第二十八話:長刀の理合
第四試合の開始を告げる鋭いブザーが、観客の声援で揺れる巨大アリーナの一角に鳴り響いた。
小平萌香をその剛力で圧倒し、前年王者たる冨里川高校の底力を見せつけた岡固水月。その重戦車の前に立ちはだかるのは、星ヶ丘高校サムライ部の二年生、九十歩歩十九。手永紺が己の恐怖と決着をつけるために会場を離れて自主練を続ける今、星ヶ丘の「長刀」という間合いを背負っているのは彼一人。規定内ギリギリの長さのハイテク木刀を静かに構える九十歩に対し、フルフェイスマスクの奥にある水月の瞳には、明確な警戒の色が浮かんでいた。
(先ほどの二刀流の一年生とは、まるで纏っている空気が違う……!)
水月はプロテクターの奥で喉を鳴らした。あの日の落ちこぼれは、もうそこにはいなかった。巴との地獄の朝練、繰り返してきた暗闇の中での素振りが、九十歩の佇まいを冷徹な剣士のそれへと変貌させていたのだ。
「始め!」
審判の電子コールが響くと同時に、水月がじりじりと足を踏み鳴らして間合いを詰めていく。その巨体から繰り出される突進を一発でも許せば、一気にケージ際まで追い詰められて圧殺される。星ヶ丘ベンチの全員が呼吸を忘れ、固立ち飲んでオクタゴンを見つめた。
しかし、九十歩の空間支配は完璧だった。水月が凄まじい地響きとともにトップスピードへ乗ろうとする度、九十歩は長い木柄を滑らかに、かつ最小限の予備動作で操作した。水月が全身の筋肉を緊張させ、強烈な前進のための力を足元へ溜める「初動の瞬間」。九十歩はそのわずかな肉体のシグナルを、フルフェイスの奥の冷徹な眼で見切っていた。水月が床を蹴るよりも早く、九十歩は上体を美しい半身へと開き、最も無駄のない直線軌道の突きを放って水月の出鼻を正確に狙い撃ちにする。
(入れない……っ! 動き出しの先を、全部読まれている……!?)
水月は得意の超加速を完全に封じられ、容易に一歩を踏み出すことができない。九十歩にとっても、一歩間違えればその剛力で一瞬にして防具ごと力任せにねじ伏せられるという、刃の渡りを歩くような緊張感。オクタゴンの中心で、張り詰めた間合いの探り合いが三分間、息を吸うことすら忘れるほどの密度で続いた。第一ラウンド終了のブザーが鳴った時、水月のプロテクターの隙間からは、大粒の汗が床へと滴り落ちていた。
第二ラウンド、膠着を嫌った水月が猛然と勝負に出た。鋭く短い呼気とともに、水月は強靭な体幹をこれでもかとねじり、暴風雨のような木刀の連撃を繰り出しながら、強引に九十歩の間合いを潰しにかかる。一発でもまともに受ければ、長刀の柄ごと腕の骨をへし折られてしまいそうなほどの剛剣。すさまじい風切り音がケージ内に吹き荒れる。
だが、九十歩はその剛力を正面から受け止めるような愚は犯さなかった。巴から伝わった近接格闘術の技術が冴えわたる。九十歩は手の内の握りを滑らかに変えながら、刀身の刃を上下左右へと高速で反転させる、長刀特有の「振り返し」を展開した。
ガギギギィン!と、激しい火花が散るような電子音が連続する。水月の凄まじい手数の打撃を、九十歩は円の軌道を描くようにしてすべて外側へと流し、いなし続けた。それだけではない。水月の強烈なスイングが空を切って生じるわずかな隙を見逃さず、長刀のリーチを活かして水月の脇腹や脛を的確に打ちすえ、十点減点方式のポイントを確実に削り取っていく。
「ハァ、ハァ……ッ!」
二つのラウンドにまたがる激闘で、体力を急激に削られた水月は、これが最後の勝機であると悟った。九十歩が放った牽制の刃の下を、潜り込むようにして一気にくぐる。それは、長刀が物理的に振れなくなるゼロ距離の「懐」への肉薄だった。
(もらった!ここなら長刀はただの棒切れだ!)
長刀の最大の弱点である至近距離。水月は防具の奥で勝利を確信し、萌香を沈めたあの剛力を乗せて、下から木刀を思い切り振り上げようとした。しかし、九十歩の心はどこまでも冷徹だった。敵が踏み込んできた瞬間、九十歩は長刀の長い柄をテコのように利用し、至近距離から円軌道で水月の首元を鋭く擦り斬るように木刀を滑らせた。巴直伝の、極小の円による防御兼攻撃の軌道。
ザンッ!と、至近距離らしからぬ鋭い電子音が響く。首元を深く擦られた水月の上体が、予期せぬ衝撃にわずかとのけ反った。九十歩の本領は、ここからだった。のけ反った水月の隙を見逃さず、九十歩は長刀を瞬時に垂直へと立て直す。狙うは、巴から教わった近接連撃の終着点。長刀の柄の最下端である硬質な石突き(いしづき)を、水月の顎へと下から一気に突き上げた。その一撃は水月の顎へと軽く当たり、脳を揺らす。
ゴガァンッ!!!!道場全体に、これまでにないほど重く、鈍い電子音が響き渡る。脳を揺らされた水月の百七十八センチメートルの体は、糸の切れた人形のようにドサリと木床に崩れ落ちた。――一本。AI判定が下したのは、九十歩の完璧な技術がもたらした、鮮やかな即死判定による大逆転勝利だった。




