第三十九話:絶対の距離
アリーナに星ヶ丘高校の勝ち名乗りが響き渡る中、それまで冷徹な余裕を崩さなかった浜南大学付属高校のベンチに、初めて明確な動揺と慌てが走った。
「うそ……宮センパイが、あの一年生に削られた後とはいえ、一本で沈められるなんて……」
浜南大付属の部員が青ざめた顔でタブレットの画面を激しく叩く。彼らの計算では、高知のいない星ヶ丘を相手に、かつての合同練習試合で実力の片鱗を見せた小平萌香と煮え湯を飲まされた亘理羽美さえ抑え込めば、星ヶ丘など簡単に一蹴できるはずだったのだ。
慌てて九十歩歩十九のスタッツデータを検索し、表示された過去の戦績に、二年生エースの金佐三鹿が驚愕の声をこぼした。
「こんな選手が……まだ星ヶ丘に控えていたっていうの……?」
公式戦のデータがほとんど存在しない、隠された長刀のスペシャリスト。名門のプライドが激しく軋む音を聞きながら、浜南大付属の四人目――副将の桝家未知が、重い足取りでゆっくりとオクタゴンへのスロープを上がっていった。
――ピィィン!
試合開始のブザーが鳴り響いた瞬間、九十歩のカーボン樹脂製ハイテク木刀が、獰猛な風切り音を立てて駆動した。
二階席で見守る中原巴の視線が、九十歩の肉体に無限の集中力を与えていた。九十歩は一刀流の刃が絶対に届かない圧倒的な遠距離から、桝家のフルフェイスマスクの喉元を狙った鋭い突き、さらには足元や手首(小手)を正確に狙った、容赦のない長刀の斬撃を次々と繰り出していく。
(……この人、崩れない!)
しかし、桝家もまた名門の副将を張るだけのことはあった。 桝家はハイテク木刀を両手でしっかりと保持し、最小限の体捌きだけで長刀の鋭い刃をカツンと弾き、あるいは受け流し続けた。自分からは絶対に無理な踏み込みをせず、じっと強固な盾のように耐えながら、長刀特有の攻撃の癖や九十歩の呼吸の隙を冷徹に見極めようとしている。
九十歩の激しい猛攻をすべて完璧な防御で凌ぎ続けながら、桝家は相手の攻撃の引き際や、ほんのわずかな大振りの隙を見計らい、半歩、また半歩と、確実にオクタゴンの床を踏み締めて歩を進めてきた。
(なんで!?、当たらない……!)
完璧な防御を維持されたまま、じりじりと距離を詰められるプレッシャー。九十歩のマスクの奥に、わずかな焦りが生じ始める。九十歩は距離を保つため、長刀を大きく回転させて反対側の石突を使った打突を放ち、さらに精緻なフェイントを混ぜて桝家の一刀流のガードを力ずくで崩そうと試みた。
その瞬間、桝家が強烈な床鳴りとともに前へと強引に踏み込んできた。
九十歩はそれを予測していた。焦りの裏に隠していた、長刀使いとしての冷徹な罠。あえて自らの間合いを半歩譲って桝家の突進の力をいなすと、刀身を滑らかに操作する巻き込み技を繰り出し、桝家の頭部を撃ち抜く必殺の軌道を描いた。
「――そこだっ!」
しかし、桝家の反応も極限に達していた。九十歩の一撃を、桝家は刀身全体で受け流す。バチバチと激しい電子音が響く。完璧な直撃こそ免れたものの、受け流しきれなかった長刀のカーボン刃が、桝家の防具のセンサーを掠めてポイントを削り取った。
桝家はそのまま長刀の柄を自らの刀で滑らせるように固定し、一気に九十歩の懐へと肉薄しようとする。
「ハァ、ハァ……ハァ……っ!」
激しい至近距離の攻防。気づけば、桝家の呼吸は完全に荒くなり、大粒の汗がマスクの内側で目に入って視界を塞ぎかけていた。
対する九十歩は強引に間合いを仕切り直す。ふたたび優位に立てる長刀の距離を確保すると、狂いのないリズムで、桝家へ向けて打突をリズミカルに打ち込み続ける。
十点減点方式のルールにおいて、かすり傷のようなポイント減点も、積み重なれば致命傷となる。
桝家の腕の筋肉は、長刀の衝撃を受け流し続けたことで、すでに限界を迎えて悲鳴を上げていた。
(あ――もう、防げない)
桝家が頭でそう理解したときには、すでに九十歩の放った長刀の刃が、吸い込まれるような直線軌道で、桝家の胸元のセンサーへと届いていた。
激しい破裂音はなかった。それは、完璧な剣理がもたらした、静かで、しかし残酷な幕切れだった。
ザンッ!!!!
刃筋を検知したAIの電子音がアリーナに鳴り響き、桝家のサイバー防具が赤色に染まる。
桝家は、最後の最後までその美しい一刀流の構えを崩さず、綺麗に防御の姿勢を維持し続けたまま、限界を迎えてゆっくりとオクタゴンの床へ倒れ込んだ。
技術では決して負けていなかった。しかし、規定内ギリギリの長さを誇る長刀という武器の圧倒的な相性差、そしてそれをノーミスで振り続けられた九十歩の泥臭い朝練の成果が、名門の副将の体を限界へと追い詰めたのだ。
『一本。勝者、星ヶ丘高校・九十歩』
星ヶ丘サムライ部、次鋒の九十歩の手によって、まさかまさかの「二人抜き」を達成。
浜南大付属はついに副将を失い、残されたのは大将の金佐三鹿ただ一人。星ヶ丘が追い詰めた瞬間だった――。




