大連、旅順への上陸作戦 臨時合同戦略会議 6-1 1945年10月2日
1945年10月2日。ソヴィエト軍の猛攻を押し返し、逆転の端緒を掴んだ日本軍は、平壌空港の傍らに臨時合同戦略会議室を設置した。これからの作戦に参加する、各方面軍の足並みを揃えるために必要な情報を共有すること、意見交換が必要だった。
即席の作戦室の大型のテーブルを囲むのは、北方防衛開放軍南方軍、北方軍、そして壊滅の淵から蘇った関東軍の最高幹部たちと、新太平洋艦隊と新連合艦隊の司令官達である。彼らは飛行機に乗り、各地からこの会議に集合している。
南方軍
総司令長官(兼 南方軍司令官):掛井 道真 大将
総参謀長 兼 先任参謀:武田 五郎 大佐
情報参謀:久我 健一 少佐
兵装・技術参謀:小倉 善二 中佐
航空連絡参謀:桜木 徹 少佐
第8方面軍 司令官 今村均大将
第14方面軍 臨時派遣司令官
第32軍 臨時派遣司令官
第7方面軍 臨時派遣司令官
第2軍 臨時派遣司令官
横須賀鎮守府第一特別陸戦隊
新太平洋艦隊司令官 加治中将
幕僚団
北方軍
司令官:伊勢神 忠雄 中将
参謀長:高瀬 仁志 少将
作戦参謀:水町 健吾 中佐
情報参謀:白川 義昭 少佐
後方参謀(兵站):榎本 隆正 大佐
新太平洋艦隊司令官 伊藤大将 《帰還艦隊》司令官
幕僚団
関東軍
総司令官 山田乙三大将
総参謀長 秦彦三郎中将
総参謀副長 松村知勝少将
会議が始った。最初に総参謀長 武田大佐よって、これまでの戦いの流れがまとめられた。
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1945年:終わらぬ大陸の戦乱
1945年8月15日。大本営はソ連軍の参戦を「未曾有の国難」と位置づけながらも、全軍に対し徹底抗戦を厳命。大陸に展開する日本軍は、組織的崩壊の淵に立ちながらも、泥沼の消耗戦へと突き進んでいった。
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朝鮮半島:北部の失陥と山岳の抗戦
1945年8月9日、ソ連第25軍は国境を突破。その進撃速度は、日本軍の想定を遥かに上回っていた。
8月10日、ソ連軍海軍歩兵部隊が東岸の元山に上陸。守備隊は奮戦するも、艦砲射撃と圧倒的な物量の前に後退を余儀なくされる。
15日を過ぎても戦闘は止まず、ソ連軍は半島を横断するように進撃を続けた。
8月24日、ソ連軍は朝鮮北部の中心地、平壌に入城。日本軍朝鮮軍は市街戦を回避し、山岳地帯へと撤退。地下深く張り巡らされた要塞陣地を拠点に、ゲリラ的な遅滞戦闘への移行を画策していた。
遼東半島:旅順・大連の占領と「海上の門」
満洲平原を縦断したソ連ザバイカル戦線の戦車集団は、8月下旬、ついに遼東半島の最南端に到達した。
旅順と大連の占領は、ソ連軍にとって「大陸制覇」の総仕上げであった。シベリア鉄道の支線である南満洲鉄道の終着点を抑えたことで、ソ連はモスクワから太平洋を繋ぐ、史上最大の陸上補給線を完成させた。
旅順は海軍基地として、大連は巨大な貿易・補給港として、直ちにソ連軍の兵站基盤へと組み込まれる予定だった。彼らにとって、*不凍港を得るという長年の野望の成就であり、極東における「海上の玄関口」そのものであった。
そして、東アジアにおける覇権の中心になる予定だった。
断たれた動脈:日本軍の戦略的危機
日本軍にとって、旅順・大連の失陥は単なる一地域の喪失ではなかった。それは大陸における「生存権」の否定に等しかった。
南満洲の港湾を抑えられたことで、日本本土から満洲・朝鮮への大規模な増援と補給は事実上遮断された。関東軍残存部隊は、自給自足に近い形での抗戦を強いられることとなる。
参謀本部の地図上では、旅順・大連は「奪還すべき最重要目標」として赤く縁取られた。この拠点を奪い返さない限り、大陸の日本軍に未来はない。それは、絶望的な状況下での唯一の、そして悲願の逆転シナリオであった。
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膠着する戦線:1945年9月
ソ連軍は大規模な空挺部隊とソ連軍太平洋艦隊の攻撃とザバイカル方面軍(第6近衛戦車軍)の侵攻によって、平壌、旅順を制圧し、戦略的勝利を手中に収めたかに見えた。しかし、日本軍の降伏拒否により、前線は異常な緊張状態のまま固定された。
ソ連軍太平洋艦隊は占領した港湾から続々と増援を送り込み、兵站の完成を急ぐ。対する日本軍(関東軍、朝鮮軍)は、深い山林と地下陣地に潜み、反撃の機を窺う。
1945年8月のソ連対日参戦において、大連・旅順(関東州)を目指したソ連軍の動きと、その占領の実態について解説する。
朝鮮半島(北部)
ソ連軍は1945年8月9日の侵攻開始後、速やかに朝鮮半島北部へ進撃し、8月10日頃には元山に上陸・侵攻を開始、8月15日の時点では既に北部の大半を占領しつつあり、8月24日には平壌に入城した。
旅順(満洲):
ソ連軍は8月9日から満洲(中国東北部)へ一斉侵攻し、関東軍を撃破しながら進撃した。遼東半島の最南端に位置する旅順・大連エリアの占領は、満洲全域の制圧と並行して進み、8月下旬にかけて完了した。
朝鮮半島北部(朝鮮)の占領開始の方が、旅順(満洲南端)の占領よりも先、あるいはほぼ同時期に並行して進んだと言える。占領された大連・旅順は「ソ連軍の海上の玄関口」であり、同時に日本軍にとって南満州を奪還するための最重要目標」となる。
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侵攻部隊:ザバイカル方面軍(第6近衛戦車軍)
大連・旅順を占領したのは、モンゴル方面から大興安嶺山脈を越えて電撃侵攻してきた「ザバイカル方面軍」の精鋭たちだ。
主力:第6近衛戦車軍
進撃速度:彼らは「1日に100km」という驚異的なスピードで満州平原を南下した。
空挺降下:1945年8月22日、地上軍の到着に先立ち、ソ連軍は大連および旅順の飛行場に空挺部隊を降下させ、重要施設を制圧した。
占領下の状況
ソ連軍は大連・旅順を占領後、ここを「旅順海軍基地」として接収し、極東における不凍港の拠点とした。
軍政の布告:ソ連軍は「関東州特別軍管区」を設置。日本軍から奪った施設を利用し、即座に要塞化をを進めた。
略奪と接収:大連にあった「満鉄本社」や膨大な兵站物資、港湾設備はすべてソ連軍の管理下に置かれた。
民間人の状況:大連には数十万の日本人居留民がいたが、ソ連軍の占領により移動の自由を奪われ、過酷な労働や略奪に晒された。
*ウラジオストク港は冬季には凍結する




