第三十一話:抜刀の残響
「第七試合、勝者、冨里川高校」
審判の電子コールがアリーナに響く中、星ヶ丘高校サムライ部のベンチからは、ついに最後の一人がオクタゴンへと立ち上がる。
大将、亘理羽美。星ヶ丘の絶対的エースが、型落ちのハイテク木刀を腰の鞘に納めたまま静かに、電子の檻へと足を踏み入れる。対する冨里川高校のケージに残るのは、三連続の一本勝ちを収めて平静を取り戻した和地香凛。
「第八試合を開始します。両者、前へ」
――ピィィン!
試合開始のアラートが鳴り響いた。だが、両者は一歩も動かなかった。お互いに構えたまま、微動だにせず息を呑むような緊迫した心理戦がオクタゴンを支配する。香凛は限界を迎えている。次の瞬間が、自身に残された最後のワンチャンスであることを誰よりも理解していた。
「――はっ!」
鋭い呼気とともに、香凛が残る全精力を振り絞った限界のスピードで突進した。驚異的な執念で間合いを潰し、羽美の脳面へ向けて木刀を全力で振り下ろす。
羽美の身体が、爆発的な速度で駆動する。カツン、と硬質な音を立てて放たれた電光石火の抜刀術。下から斜め上へと正確に抜き放たれた羽美の刃が、香凛の必殺の斬撃を完璧に上方へと受け流した。
「なっ……!?」
衝撃を受け流された香凛の華奢な体勢が、大きく崩れる。羽美はその一瞬を、無慈悲なほど冷徹に見据えていた。受け流した勢いと刀身の円運動をそのまま殺さず、トップスピードの重力を乗せた無慈悲な袈裟斬りが、香凛のガラ空きになった胴へと叩き込まれた。
ザンッ!!!!
電子音が轟き、香凛の身体が一瞬でシャットダウンされたようにオクタゴンの床へと崩れ落ちる。
――一本。AIが冷徹に告げたのは、星ヶ丘のエースによる圧倒的な瞬殺劇だった。倒れた香凛を冨里川のベンチが抱き起こす中、ついに、前年王者の最後の一人が重い足取りでケージへと上がってきた。
大将、浅桜澪。背の高さは平均的な羽美と同じくらいだったが、その身体に纏ったはち切れんばかりの圧倒的な筋肉が、サイバー防具を内側から押し上げているのが一目で分かった。速度の冨里川高校にあって、強靭なフィジカルを極限まで練り上げた冨里川の文字通りの壁。
「第九試合を開始します。……始め!」
ブザーが鳴り響く、羽美の計算は根底から狂わされた。羽美が刀を抜き放つ、一瞬の射程の内側。そこへ、澪は最初の一歩からまるで大砲から放たれた弾丸のような爆発的スピードで踏み込んで高音を鳴らした。
(しまっ……! 間合いが近すぎる!)
強引に抜刀しようとすれば、刀が完全に鞘から出きる前に、澪の鋭い太刀で首を斬り落とされる。羽美は瞬時に判断し、抜きかけた刃で澪の刀を強引に弾くと、後ろへ大きく転がるようにして距離を取ろうとした。しかし、澪の歩法は恐ろしく速く、かつ正確だった。床を激しく揺らしながら肉薄する澪は、羽美に呼吸を整える隙すら与えない。
至近距離で容赦なく浴びせられる澪の猛攻を羽美は紙一重で直撃をかわし続けるも、ポイントを削られる。しかし、あまりにも距離が近すぎる。羽美には刀を大きく振るためのスペースが一切なく、防戦一方に追い込まれて澪の防具に己の刀を掠めることすらできなかった。
「そこ!」
澪のフルフェイスマスクの奥から、冷徹な声が響く。澪が狙ったのは、抜刀術の生命線である羽美の左手――すなわち『鞘』だった。刀の硬質な柄頭を、羽美の左拳に向けて容赦なく叩き込んでくる。羽美は咄嗟に身体を大きく捻って直撃こそ避けたものの、ガードの上から受けた凄まじい衝撃により、その体勢を大きく崩された。
勝機と見た澪は、ここからさらに踏み込んだ。胸と胸がぶつかるほどの超至近距離まで、一気に互いの間合いをゼロにする。羽美の右腕は、澪の分厚い筋肉の胸板に完全に阻まれ、刀の柄に手をかけることすら満足にできない。
完全に試合の手綱を握った澪。しかし、あまりの肉薄ゆえに、澪自身もまた「刀を振って仕留めるための最低限の空間」を失う形となった。ここで終わらせるわけにはいかない。羽美は死に物狂いで、澪の体にへばりついた。ガギギ、ガツン、と激しい音を立てて二人の身体がオクタゴンの中で入り乱れ、ケージの壁際へと激しく激突したところで、両者の動きが完全に停止する。
澪は肉厚な体躯の圧力で完全に羽美の動きを支配してはいたが、互いの身体が密着しすぎており、喉元を貫く突きも、胴を割る斬撃も、繰り出すための隙間がどこにもなかった。そのまま無情な電子音が響き、第一ラウンドが終了する。
「ハァ、ハァ……。流石は星ヶ丘のエース。泥臭い真似をしてくれるじゃない」
「……そっちこそ」
短いインターバルの間、羽美はケージの金網に背を預けながら、冷徹に脳内を回転させていた。これまでの地獄のメニュー、そして桐生陣コーチから叩き込まれたプロの理合。正面からの抜刀が防がれ、ゼロ距離に持ち込まれた時のための隠し手。
(まだ、終わらせない。星ヶ丘は、ここからだ)
迎えた第二ラウンド。
――ピィィン!
開始のブザーが鳴り響いた瞬間、今度は澪が構えるよりも先に、羽美の身体が前へと爆発した。先に仕掛けたのは星ヶ丘。
刀を抜く、まさにその直前の静寂の中――。羽美は右手を柄にかけながら、同時に左手で腰の『鞘の末端』を、澪のみぞおちへと向けて真っ直ぐに突き出した。
「なっ……!?」
予期せぬゼロ距離からの打突。衝撃波がセンサーを駆け巡り、澪の体がわずかに後退する。羽美が待っていたのは、その本当に一瞬の、刀を振るための『空間』だった。
怯んだ瞬間を完璧に捉え、羽美の右手が一気に刀を抜き放つ。アリーナの眩いスポットライトを反射したカーボン樹脂の刀身が、最速の美しき半月を描いた。——世界が静止する。
ザンッ!!!!
一切の淀みがない完璧な一本。AIが下したのは、王者の懐を完全に切り裂いた、大逆転の「即死判定」だった。




