第四話:闇の理合、プロの壁
静まり返る通路。その言葉に、一番驚いたのは高知本人だった。
部活をサボって、自分は一体何を言っているんだと激しい後悔が襲う。
男は足を止め、だるそうに振り返った。黒い防具の隙間から覗く目は、信じられないほど冷徹だった。男は高知の星ヶ丘高校の制服をチラリと見ると、
「金を払えば教えてやるよ」
「金はありません、でも強くなりたいんです」
男は呆れたような顔のまま、ポケットからクシャクシャになったプラスチックカードを取り出すと、高知の足元へと無造作に放り投げた。そこには1つのQRコードが印刷されている。
「この時間、客がいればここにいる」
男はそれだけ言い残し、夜の雑踏の中へと消え去っていった。スマホで読み込んでみると、それは非公式に「挑戦者」を募るSNSのアカウントだった。それから高知はその男の試合を見に通うようになる。
いつものように「試合」を見に来ている高知。アミューズメント施設の薄暗いブースで、男は圧倒的な暴力と技術で客をなぎ倒していた。試合が終わり、男が対戦相手から慣れた手つきで金を受け取る。
それを見届け、高知は今日もトボトボと帰ろうとした、その時だった。うしろから「入ってこいよ」と男の低い声が響いた。
「さっき、この後もう一人『客』が入ったんだ。時間が空いた」
驚きながらも、まるで目に見えない糸に引かれるように、高知は吸い込まれるようにブースに入り、型落ちのサイバー防具へと夢中で着替えた。
高知がステージに上がると、「来いよ」という短い言葉と同時に漆黒の刀が向けられる。次の瞬間、天井の灯りが眩しく高知の視界を照らした。
試合開始のブザーが鳴り響くより早く、男の身体が爆発的な踏み込みで迫り一撃。完璧な刃筋の一致。
高知は床へ叩きつけられたが、すぐに起き上がり刀を振るった。何度も、何度も繰り返すうちに、高知のローキック気味の鋭い一撃が、男の足に当たった。——高知は自主練で、あの男の足払いを毎日、毎日、泥臭く練習し続けていたのだ。
パシィィィン!!
確かにヒットした。だが、男はピクともしなかった。驚異的な体幹の強さ。男はバランスを完全に保ったまま、ガラ空きになった高知の喉元へ、容赦のない「突き」を最短距離で突き刺した。
キィィィィン!!
完璧な一本を取られた。足払いだけじゃない、シンプルに強い。手も足も出なかった。高知は荒い息を吐きながら、床を見つめた。
(……こんなに強くても、プロにはなれないのか)
年間4億円の報酬が動くプロの世界の壁は、どれほど厚いのか。次の客が来て、疲れも見せず男は金を手に消えていく。高知はただ木刀を握り締めることしかできなかった。
しかし、高知は諦めなかった。この日を境に、高知はさらに取り憑かれたようにこの場所へ通い詰めるようになる。男も高知の熱意を認めたのか、いつしか客が途切れた時間帯を見計らっては、高知を仮想オクタゴンに呼び寄せ、直接手合わせをしてくれるようになった。プロの技術とルールをハッキングするような闇の理合を、高知はその肌で、刀を通じて直接吸収していくのだった。
◇
「次の練習試合の相手が決まったぞ……! 星ヶ丘高校サムライ部、次の戦いだ」
放課後の星ヶ丘高校体育館。部長の五代が、興奮と緊張の入り混じった声でスマホの画面を掲げた。高山高校との新入生の初陣での惨敗を経て、五代が次のマッチメイクへと動いた結果だった。
「5対5の団体戦だ。今回のオーダーを発表する。先鋒、小平萌香。次鋒、亘理羽美。」中堅に2年の手永、副将に副部長の今井の名を上げる。特訓中の萌香を先鋒に据え、次鋒の絶対的エース・羽美で確実に星を拾う布陣だ。
その時、体育館の重い扉がガラガラと音を立てて開いた。入ってきたのは、ここしばらく部活から足が遠のいていた、1年の奥羽高知だった。
「高知……!」
「どこ行ってたんだよ、心配したんだぞ!」
1年生たちが、我が事のように駆け寄る。しかし、高知は仲間たちの言葉に答えることなく、まっすぐにステージの五代を見つめた。その瞳には、あの薄暗いアミューズメント施設のオクタゴンで培った、野生の光が宿っていた。
「先鋒、俺に出させてください」体育館の空気が、一瞬で緊迫した。
「ふざけるな、奥羽!」割って入ったのは、2年生の手永だ。
「部活をサボっていたお前が、いきなり先鋒だと? 練習試合を何だと思ってるんだ!」
二年生たちのブーイングを、高知は冷徹な一瞥でいなした。
「不満なら、実力で示します。……五代先輩、副部長。3年生のお二人、同時に来てください」
「なっ……同時にだと!?」
驚きに目を見開く先輩たち。ステージの上から、五代が低く、重い声で問いかけた。「勝てるのか、奥羽」
「勝てます」高知は淀みなく言い切った。その自信に満ちた佇まいに、五代と副部長の今井は顔を見合わせ、無言で学校支給の型落ち木刀を構えた。




