南方奪還フィリピン攻略 2-8 洋上の菊水艦隊
洋上の菊水艦隊
沖縄とフィリピンの間に横たわる、青く深い東シナ海。その波濤を力強く押し分けて進む巨大な戦艦――第二艦隊旗艦『大和』の長官司令室は、外の張り詰めた緊張感とは一線を画する、静けさと微かな和やかさに包まれていた。
漆塗りの長テーブルの中央には、最新の戦況が描かれた大型の作戦地図が広げられている。その脇には、沖縄のアメリカ軍の物資から回収されたという芳醇な香りを漂わせるアメリカ製のドリップコーヒーと、銀の小皿に盛られたハードビスケットが置かれていた。
会議に臨んでいたのは、未知なる時空を超えて現れた《帰還艦隊》の司令長官と幕僚たち。そして第二艦隊司令長官・伊藤整一中将と第二艦隊幕僚団、さらには沖縄戦の激闘を経て「菊水艦隊」と合流を果たした第32軍司令官・牛島満中将と、その懐刀である高級参謀・八原博通大佐であった。
「……ふむ、敵を打ち負かして奪い取ったコーヒーというのも、なかなか乙な味ですな」
牛島中将がカップにゆっくりと口をつけ、重厚な笑みを浮かべる。八原大佐もまた、思考を休めるようにビスケットを一口かみ砕き、作戦卓上の図面に目を落としていた。その静寂を破るように、第二艦隊参謀長・森下信衛少将が指揮棒を取り、壁面に掲げられたフィリピン全土の大型海図の前に立った。
「では諸官、肩の力を抜いたところで本題に入りましょう。現在、我々が対峙しつつあるフィリピンの敵情についてです」
森下参謀長がカツンと指揮棒の先で叩いたのは、群島の中核・ルソン島であった。
「現在、このフィリピンに展開する連合国南西太平洋軍……それは、まさに『アメリカ』という巨大な国家の物量そのものです。現在、ルソン島攻略の主力となっている米陸軍第6軍は総兵力約25万。うち直接の『戦闘部隊』だけでも約10万を数えます。さらに、南部諸島の掃討を担当する第8軍が約20万、そのうち実戦に投入されているのは約7万から8万」
森下参謀長は一呼吸置き、出席者たちの顔を見回した。
「兵站や工兵などの後方支援部隊を合わせれば、その総数は50万を優に超えます。単一の島嶼戦としては、我々が戦ってきたあの沖縄をも遥かに凌駕する圧倒的な兵力密度です」
八原大佐が手元のメモに目を行き届かせながら、静かに頷く。森下参謀長は指揮棒を滑らせ、マニラ郊外の地点を示した。
「ダグラス・マッカーサー将軍は、奪還した首都マニラを単なる『勝利の象徴』としては扱っていません。彼はフォート・マッキンリーを中核に据え、この地を日本本土侵攻作戦のための巨大な兵站集合拠点へと作り替えています。膨大な弾薬、燃料、糧食がルソン島に無尽蔵に積載されているのです。一方で、南部に展開する第8軍はレイテ、ミンダナオ、ビサヤの各諸島を徹底的に攻略中。南部に潜伏する我が軍の残存勢力を完全に粉砕し、自らの『背後』を盤石にしようという意図でしょう」
そこまで語ると、森下参謀長の表情に一筋の熱がこもった。指揮棒の先が、ルソン島北部の険しい山岳地帯へと移動する。
「ですが……このルソン島では、まだ我が軍の灯火は消えておりません。山下奉文大将率いる第14方面軍——『尚武集団』が、深い森と切り立った山岳地帯に陣を敷き、いまなお粘り強く戦い続けています」
「山下将軍の尚武集団か……」
牛島中将が深く感銘を受けたように呟いた。
「ハッ。彼らは草を食み、泥を啜り、凄惨な飢えと熱病に耐えながらも、アメリカ陸軍第6軍の主力25万をこの北部の山地に釘付けにしています。つまり、アメリカ軍にとってフィリピンは決して『完全制圧した安全地帯』ではないのです。もし我々が海から怒涛の勢いで攻め入り、山中の山下将軍らと内外呼応することができれば……フィリピン奪還、ひいてはアメリカ軍の本土侵攻計画の根底からの破砕も決して不可能ではありません」
森下参謀長は自らの言葉を噛み締め、最後に作戦卓の中央へと視線を戻した。
「——そのためには、現在フィリピン周辺に存在するアメリカ軍の膨大な航空戦力、そしてスリガオやスービックに展開する大英帝国海軍の『第57任務部隊』を沖合へと誘い出し、これを一挙に撃滅・粉砕せねばなりません」
森下参謀長は指揮棒で作戦図上の海域を強く円で囲んだ。
「これこそが、我々の発動する『フィリピン海上封鎖作戦』の真の狙いです。伊400改型潜水艦隊による補給線の遮断と、我が『菊水艦隊』の強大な存在感……。敵はどれほど物資を備蓄していようと、海の動脈を永久に塞がれ、行動の自由を失うことを何よりも恐れます。焦痺した敵の主力艦隊と航空隊が、我々を打倒せんと怒涛の勢いで打って出てくる——それこそが、我々の狙う『決戦』の舞台となります」
プレゼンテーションを終えた森下参謀長が静かに礼をして着席すると、司令室には重厚な沈黙が流れた。コーヒーの微かな残り香の中、伊藤整一司令長官が静かに立ち上がる。その眼光は、はるか南の水平線の彼方、決戦の地フィリピンを冷徹に見据えていた。
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