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OCTAGON  作者: 海内裏


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第三十八話:絶妙の間

「星ヶ丘高校、次鋒――九十歩歩十九、前へ」

 審判の電子コールが響き、長刀を静かに携え、オクタゴンへ上がった。

 対面側で待つのは宮範。萌香をねじ伏せたその圧倒的な威圧感は未だ健在であり、名門の風格を漂わせている。

――ピィィン!

 試合開始のブザーが鳴り響いた。

 しかし、両者は微動だにしない。九十歩は羽美の神速の抜刀を日常的に間近で見ているため、抜刀術における「最速の一撃(初太刀)」の恐ろしさを誰よりも熟知していた。だからこそ、無理に間合いを詰めるような真似はしない。

 宮がしびれを切らして踏み込んできた瞬間、長刀のリーチ差を活かして出足を止めるか、あるいは一歩引いて空振らせてから隙を突く――それが九十歩の構えだった。

 長刀の届く間合いの手前。電子の檻の中心で、二つの影がぴたりと静止する。九十歩はあえて微塵の隙も見せず、宮が動くのをじっと待ち続けた。対する宮は、じりじりとした膠着こうちゃくの中で左手の親指を動かす。

 カツ、と鯉口(鞘の口)を切る音、視線、肩のわずかな動き。それら一つ一つで「いま抜くぞ」という精緻な偽のサイン(フェイント)を送り、予測を狂わせようと心理戦を仕掛けてきた。

(……来るッ!)

 九十歩の直感が弾けた。宮が刀を抜くと見せかけて、最初の一歩を踏み出す。しかし、宮が放ったのは斬撃ではなかった。宮は左手に持ったさやを前方へ鋭く突き出し、九十歩の長刀の刃先を強引に跳ね上げたのだ。

「な――」

 本刀の刃が来ると思い込んで防御の軌道を取った九十歩に、コンマ数秒の決定的な「ズレ」が生じる。宮はその隙を見逃さず、本命の刀を一気に引き抜いた。

 抜刀が九十歩の胸元を襲う。九十歩は咄嗟に長刀のの部分だけで防ごうとしたが、鋭い刃が防具のセンサーを激しく掠めた。

『有効打突。浜南大付属・九十歩、一点減算』

 再び距離を取る二人。九十歩は焦らなかった。じっとマスクの奥で、先ほどの宮の動きを反芻する。

(今度こそ――!)

 宮の足の踏み込み、および肩の筋肉の駆動。九十歩の目がその始動の瞬間を捉え、渾身の突きを前方へ放った。だが、それこそが宮の罠だった。宮は自身の動きを意図的にワンテンポ遅らせて駆動させていたのだ。

 九十歩の鋭い突きはタイミングを完璧にずらされ、その刃先は空を切り裂いて不毛に流れた。長刀の突きが外れ、九十歩の体勢がわずかに前傾する。大きな隙が生まれた。

「勝った!」

 マスクの奥で宮が勝利を確信した。宮は鞘から閃光のごとく刀を引き抜きながら、九十歩の懐へと一歩猛烈に踏み込む。発光する刀の切っ先が、九十歩の防具へ向かって最短距離で走り出した。

 完全に裏をかかれた九十歩。思考する時間など残されていなかった。しかし毎朝の泥臭い朝練で肉体に染み込ませてきた長刀の剣理が、脳で考えるよりも早くその身体を突き動かした。

 前手を軸にし、後ろ手で持った長刀の柄を、自らの顔の前に跳ね上げるようにして斜めに突き出す――!

 ガギィィィン!!!!

 アリーナに凄まじい衝突音が響き渡った。宮の必殺の抜刀は、九十歩の防具を切り裂くわずか数センチメートル手前で、盾のように構えられた長刀の柄によって強烈に受け止められていた。

 至近距離で刀と柄が激しく噛み合い、両者の動きが一瞬停止する。鍔迫り合い(つばぜりあい)のように、互いに相手の武器を押し当て、オクタゴンの中心で凄まじい圧力が拮抗する。

 しかし、武器の長さで勝るのは、九十歩の長刀だった。利用したのは、宮の抜刀を受け止めた瞬間の強烈な反動。長刀の反対側の先端――石突いしづきを、下から滑り込ませるようにして最短距離で繰り出す。

 宮は自らの本刀を九十歩の柄に全力で押し当て、この想定外の角度からの攻撃に対して防御が間に合わない。

「――シッ!」

 九十歩が柄をぐっと押し込むと、長刀はテコの原理のように駆動し、反対側の石突がしなやかに跳ね上がった。相手を過度に負傷させないための絶妙な力加減。しかし、センサーが「正しい角度とスピード」を検知するには十分すぎる完璧な軌道。跳ね上がった石突の先端が、宮の防具の鳩尾みぞおちを正確に捉えた。

「ガッ……!」

 短い呻き声と共に、宮の体の軸が崩れた。九十歩はその絶好の隙を見逃さなかった。鍔迫り合いの密着状態から一歩下がり、長刀の刀身を回転させる。遠ざかった刃先が、鋭い弧を描いて宮の首元の防具センサーへと滑り込み、ピタリと制した。

 ザンッ!!!!

 完璧な刃筋を認めたAIの最高音がアリーナ全体に鳴り響いた。宮のサイバー防具の全面が、一撃必殺の即死判定――「一本」を告げる赤一色に染まっていく。

『一本。勝者、星ヶ丘高校・九十歩』

「ハァ、ハァ……っ」

木刀を収め、マスクのロックを外した九十歩の額から汗が滴る。対する宮もマスクを外し、悔しさをにじませる。

「……絶妙な間のずらしだ。危うく首を持っていかれるところだったよ」

九十歩は宮へ向けて深く一礼し、名門の強さに心からの敬意を払った。星ヶ丘のベンチ、観客席から割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こる。

「アユト――!!」

 その大歓声の渦を突き抜けて、聞き慣れた、しかしここにいるはずのない少女の声が九十歩の耳へと届いた。驚いて二階の観客席を見上げた九十歩の視線の先。そこには、自身の弓道会場での試合を終え、この準決勝の決戦に間に合わせるために息を切らせて駆けつけた、中原巴の姿があった。顔を紅潮させながら九十歩を見つめる巴の瞳が、アリーナのライトを反射して美しく輝いていた。

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