢いだ。日本軍の脅威が本土から遠のいたことで、オーストラリア空軍内部の「ジョーンズ=ボストック論争」は、もはや国家の危機管理を逸脱し、純粋な権力闘争へと変質していた。
拒絶の廊下:一度も合わない視線
総司令部の長い廊下。
ジョージ・ジョーンズ空軍中将が、副官を連れて歩いてきます。その向こう正面から、アメリカ軍に追随するウィリアム・ボストック少将が、米軍式の派手な歩き方で近づいてきた。
二人の距離が縮まる。周囲の幕僚たちは、あまりの緊張感に息を呑み、壁に身を寄せました。
しかし、二人は目も合わせず、挨拶の一つも交わさず、まるでそこに巨大な空洞があるかのように、無言ですれ違う。
「……またか」
副官が小さく溜息をついた。
これが世界第4位の空軍のトップ二人の、日常の光景だ。
書面という名の「弾丸」
ジョーンズ中将は執務室に戻るなり、机に置かれた山のような書類を払いのけ、ボストックからの最新の「要求書」を手に取りました。
「ボストックめ……『作戦上の必要性により、メルボルンの人事介入を拒否する』だと?」
ジョーンズの顔が怒りで赤黒く染まる。
「行政・人事を司る私の許可なく、勝手に飛行隊の隊長をすり替えるとは。奴はマッカーサーという『権威』を手に入れたつもりか!」
ボストックは前線の司令部で、マッカーサーから贈られた高級な葉巻をくゆらせながら、幕僚たちに豪語していた。
「いいか、戦争をしているのは我々だ。メルボルンで椅子を温めているジョーンズではない。奴が燃料を渋るなら、マッカーサー元帥に言って米軍の在庫を回してもらうまでだ。人事も訓練も、実戦を知らん男に口を出させるな」
指揮系統の二重構造
この時期、オーストラリア空軍は「一つの体、二つの頭」を持っていた。
行政のジョーンズ: 予算、人事、補給を握り、「オーストラリアの主権」を盾に米軍の過度な要求を牽制する。
作戦のボストック: 実戦部隊を握り、米軍のドクトリンに心酔。「ジョーンズは補給だけやっていればいい」と言い放つ。
ある日、新鋭のモスキート高速偵察機が前線に配備された際、深刻なトラブルが起きた。
ボストックが「即時出撃」を命じたのに対し、ジョーンズが「パイロットの教育課程が完了していない」として、メルボルンから無線で待ったをかけたのだ。
「作戦系統と行政系統が、一つの機体を奪い合っている。これでは日本軍に隙を見せるだけではないか」
前線のパイロットたちは、どちらの命令に従うべきか分からず、滑走路上で途方に暮れていました。
傲慢の絶頂
1944年の彼らには、まだ「余裕」があった。
日本軍は守勢に回り、物量差は開く一方。だからこそ、彼らは「敵」よりも「隣のライバル」を憎むことにエネルギーを費やせたのです。
「ジョーンズ中将。ボストック少将は、今度のオーボー作戦の全指揮権を自分に委ねるよう、政府に直接働きかけているようです」
報告を受けたジョーンズは、引きつった笑みを浮かべました。
「勝手にやらせておけ。ただし、私のサインがない限り、一発の銃弾も、一ガロンのガソリンも前線には届かんということを、あの傲慢な少将に思い知らせてやる」
勝利が確実視される戦域の影で、世界第4位の空軍は内側から二つに裂けようとしていました。
この「内紛」が、のちに1945年、復活した日本軍の「新・連合艦隊」という想定外の嵐に直面したとき、どれほどの致命傷になるのか。
1944年の冬、メルボルンの司令部に漂うのは、戦勝を確信した者の「醜い権力欲」の残り香だけでした。
****
そして、1945年7月、メルボルン郊外の陸軍司令部。乾季の心地よい風がそよぐ日に、オーストラリア軍の「顔」である二人の将星が、午後の日差しが差し込む部屋で地図を囲んでいた。
空軍のジョーンズとボストックが「子供の喧嘩」に興じている間、地上戦の全責任を負う彼らの視線は、より泥臭く、そして切実な「国家の境界線」に注がれていました。
