ソヴィエト軍の越境 1-5 松花江の河岸
1945年8月、ハルビン。松花江の河岸には、避難船という名の「救い」を求めて数万の人々が押し寄せていた。
戦前のハルピンは日本人、満州人、ロシア人、いろいろな人々が行き来し、にぎやかに暮らしていた。この都市を近郊の松花江、別名スンガリ河はハルピンの母と呼ばれ、遊びやスポーツや海水浴などを楽しむ市民であふれていた。夏には花火、ヨットやカヌー浜辺で戯れる。冬には氷の張った川の上で氷に穴を開けて、釣りをしたり、ウィンタースポーツを楽しむ。夜は煌びやかな街に繰り出せばロシア人娘のショーや音楽、ナイトスポットを楽しむ人々の笑顔があった。
「船が……船が来ない……」
絶望が濁流のように広がる中、ついに最悪の影が水面に現れた。ソ連軍第二極東方面軍。彼らは陸路からだけでなく、河川艦隊を展開し、大河を滑るように進出した。
攻撃の先陣を切ったのは、アムール川から松花江へと侵入したソ連「アムール赤旗勲章受章小艦隊」の河川モニター艦群であった。
「敵艦、前方に多数! 重砲撃、来ます!」
日本軍の貧弱な野砲陣地に対し、モニター艦の130mm主砲が火を噴く。水面を滑るように進む軍艦は、陸上の拠点に砲撃する。川岸に築かれたトーチカは、コンクリートの破片と共に空へ舞い上がり、守備隊は反撃の糸口さえ掴めぬまま土砂に埋もれていった。
第2極東方面軍の突進
河川からの砲撃に呼応し、ソ連軍の地上部隊が動き出す。第15軍、第16軍、そして独立歩兵旅団の波。彼らは単に進撃するのではなく、文字通り地形を書き換えながら進んでいた。
地平線の向こう側から、悪魔のオルガン「カチューシャ」の咆哮が響く。数千発のロケット弾が松花江の堤防を耕し、日本軍の第4軍(独立守備隊)が展開していた防衛線は、組織的な抵抗能力を瞬時に喪失した。
湿地帯と泥濘に足を取られる日本軍を尻目に、ソ連のT-34/85は幅広の履帯で大地を掴み、避難民と敗残兵が入り乱れる街道を容赦なく突き進む。背後には、黒煙を上げる軍用車両の残骸と、主を失った軍馬の群れが取り残された。
松花江の流れは、爆沈した日本軍の輸送船や、崩落した橋梁の残骸でせき止められた。
「退路はないぞ! 橋を爆破せよ!」
「まだ味方が渡っています!」
混乱を極める現場に、ソ連軍のシュトルモビク(地上攻撃機)が急降下する。23mm機関砲の掃射が泥水を跳ね上げ、そこにはもはや「戦闘」という名の規律は存在しなかった。一方的に「破砕」する、物理的な破壊工程であった。
避難民の前に砲塔を向けた艦艇が横付けされ、同時に陸側からは歩兵部隊が包囲網を築く。河岸を背にした避難民たちは、文字通り「袋の鼠」となった。逃げ場のない湿った泥の中に、数万人の悲鳴が充満する。
西の地平線に太陽が沈んでいく。
包囲が完成した瞬間、河原は「戦場」ではなく、一方的な「略奪場」へと変貌した。
「ダワイ! ダワイ!(出せ! 早くしろ!)」
ソ連兵の咆哮が、夏の重い湿気の中を切り裂く。彼らは懐中電灯と松明を振り回し、女たちを次々と列から引きずり出していく。子供が泣き叫び、老人が許しを請うて縋り付いても、返ってくるのは重い軍靴の蹴りと、銃床による打撃だけだった。
数万の人々が上げる悲鳴と絶望の叫び。それが松花江の川面を渡る湿った風にかき消され、ソ連兵たちの下卑た笑い声だけが支配する地獄図が展開された。
衣服を剥ぎ取られ、真夏の太陽の下で晒される女たち。執拗な暴行が、衆人環視の中で繰り返される。そのあまりの地獄絵図に、人間としての尊厳を蹂躙された女性たちは、自ら命を絶つ道を選んだ。
一人、また一人と、泥を含んだ濁った川へと身を投じていく。彼女たちの身体は、岸辺に打ち上げられた物のように流され、あるいは川の底へと沈んでいった。
かつて「王道楽土」と呼ばれた大陸の夢は、この松花江の汚濁の中で、完全に死に絶えた。
北方防衛開放軍がこの地獄の報せを受け取り、復讐の炎を燃やす。この凄惨な光景は、彼らの心に拭い去ることのできない「呪い」として深く刻まれることとなった。