・オーボエ作戦陸軍部隊(オーストラリア第1軍団)司令官: レスリー・モースヘッド 中将
実戦部隊であるオーストラリア第1軍団(第7、第9師団など)を直接指揮する。
・連合国陸軍部隊司令官: トーマス・ブレイミー 元帥
オーストラリア軍総司令官として、地上作戦の指揮にあたる。
---
「マッカーサーめ……。あれほど『I shall return』と豪語しておきながら、フィリピンを再び失い、自らは捕虜か。……レスリー、我々は梯子を外されたのだ」
ブレイミーの声には、長年米軍の陰に甘んじてきた屈辱と、いざという時に見捨てられたという冷徹な怒りが混じっていました。1944年までは「勝利の掃除役」として島々の掃討を命じられていたオーストラリア軍が、今や自力でこの広大な大陸を守らねばならない。
「米軍の補給が止まれば、我が軍の戦車もトラックも、ただの鉄の塊に成り下がる。……この状況で、まだ、オーボエ作戦を維持できると思うか?」
モースヘッド中将の覚悟:砂漠の鼠の再起
「トマ、私はニューギニア島にいる第7、第9師団を、最悪の場合は『捨て石』にする覚悟でいます」
第1軍団司令官、レスリー・モースヘッド中将が静かに応じた。かつて北アフリカのトブルクで「砂漠の鼠」と揶揄されながらもドイツ電撃戦を食い止めた不屈の男は、いまや母国を襲う未曾有の危機に、その鋭い牙を剥き出しにしていた。
「オーボエ作戦は、もはや日本の資源を奪う攻勢ではない。ダーウィン、そしてブリスベン……オーストラリア本国を要塞化するための『時間稼ぎ』に過ぎない。……我ら第1軍団の精鋭38万5千名は、ジャングルの奥地で死ぬために訓練されたのではない。この赤い土の上で、日本軍を迎え撃つためにいるのです」
モースヘッドは、地図上の「ダーウィン」を強く指差しました。
「空軍の馬鹿どもが内紛に明け暮れているなら、地上軍だけで防空陣地を固めるまで。対空砲火の一門、地雷の一枚まで、私が徹底的に管理します」
ブレイミー元帥は、窓の外を歩く国民軍の若い兵士たちに目をやりました。
「1944年のあの余裕は、どこへ行ったのだ……。あの頃は、マリアナを落とせば戦争は終わると誰もが信じていた」
彼らの感想は、共通して「孤立無援」という避けがたい事実に行き着いていました。
イギリス(本国): 欧州戦線の戦後処理で手一杯。
アメリカ(後ろ盾): フィリピン陥落とニミッツの苦境により、援軍の望み薄。
オーストラリア軍総司令官、トーマス・ブレイミー元帥。彼は、使い古された地図の上に、フィリピンから南下する「新・連合艦隊」の推定進路を赤い鉛筆でなぞりました。
「レスリー、これからの戦いは、大英帝国の一員としての戦いではない。オーストラリアという一国家の『生存』を賭けた、初めての独立戦争になるぞ」
「……望むところです」
モースヘッドは軍帽を深く被り直しました。
「第7、第9師団には伝えてあります。――『諸君の背後には、もはやマッカーサーはいない。だが、諸君の背後には諸君の家族と故郷がある』とな」
1945年7月の「冬」
1945年7月。彼らにとっての冬は、南半球の国の乾季の穏やかな日々、だけではありませんでした。遠い日本の岩手の山奥の厳しい冬の如く、忍耐と次々の降り積もるドカ雪の様な試練が《北》からやってくるのだ。
勝利の凱旋を夢見ていた1944年の記憶は、いまや遠いお伽話。
目の前にあるのは、カリマンタンから、じわじわと押し寄せてくる日本軍の「再生」という名の悪夢。
「全軍に布告せよ」
ブレイミー元帥が、力強く立ち上がりました。
「これよりオーストラリア全土を『最終防衛圏』とする。オーボエ作戦部隊は、敵の主力を引き付け、一歩も引かずに消耗させろ。……我々の意地を見せてやるのだ」
オーストラリア陸軍。
砂漠を、ジャングルを戦い抜いた「歴戦の兵士」たちが、今度は自らの国を守るために、最も冷酷で、最も勇敢な防衛戦の幕を上げようとしていた。
初稿の間違いを訂正しました




